時馮文通率眾奔之
馮文通(=馮弘 馮跋(後燕の慕容熙を滅ぼし、燕王(北燕)を号した 宋と連携)の弟(宋書では子))
世祖遣散騎常侍封撥詔令送文通
世祖(北魏太武帝)は散騎常侍封撥を遣わし、(高句麗長寿王)に詔(みことのり)して文通を送らせようとした。
上書稱當與文通俱奉王化竟不送
は上書して当(まさ)に文通と俱(ともに)に王化を奉らんとすべし、と称(とな)えて、竟(とうとう)送らなかった。
世祖怒欲往討之
世祖は怒り、往ってこれを討つことを欲した。
樂平王丕等議待後舉世祖乃止而文通亦尋為所殺
楽平王丕らが後(のち)の挙動を待つことを議し、世祖は乃ち止(や)めた。しこうして、文通も亦(また)、尋(まもなく)にの殺す所と為った。
馮文通(=馮弘 馮跋(後燕の慕容熙を滅ぼし、燕王(北燕)を号した 宋と連携)の弟(宋書では子))
世祖遣散騎常侍封撥詔令送文通
世祖(北魏太武帝)は散騎常侍封撥を遣わし、(高句麗長寿王)に詔(みことのり)して文通を送らせようとした。
上書稱當與文通俱奉王化竟不送
は上書して当(まさ)に文通と俱(ともに)に王化を奉らんとすべし、と称(とな)えて、竟(とうとう)送らなかった。
世祖怒欲往討之
世祖は怒り、往ってこれを討つことを欲した。
樂平王丕等議待後舉世祖乃止而文通亦尋為所殺
楽平王丕らが後(のち)の挙動を待つことを議し、世祖は乃ち止(や)めた。しこうして、文通も亦(また)、尋(まもなく)にの殺す所と為った。