民皆土著隨山谷而居
民皆土著隨山谷而居衣布帛及皮 民は皆、土着(著=着)で、山の谷に随して居し、布、帛(きぬ)、及び皮を衣(着る)す。 土田薄?脊蠶農不足以自供故其人節飲食 土田は薄(少ない)く、瘠(やせる 脊=瘠?)し、蚕農は自供するには足らず、故(ゆえ)にその人は飲食を節する。 其俗淫好歌舞夜則男女群聚而戲 その俗は淫らで、歌舞を好み、夜になれば、男女が群れ聚(あつまる)して戯れる。 無貴賤之節然潔凈自喜...
View Article其王好治宮室
其王好治宮室其官名有謁奢太奢大兄小兄之號 その王は宮室を飾(かざる 治(チー)=飾(チー)?)ることを好む。 その官名は、謁奢、太奢、大兄、小兄の号が有る。 頭著折風其形如弁旁插鳥羽貴賤有差 頭には折風(かぶりものの名)を著(つける)し、その形は弁(かんむりの名)の如くで、 傍らに鳥の羽を挿(さ)し、貴賤には差が有る。 立則反拱跪拜曳一腳行步如走 立てば平拱(うでをたいらにこまねく...
View Article好蹲踞食用俎凡
好蹲踞食用俎凡 蹲踞(しゃがむ)を好む。食事には俎凡(お膳、お盆 凡(ボン)=盆(ボン)?)を用いる。 出三尺馬云本朱蒙所乘馬種即果下也 三尺馬(おそらく朝鮮馬?)を出だし、本(祖先)の朱蒙が乗った所と云う。馬種は即ち果下(ポニー種)である。 後貢使相尋歲致黃金二百斤白銀四百斤 後に貢使が相(つぎつぎと)尋(訪問する)し、歳(一年)に黄金二百斤、白銀四百斤を致(送る)した。
View Article時馮文通率眾奔之
時馮文通率眾奔之 馮文通(=馮弘 馮跋(後燕の慕容熙を滅ぼし、燕王(北燕)を号した 宋と連携)の弟(宋書では子)) 世祖遣散騎常侍封撥詔令送文通 世祖(北魏太武帝)は散騎常侍封撥を遣わし、(高句麗長寿王)に詔(みことのり)して文通を送らせようとした。 上書稱當與文通俱奉王化竟不送 は上書して当(まさ)に文通と俱(ともに)に王化を奉らんとすべし、と称(とな)えて、竟(とうとう)送らなかった。...
View Article後文明太后以顯祖六宮未備
後文明太后以顯祖六宮未備 後、文明太后 顯祖(北魏献文帝)の六宮が未だ備わっていないのを以て、 敕令薦其女 に敕(みことのり)して、その女(娘)を薦めさせた。 奉表云女已出嫁 は奉表して、娘はすでに嫁に出たと云い、 求以弟女應旨朝廷許焉 弟の娘を以て旨(むね)に応(こた)えることを求め、朝廷は許した。 乃遣安樂王真尚書李敷等至境送幣 乃ち、安楽王真、尚書李敷らを遣わし、境に至って、幣を送った。
View Article惑其左右之說
惑其左右之說 はその左右の説に惑った。 雲朝廷昔與馮氏婚姻, 朝廷は昔、馮氏と婚姻し、 未幾而滅其國 幾ばくもしないうちにしてその国を滅ぼしました。 殷鑒不遠宜以方便辭之 殷鑑不遠(歴史は繰り返す)で、宜しく方便を以てこれを辞するべきです、と云(雲)った。
View Article遂上書
遂上書妄稱女死 は遂に上書して女(弟の娘)は死んだと妄称(でたらめをいう)した。 朝廷疑其矯詐又遣假散騎常侍程駿 朝廷はその矯詐(事実をまげ、いつわる)を疑い、又、仮散騎常侍程駿を遣わし、 切責之若女審死者聽更選宗淑 若(も)し女が死んだと審(つまびらかにする)すれば、更(あらためる)に宗族の淑女を選ぶことを聴き入れるようにと、これに切責(きびしく要求)した。 云若天子恕其前愆謹當奉詔...
View Article至高祖時貢獻倍前
至高祖時貢獻倍前其報賜亦稍加焉 高祖(北魏 孝文帝)の時に至り、は前の二倍に貢献したので、その報賜も亦(また)稍加(少し加える)した。 時光州於海中得所遣詣蕭道成使餘奴等 時に光州(膠州(青島の辺り)? 光(コウ)=膠(コウ)?)が海中に於いて、が蕭道成(南斉の初代皇帝)に遣詣させた所の使者の余奴らを得た。 高祖詔責曰道成親殺其君竊號江左...
