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Channel: 倭人伝を解く
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自上祖先王以來墓上不安石碑

自上祖先王以來墓上不安石碑 上祖先王より以来、墓の上には石碑を安(置く)せず、 致使守墓人烟戸差錯 守墓人の烟戸をして差錯(交錯する)を致したが、 唯國岡上廣開土境好太王盡爲祖先王墓上立碑銘 唯(ただ)、国岡上広開土境好太王だけが尽く祖先王の墓上に碑銘(石碑に記す文)を立て、 其烟戸不令差錯 その烟戸が差錯を令(~せしむ)さないようにさせた。

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又制守墓人

又制守墓人自今以後不得更相轉賣 また守墓人を制して今より以後、更相((墓を)みるを取り替える?)、転売(別のところに行ってやめる 売(うらぎる→やめる))を得ず。 雖有富足之者亦不得擅買 富足の者がいたと雖も、また擅(ほしいまま)に買(やとう)うことを得ず。 其有違令賣者刑之 令に違えて売(やめる)る者がいれば、これを刑し、 買人制令守墓之...

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隋書 高句麗伝 始め

東夷高麗高麗之先出自夫餘 東夷の高麗、高麗の先祖は、出自は夫余(ピョンヤン?音より)。 夫餘王嘗得河伯女因閉於室內 夫余王は嘗て河伯女(皇鶴と書けて、タンチョウ?の娘? 河(コウ)=皇(コウ)? 伯(ハク)=鶴(ホー)?)を得て、因りて室内に閉じ込めた。 為日光隨而照之感而遂孕 日光が高くなるにしたがって、これを照らし、姦(密通する 感(カン)=姦(カン)?)して遂に孕(はら)み、...

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夫餘之臣以硃蒙非人所生

夫餘之臣以硃蒙非人所生 夫余の臣は、硃蒙は人の生まれる所ではないのを以て、 咸請殺之王不聽 咸(みな)これを殺すことを請うたが、王は聴き入れなかった。 及壯因從獵所獲居多又請殺之 壮(大きい 成長する)になるに及んで、因りて猟に従い、獲る所は居多(たくさんである)で、またこれを殺すことを請うた。 其母以告硃蒙硃蒙棄夫餘東南走 その母が硃蒙に告げるを以て、硃蒙は夫余を捨てて東南へ走(にげる)った。...

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硃蒙曰我是河伯外孫

硃蒙曰我是河伯外孫日之子也硃蒙曰く、「我はこれ河伯(タンチョウ?)の外孫で、日(太陽)の子である。 今有難而追兵且及如何得渡 今、難が有り、而して追兵がまさに及ばんとする。どうしたら渡ることができるだろうか?}と。 於是魚鱉積而成橋硃蒙遂渡 ここに於いて魚鱉(=鮫鰒と書けてサメ?おそらくチョウザメ? 魚(ゴ)=鮫(コウ)? 鱉(ヘツ)=鰒(フー)?)が積み重なって橋を成し、硃蒙は遂に渡った。...

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硃蒙建國

硃蒙建國自號高句麗以高為氏硃蒙(チュモン)は建国して、自ら高句麗と号し、高を以て氏と為した。硃蒙死子閭達嗣硃蒙が死に、子の閭達(瑠璃明王)が嗣(つぐ)した。 至其孫莫來興兵遂並夫餘 その孫の莫來(無恤(ムヒュル)と音が似ているので大武神王?)に至り、遂に夫余(ピョンヤン?音より)を平(たいらげる 並(ヘイ)=平(ヘイ)?)らげた。

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至裔孫位宮

至裔孫位宮以魏正始中入寇西安平 裔孫(ずっと後の子孫)の位宮(諱は山上王 内容は東川王に対応します)は魏の正始中を以て西安平に入寇し、毌丘儉拒破之毌丘倹が拒みこれを破った。 位宮玄孫之子曰昭列帝 位宮の玄孫(孫の孫)の子は曰く、昭列帝(故国原王 劉)と。(三国史記では山上王の孫の孫の孫 東川王の孫の孫の子) 為慕容氏所破 慕容氏の破る所と為り、 遂入丸都焚其宮室大掠而還...

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昭列帝後

昭列帝後為百濟所殺 昭列帝は後に百済の殺される所と為った。 其曾孫遣使後魏 その曾孫のは、使者を後魏に遣わした。 六世孫湯在周遣使朝貢 の六世孫の湯は、周に使者を遣わし朝貢した。 武帝拜湯上開府遼東郡公遼東王 武帝は湯に上開府、遼東郡公、遼東王を拝した。 高祖受禪湯復遣使詣闕進授大將軍改封高麗王 高祖(周高祖(武帝)...

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其國東西二千里

其國東西二千里南北千餘里 その国の東西は二千里(一里150m換算で約300辧|録涵紊任錬隠娃悪辧腺隠毅悪勸漫法南北は千余里(一里150m換算で約150厖召蝓|録涵紊任錬毅悪辧腺沓記勸漫 都於平壤城亦曰長安城東西六里隨山屈曲南臨浿水...

