王威赫怒渡阿利水
王威赫怒渡阿利水遣刺迫城 王は威嚇(威力でおどしつける)して怒り、阿利水を渡って刺(刺殺者)を遣わし城に迫った。 殘兵歸穴就便圍城 残兵(釜山兵?)は恐懼(おそれおどおどする 帰(キ)=恐(ク)? 穴(ケツ)=懼(ク)?)し、就便(すなわちすぐに)に城を包囲した。 而殘主困逼献出男女生口一千人細布千匹 而して残主(釜山主)は困逼(ゆきづまる)して男女の生口(奴隷)一千人、細布一千匹を献出した。
View Article跪王自誓從今以後永爲奴客
跪王自誓從今以後永爲奴客 王に跪(ひざまずく)して自ら今より後永(のちいつまでも)を以て奴客と為ると誓った。 太王恩赦始迷之愆録其後順之誠 太王は始めの迷いの愆(あやまち)を恩赦(特別に罪を許す)し、その後の順(服従する)の誠(まこと)を録(かえりみる)して、 於是得五十八城村七百將殘主弟并大臣十人旋師還都...
View Article八年戊戌
八年戊戌教遣偏師觀帛填土谷 八年戊戌、偏師(一部の軍隊)の派遣を教(~させる)し、帛填土谷を観さしめ、 因便抄得莫斯羅城加太羅谷男女三百餘人 因りて便(すぐに)に莫斯羅城、加太羅谷の男女三百余人を抄得(取る)した。 自此以來朝貢論事 此れより朝貢しに来るを以てし、事を論(告げる)じた。
View Article九年己亥
九年己亥百殘違誓与倭和通 九年己亥、百残(釜山?音より)は誓いを違えて倭と和通した。 王巡下平穰而新羅遣使白王云倭人滿其國境 王が平穣(平州? 宋書高句麗伝より おそらく帯方郡(テグ? 音より)の辺りだと思います。平(ヘイ)=方(ホウ)?)を巡下していたとき、新羅(ウルサン?)が使いの白王を遣わし云った、「倭人がその国境を犯(攻める 満(バン)=犯(ハン)?)し、 潰破城池以奴客爲民...
View Article歸王請命太王恩慈
歸王請命太王恩慈 帰王(羅王と書けて新羅王? 帰(キ)=羅(ラ→カ)?)は命(さしず おしえ)を請うた。太王の恩慈(なさけ)は、 矜其忠誠 その忠誠を矜(あわれむ)じ、 特遣使還告以密計 匿(一目をさける 特(トク)=匿(トク)?)に使者を遣わし勧告(勧めさとす 還(カン)=勧(カン)?)させるに密計を以てした。
View Article十年庚子
十年庚子教遣歩騎五萬住救新羅 十年庚子、歩騎五万の派遣を教(~させる)し新羅を救いに往かせた。 從男居城至新羅城 男居城より新羅城に至った。 倭滿其中官軍方至倭賊退 倭はその中を犯(攻める 満(バン)=犯(ハン)?)し、官軍がまさに至らんとすると倭賊は退いた。
View Article自倭背急追至任那加羅
自倭背急追至任那加羅 倭の敗と自(いえども)、急走(いそいで走る 追(ツイ)=走(ツォウ)?)して、任那(おそらく鎮海(チネ)? 任(ジン)=鎮(チン)? 那(ナ)=ネ?)、加羅(狗邪と書けて巨済島? 倭人伝より 加(カ)=狗(ク)? 羅(ラ)=邪(ヤ)?)に至り、 從拔城城即歸服安羅人戌兵 従(おもうままに)に城々を伐(うつ...
View Article十九盡拒随
□□□□□□□□□□□□□□□□十九盡拒随倭安羅人戌兵新羅城□□其□□□□□□□言 ・・・・・・・・・・・・・・・・十に九が尽く倭、安羅人戌兵に随することを拒み、新羅城・・其・・・・・・・言 □□且□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□辞□□□出□□□□□□□殘倭潰 ・・且・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辞・・・出・・・・・・・残(釜山?)、倭は潰(つい)え、...
