所處宮室常有兵守衛
処する所は宮室で、常に兵がいて守衛する。
至魏景初三年公孫淵誅後卑彌呼始遣使朝貢
魏景初三年に至り、公孫淵の誅の後、卑弥呼は使者を遣わし朝貢することを始めた。
魏以為親魏王假金印紫綬
魏は魏王に親しむと為すを以て、金印紫綬を叙(位階、官職をさずける 仮(シア)=叙(シュイ)?)した。
正始中卑彌呼死更立男王國中不服更相誅殺
正始中、卑弥呼が死に、更(あらためる)に男王を立てたが、国中は不服で、更に相(あい)誅殺し、
復立卑彌呼宗女臺與為王
復(また)、卑弥呼の宗女の台与を立てて王にした。
其後復立男王並受中國爵命
その後、復(また)男王を立て、並びに中国の爵命を受けた。
処する所は宮室で、常に兵がいて守衛する。
至魏景初三年公孫淵誅後卑彌呼始遣使朝貢
魏景初三年に至り、公孫淵の誅の後、卑弥呼は使者を遣わし朝貢することを始めた。
魏以為親魏王假金印紫綬
魏は魏王に親しむと為すを以て、金印紫綬を叙(位階、官職をさずける 仮(シア)=叙(シュイ)?)した。
正始中卑彌呼死更立男王國中不服更相誅殺
正始中、卑弥呼が死に、更(あらためる)に男王を立てたが、国中は不服で、更に相(あい)誅殺し、
復立卑彌呼宗女臺與為王
復(また)、卑弥呼の宗女の台与を立てて王にした。
其後復立男王並受中國爵命
その後、復(また)男王を立て、並びに中国の爵命を受けた。