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齊淳于司馬病臣意切其脈

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齊淳于司馬病臣意切其脈

斉の淳于司馬が病(やまい)にかかり、わたしはその脈を診断して、

告曰當病迵風

告げて曰く『まさに病(やまい)は迵風でしょう。

迵風之狀飲食下嗌輒後之

迵風の症状は、飲食してのどを下(くだ)らず、ことごとくみなこれをもどしてしまうのです。

病得之飽食而疾走

病(やまい)は腹いっぱい食べて疾走(しっそう)したことから得られたのです』と。

淳于司馬曰我之王家食馬肝

淳于司馬曰く、『我(われ)の王家で馬の肝臓を食べ、

食飽甚見酒來即走去

腹いっぱい食べること甚(はなは)だで、酒が来たのを見ると、すぐに走って去り、

驅疾至舍即泄數十出

速く駆(か)けて舎(家)に至り、そこで排泄すること数十回出しました』と。

臣意告曰為火齊米汁飲

わたしは告げて曰く『火斉米汁を作って飲み、

七八日而當愈時醫秦信在旁

七、八日すればきっと癒(い)えることでしょう』と。このとき、医者の秦信が傍(かたわ)らにおり、

臣意去信謂左右閣都尉曰

わたしが去ると、秦信は左右の閣都尉に謂(い)いました、曰く、

意以淳于司馬病為何曰

『意(淳于意)は淳于司馬の病を以って何と為したのですか?』と。曰く、

以為迵風可治信即笑曰

『迵風と思い、治(なお)すことができると』と。秦信はすなわち笑って曰く、

是不知也淳于司馬病

『これは知らないのです。淳于司馬の病は、

法當後九日死即後九日不死

法ではまさに九日後に死ぬと』と。すなわち、九日後に死にませんでした。

其家復召臣意臣意往問之盡如意診

その家はまたわたしを召し寄せました。わたしは往(ゆ)きこれに問い、ことごとく思うとおりに診(み)ました。

臣即為一火齊米汁使服之七八日病已

わたしはそこでただ火斉米汁だけをつくり、これに服用させ、七、八日で病(やまい)はいえました。

所以知之者診其脈時

これを知ったわけとは、その脈を診(み)た時、

切之盡如法其病順故不死

法の如(ごと)くを尽(つ)くしてこれを診断したからです。その病はおだやかで故(ゆえ)に死ななかったのです。

齊中郎破石病臣意診其脈

斉の中郎破石が病(やまい)にかかり、わたしはその脈を診(み)て、

告曰肺傷不治當後十日丁亥溲血死

告げて曰く、『肺が傷つき治(なお)りません。まさに十日後丁亥の日に血便をして死ぬでしょう』と。

即後十一日溲血而死

すなわち十一日後、血便をして死にました。

破石之病得之墮馬僵石上

斉中郎破石の病(やまい)は馬から堕(お)ちて石の上にあおむけに落ちたことから得られました。

所以知破石之病者切其脈

斉中郎破石の病(やまい)を知ったわけとは、その脈を診断して、

得肺陰氣其來散數道至而不一也

肺の陰気を得て、その脈のあがるときに散(ち)って、いくつかのすじみちが至って、
一(いつ)でなかったからで、

色又乘之所以知其墮馬者切之得番陰脈

顔色もまたこれに乗(じょう)じていました。その馬から堕(お)ちたことを知ったわけとは、これを診断したとき番陰脈を得たからです。

番陰脈入虛里乘肺脈

番陰脈が虚里に入ると肺脈に乗(じょう)じます。

肺脈散者固色變也乘也

肺脈が散(さん)ずれば、固(もと)より顔色が変ずるのに、乗(じょう)ずるのであります。

所以不中期死者師言曰

期を中(あ)てられずに死んだわけとは、先生が言いました、曰く、

病者安穀即過期不安穀則不及期

『病人が穀物を安(やす)んずれば、すなわち死期を過(す)ぎ、穀物を安(やす)んじなければ、死期に及(およ)ばない』と。

其人嗜黍黍主肺故過期

その人は黍(きび)を嗜(たしな)み、黍(きび)は肺をつかさどり、故(ゆえ)に死期を過(す)ぎた
のです。

所以溲血者診脈法曰

血の便をしたわけとは、診脈法に曰く、

病養喜陰處者順死養喜陽處者逆死

『病(やまい)は陰処を喜んで養う者は死の流れに順(じゅん)じ、陽処を喜んで養う者は死の流れに逆(さか)らう』と。

其人喜自靜不躁

その人は自ら静かにしてさわがしくしないことを喜び、

又久安坐伏几而寐故血下泄

また、長く安座(あんざ)して、ひじかけに伏(ふ)してねむり、故(ゆえ)に血が下(さ)がって
排泄したのです。

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