View Article昔新羅寐錦
昔新羅寐錦未有身來論事 昔、新羅、寐錦(?)は未だ身(みずから)来て事を論(告げる)ずることはなかった。 □□□□廣開土境好太王□□□□寐錦□家僕句 ・・・・広開土境好太王・・・・寐錦・家僕句 請□□□朝貢 請う・・・朝貢
View Article十四年甲辰
十四年甲辰而倭不軌侵入帶方界 十四年甲辰にして倭は不軌(人のふみ行うべき道理ではない)にも帯方(おそらくテグ?音より)界に侵入した。 和通残兵□石城□連船□□□王躬率往討從平穰 残兵(釜山兵?音より)と和通して・石城・船を連ね・・・王は躬(みずから)、平穣(平州?宋書高句麗伝より おそらくナクトン川の上流付近?)より討ちに往った。
View Article□□□鋒相遇王幢
□□□鋒相遇王幢 ・・・先鋒が王の幢(はた)に遭遇(相(ソウ)=遭(ソウ)?)し、 要截盪刺 要截(さえぎる?)して盪刺(突き刺す?)し、 倭寇潰敗斬煞無数 倭寇は潰え敗れ、斬殺(煞(サツ)=殺(サツ)?)すること無数。
View Article十七年丁未
十七年丁未教遣歩騎五萬 十七年丁未、歩騎五万の派遣を教(~させる)し、 □□□□□□□□王師四方合戰斬煞蕩盡 ・・・・・・・・王は四方の合戦を帥(ひきいる 師=帥?)し、斬殺(煞(サツ)=殺(サツ)?)すること蕩盡(大いに尽くす)。 所穫鎧一萬餘領軍資器械不可稱數 穫(得る)する所の鎧(よろい)は一万余領、軍資、器械は数え上げることができない。 還破沙溝城婁城牛□城□城□□□□□□城...
View Article廿年庚戌
廿年庚戌東夫餘舊是鄒牟王屬民 二十年庚戌、東夫余(平壌(ピョンヤン)?の東)は是(これ)、鄒牟王(チュモン)の属民で、 中叛不貢王躬率往討 中叛(心で叛く)して貢献せず、王は躬(みずから)率いて討ちに往った。 軍到餘城而餘舉國駭服献出 軍が余城に到ると、余(東夫余)は国を挙げて駭服(おどろいて服す)し献出した。
View Article王恩普覆
□□□□□□王恩普覆於是旋還 ・・・・・・王の恩は普覆(あまねくおおう)し、ここに於いて旋還(引き返して還る)した。 又其慕化随官來者味仇婁鴨盧卑斯麻鴨盧□社婁鴨盧肅斯舎鴨盧□□□鴨盧 またその慕い随官に化して来た者は仇婁鴨盧、卑斯麻鴨盧、・社婁鴨盧、肅斯舎鴨盧、□□□鴨盧。 凡所攻破城六十四村 凡そ攻める所の城を破るは六十四村。
View Article一千四百守墓人烟戸
一千四百守墓人烟戸賣句余民國烟二看烟三 一千四百人の守墓人の烟戸(=園戸(陵墓を守る人々の家? 烟(エン)=園(エン)?)は、賣句余民は国烟(王族の陵墓?)は二戸、看烟(貴族の陵墓?)は三戸、 東海賈國烟三看烟五敦城民四家盡爲看烟 東海賈は国烟は三戸、看烟は五戸、敦城民の四家は尽く看烟と為す。 于城一家爲看烟碑利城二家爲國烟 于城一家は看烟と為し、碑利城二家は国烟と為す。...
View Article句牟客頭二家爲看烟
句牟客頭二家爲看烟求底韓一家爲看烟 句牟客頭の二家は看烟と為す。求底韓の一家は看烟と為す。 舎蔦城韓穢國烟三看烟廿一古模耶羅城一家爲看烟 舎蔦城韓穢は国烟三戸、看烟二十一戸、古模耶羅城の一家は看烟と為す。 古城國烟一看烟三客賢韓一家爲看烟 古城は国烟一戸、看烟三戸、客賢韓の一家は看烟と為す。 阿旦城雜□城合十家爲看烟巴奴城韓九家爲看烟...
View Article□□□七也利城三家
□□□七也利城三家爲看烟豆奴城國烟一看烟二 ・・・七也利城三家は看烟と為す。豆奴城は国烟一戸、看烟二戸。 奥利城國烟二看烟八須鄒城國烟二看烟五 奥利城は国烟二戸、看烟八戸。須鄒城は国烟二戸、看烟五戸。 百殘南居韓國烟一看烟五大山韓城六家爲看烟 百残南居韓は国烟一戸、看烟五戸。大山韓城の六家は看烟と為す。 農賣城國烟一看烟七閏奴城國烟一看烟廿二...
View Article吾慮舊民轉當羸劣
吾慮舊民轉當羸劣 吾は慮る、旧民が転(別のところに行く)じて当(まさ)に羸劣(やせ劣る→少ない)せんとするを。 若吾萬年之後安守墓者 若し、吾の万年(死後)の後になったら、墓を守るのを安(定まる)んずる者は、 但取吾躬巡所略來韓穢令備洒掃 但(もっぱら)、吾が躬(みずから)巡って略(地域をおさめる)したところの來韓穢(来は新羅?)を取って備(そな)え洒掃(清掃)を令(~させる)せよ。
View Article言教如此是以如教令取韓穢二百廿家慮
言教如此是以如教令取韓穢二百廿家 此れの如く教えを言い、是(ここ)に如教(おしえにしたがう)を以て韓穢の二百二十家を取るを令した。 慮其不知法則復取舊民一百十家 その法則を知らないことを慮り、復(また)旧民の一百十家を取り、 合新舊守墓戸國烟卅看烟三百都合三百卅家 新旧合わせて守墓戸は国烟三十戸、看烟三百戸、都合(合計)三百三十家。
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