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張廷尉事景帝歲餘

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張廷尉事景帝歲餘為淮南王相猶尚以前過也

張廷尉(漢廷尉張釈之)が漢孝景帝劉啓に仕(つか)えて一年余りして、淮南王劉安の宰相に為ったのは、やはりなお前の過(あやま)ちを以ってしたのである。

久之釋之卒其子曰張摯

しばらくして淮南相張釈之が亡くなった。その子は張摯といい、

字長公官至大夫免

字(あざな)は長公、官は大夫に至ったが、免(めん)ぜられた。

以不能取容當世故終身不仕

当世に一時しのぎの容認を取ることができずを以ってして、故(ゆえ)に身を終えるまで仕(つか)えなかった。

馮唐者其大父趙人父徙代

馮唐という者はその祖父は趙の人で、父は代に移(うつ)った。

漢興徙安陵唐以孝著為中郎署長事文帝

漢が興(おこ)ると安陵に移(うつ)った。馮唐は孝行を以って明らかになり、漢中郎署長と為って、漢孝文帝劉恒に仕(つか)えた。

文帝輦過問唐曰父老何自為郎家安在

漢孝文帝劉恒のてぐるまが通り過ぎ、漢中郎署長馮唐に問(と)うた、曰く、「父老(老人の敬称)はどうして自ら郎に為ったのか?家はどこに在(あ)るのか?」と。

唐具以實對文帝曰

漢中郎署長馮唐は具(つぶさ)に実(まこと)を以って応(こた)えた。漢孝文帝劉恒曰く、

吾居代時吾尚食監高袪數為我言趙將李齊之賢戰於鉅鹿下

「吾(われ)が代に居(い)た時、吾(わ)が尚食監の高袪がたびたび我(われ)の為(ため)に趙将李齊の、鉅鹿の下(もと)に於いての戦いの賢(けん)を言った。

今吾每飯意未嘗不在鉅鹿也父知之乎

今、吾(われ)は食事をするごとに、意(い)は、未(いま)だ嘗(かつ)て鉅鹿になかったことはない。あなたはこれ(趙将李齊)を知っていますか?」と。

唐對曰尚不如廉頗李牧之為將也

漢中郎署長馮唐曰く、「なお廉頗、李牧の将軍と為るには及(およ)びません」と。

上曰何以唐曰臣大父在趙時

上(漢孝文帝劉恒)曰く、「何ものを以ってか?」と。漢中郎署長馮唐曰く、「わたしの祖父は趙に在(あ)った時、

為官(卒)[率]將善李牧

官と為って兵を率(ひき)い、趙将李牧と仲善くしていました。

臣父故為代相善趙將李齊知其為人也

わたしの父は以前、代相であった時、趙将李齊と仲善くしており、その人と為(な)りを知っているのです」と。

上既聞廉頗李牧為人良說而搏髀曰

上(漢孝文帝劉恒)はすでに廉頗、李牧の人と為(な)りを聞きおわると、まことに悦(よろこ)び、しこうして、ふとももを手てたたいて曰く、

嗟乎吾獨不得廉頗李牧時為吾將吾豈憂匈奴哉

「ああ、吾(われ)はよりによって廉頗、李牧の時を得られない。吾(われ)の為(ため)に兵を率いれば、吾(われ)はどうして匈奴(きょうど)に憂(うれ)えようかな」と。

唐曰主臣陛下雖得廉頗李牧弗能用也

漢中郎署長馮唐曰く、「臣下をつかさどるは、陛下が廉頗、李牧を得たと雖(いえど)も、用いることはできないでしょう」と。

上怒起入禁中良久召唐讓曰

上(漢孝文帝劉恒)は怒り、立ち上がって禁中に入ってしまった。しばらくして、漢中郎署長馮唐を召(め)して曰く、

公柰何眾辱我獨無處乎

「公はどうして吾(われ)を衆の面前で辱(はずかし)め、よりによって人払いした処でしなかったのか?」と。

唐謝曰鄙人不知忌諱

漢中郎署長馮唐は謝(しゃ)して曰く、「田舎者で忌(い)み嫌(きら)うことを知らなかったのです」と。

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