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與新羅每相侵奪

與新羅每相侵奪戰爭不息 新羅(ウルサン辺り?)と毎(いつも)相(あい)侵奪し、戦争は息(やむ)さず。 官有太大兄次大兄次小兄次對盧次意侯奢次烏拙 官には太大兄、次に大兄、次に小兄、次に対盧、次に意侯奢、次に烏拙、 次太大使者次大使者次小使者次褥奢次翳屬次仙人凡十二等 次に太使者、次に大使者、次に少使者、次に褥奢、次に翳属、次に仙人の凡そ十二等級が有る。

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復有內評外評

復有內評外評五部褥薩 復(また)内評、外評、五部の任侠(褥(ルー)=任(レン)? 薩(サー)=侠(シア)? 消奴部などの五族のこと?)が有る。 人皆皮冠使人加插鳥羽 人は皆、皮の冠で、人をして鳥の羽を挿す。 貴者冠用紫羅飾以金銀 貴者の冠は紫色の羅(うすぎぬ)を用いて、飾りは金銀を以てする。

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服大袖衫大口褲

服大袖衫大口褲 服は大袖衫(大きい袖の上着)に大口褲(大股の褲(ズボン)? 口(コウ)=股(コ)?)、 素皮帶黃革屨 素(しろ)の皮帯(毛皮のベルト)、黄色の革屨(かわぐつ)である。 婦人裙襦加襈 婦人は裙襦(スカートと短い上着)に襳(おび 襈(セン)=襳(セン)?)を加える。

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兵器與中國略同

兵器與中國略同每春秋校獵王親臨之 兵器は中国と略(ほぼ)同じである。春秋ごとに狩猟(校(シアオ)=狩(ショウ)?)をして、王は親(みずから)これに臨む。 人稅布五匹穀五石 人税は布五匹、穀五石。 游人則三年一稅十人共細布一匹 游人は則ち三年に一度の税で、十人で細布一匹を供(共=供?)する。 租戶一石次七斗下五斗 租戸(=素戸(貧しい家?) 租(ソ)=素(ソ)?)は一石、次は七斗、下は五斗。

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反逆者縛之

反逆者縛之於柱爇而斬之 反逆者はこれを柱に縛り、爇(焼く?)してこれを斬り、 籍沒其家盜則償十倍 その家を籍没(財産を取り上げる)する。盗みをすれば十倍を償う。 用刑既峻罕有犯者 刑を用いるは急瞬(はやい 既(チー)=急(チー)? 峻(シュン)=瞬(シュン)?)で、犯罪者がいることは罕(めったにない)である。

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樂有五弦

樂有五弦琴箏篳篥吹簫鼓之屬吹蘆以和曲 楽(楽器)には、五弦、琴、箏、篳篥、横吹、簫、鼓の属,吹蘆が有り、和曲を以てする。每年初聚戲於浿水之上王乘腰輿列羽儀以觀之   年の初め毎(ごと)に、浿水(ナクトン川?)の上(ほとり)で聚戲(大勢の演劇?)し、王は腰輿(手輿)に乗り、右儀(高位の配偶者? 羽(ウ)=右(ウ)?)を列(並べる)してこれを観る。

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事畢王以衣服入水

事畢王以衣服入水 事が畢(おわる)すると、王は服を脱(ぬぐ 衣(エ、イー)=脱(兌(エイ))?)ぐを以て 水(川)に入り、 分左右為二部 左右(近臣?)を分けて二部をつくり、 以水石相濺擲 水を以て杓(すくう くむ 石(シャク)=杓(シャク)?)し、相(あい)濺(水をはねかける)擲(なげすてる)し、 喧呼馳逐再三而止 喧呼(やかましく叫ぶ)して馳逐(追いかける)し、再(二)、三度して止める。

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俗好蹲踞

俗好蹲踞潔凈自喜 俗は蹲踞(しゃがむ)のを好む。潔浄で麤大(大きい 麤(ツー)=自(ツー)? 喜(チー)=大(ター)?)である。 以趨走為敬拜則曳一腳 趨走(小走り)を以て敬と為し、拝は則ち一脚を曳(ひ)く。 立各反拱行必搖手 立起(立ち上がる 各(コー)=起(キ)?)して拱(こまねく)を反(くりかえす)し、行歩(すすむ 必(ビー)=歩(ブ)?)は手を揺らす。 性多詭伏...

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婦人淫奔

婦人淫奔俗多游女 婦人は淫奔で、俗は遊女が多い。 有婚嫁者,取男女相然即為之 婚嫁者(仲人?)がいて、男女を取(選ぶ)って相(あい)悦(よろこ)べば、然るに即これを為す。 男家送豬酒而已無財聘之禮 男の家は豬酒(=酎酒(濃い酒)? 豬(チュー)=酎(チュウ)?)を送るだけで、財聘の礼は無い。 或有受財者人共恥之 或いは財を受け取った者がいれば、人は共(みな)にこれを恥じる。

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死者殯於屋內

死者殯於屋內經三年擇吉日而葬 死者は室内に於いて殯(かりもがり)し、三年を経て、吉日を択(えらぶ)して葬る。 居父母及夫之喪服皆三年兄弟三月 父母及び夫の喪に居(おる)るは、皆三年を服し、兄弟は三か月を服する。 初終哭泣葬則鼓舞作樂以送之 初めから終わりまで、哭泣し、葬れば、鼓舞が作楽してこれを送るを以てする。 埋訖悉取死者生時服玩車馬置於墓側...

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開皇初

開皇初頻有使入朝 (隋の)開皇(581年~600年)の初め、頻(たびたび)に使者の入朝が有った。 及平陳之後湯大懼 陳の平定(589年)の後に及んで、高句麗王湯(平原王 在位559年~590年)は大いに(隋を)懼(おそ)れ、 治兵積穀為守拒之策 兵を治めて穀物を積(たくわえる)し、守拒の策をとった。

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