廿年庚戌東夫餘舊是鄒牟王屬民
二十年庚戌、東夫余(平壌(ピョンヤン)?の東)は是(これ)、鄒牟王(チュモン)の属民で、
中叛不貢王躬率往討
中叛(心で叛く)して貢献せず、王は躬(みずから)率いて討ちに往った。
軍到餘城而餘舉國駭服献出
軍が余城に到ると、余(東夫余)は国を挙げて駭服(おどろいて服す)し献出した。
二十年庚戌、東夫余(平壌(ピョンヤン)?の東)は是(これ)、鄒牟王(チュモン)の属民で、
中叛不貢王躬率往討
中叛(心で叛く)して貢献せず、王は躬(みずから)率いて討ちに往った。
軍到餘城而餘舉國駭服献出
軍が余城に到ると、余(東夫余)は国を挙げて駭服(おどろいて服す)し献出した。