View Article今不以一過掩卿舊款
今不以一過掩卿舊款 今は、一つの過(あやまち)を以て卿の旧款(以前のまごころ)を掩(おおいかくす)ずることはせず、 即送還籓其感恕思衍 即ち、藩に送還する。その恕(おもいやり)を感じ、衍(ゆたかさ)を思い、 只承明憲輯寧所部動靜以聞 只(ただ)、明憲を承り、部所を輯寧(やわらげやすんじる)し、動静は聞くを以てせよ」と。
View Article太和十五年死年百餘歲
太和十五年死年百餘歲 太和十五年(491年)、が死んだ。年は百余歳。 高祖舉哀於東郊遣謁者僕射李安上策贈車騎大將軍太傅遼東郡開國公高句麗王謚曰康...
View Article又遣大鴻臚拜孫云
又遣大鴻臚拜孫云使持節都督遼海諸軍事征東將軍領護東夷中郎將遼東郡開國公高句麗王 又、大鴻臚を遣わしの孫の雲に、使持節、都督遼海諸軍事、征東將軍、領護東夷中郎將、遼東郡開國公、高句麗王を拝した。 賜衣冠服物車旗之飾又詔雲遣世子入朝令及郊丘之禮 衣冠服物、車旗の飾を賜り、又、雲に世子(世継ぎの子)を遣わし入朝させ、礼(令(レイ)=礼(レイ)?)及び郊丘の礼をするよう詔(みことのり)した。...
View Article正始中世宗於東堂引見
正始中世宗於東堂引見其使芮悉弗 正始中(504年~508年)、世宗(北魏第七代皇帝宣武皇帝)は、東堂に於いて、その使者の芮悉弗に引見した。 悉弗進曰高麗系誠天極累葉純誠地產土毛無愆王貢 悉弗は進んで曰く、「高麗は誠を天極(おそらくオリオン座? 史記天官書より)に系(つぐ)し、累葉(代々)純誠で、地は土毛(土に生える作物)を産み、王貢に愆(あやまち)無し。 但黃金出自夫餘珂則涉羅所產...
View Article今夫餘為勿吉所逐涉羅為百濟所並
今夫餘為勿吉所逐涉羅為百濟所並 今、夫余は勿吉の逐(追い払う)する所と為り、涉羅(車嶺山脈の忠州辺り(大華鉱山)? 音より)は百済の併(あわせる 並(ヘイ)=併(ヘイ)?)する所と為りました。 國王臣雲惟繼絕之義悉遷於境內 国王の臣雲は惟(ただ)絶の義(すぐれた忠義)を継ぎ、境内(国の領域内)に於いての遷(変化する)を悉(もれなく知り尽くす)くしています。 二品所以不登王府實兩賊是為...
View Article世宗曰高麗世荷上將
世宗曰高麗世荷上將專制海外 世宗は曰く、「高麗は世(代々)上将軍を荷(ひきうける)し、海外を専制する。 九夷黠虜實得征之 九夷は黠虜(わるがしこい敵)で、実にこれを征するを得(~しなければならない)る。 瓶罄恥誰之咎也 瓶(かめ)(の酒)が罄(つきる)するは恥、誰の咎(とが)であろうか。 昔方貢之愆責在連率 昔、貢の愆(あやまち)に方(あたって)して、率(将軍(高麗長寿王)...
View Article卿宜宣朕旨於卿主
卿宜宣朕旨於卿主務盡威懷之略 卿は宜しく朕の旨を卿主に宣(のべる)し、威光(懐(カイ)=光(コウ)?)の略(みまわる)を尽くし、 揃披害群輯寧東裔 害群を揃披(ほろぼす)し、東裔(ひがしのはて)を輯寧(やわらげやすんじる)することに務めるべし。 便二邑還復舊墟土毛無失常貢也 便(すなわち)二邑(夫余と渉羅)は還り、旧墟を復す。土毛(その土地の産物)は常の貢を失うことは無いであろう」と。
View Article神龜中云死靈太后為舉哀於東堂
神龜中云死靈太后為舉哀於東堂 神龜中(518~520)、雲が死んだ。霊太后(北魏世宗の妃嬪)は挙哀(哀悼の礼式)を東堂に於いて為した。 遣使策贈車騎大將軍領護東夷校尉遼東郡開國公高句麗王 使者を遣わし索(はげます)して、車騎大將軍、領護東夷校尉、遼東郡開國公、高句麗王を贈った。 又拜其世子安為安東將軍領護東夷校尉遼東郡開國公高句麗...
View Article正光初光州又於海中
正光初光州又於海中執得蕭衍所授安寧東將軍衣冠劍佩 正光初年(520)、膠州(青島辺り 光(コウ)=膠(コウ)?)がまた海中に於いて、蕭衍(南朝梁の初代皇帝)が安(高句麗安臧王)に授けた所の寧東将軍の衣冠剣佩、 及使人江法盛等送於京師安死子延立 及び使人の江法盛らを執得(とる)し、京師に送った。安が死に、子の延(高句麗安原王)が立った。...
View Article魏書 百済伝 始め
百濟國其先出自夫餘 百済国(六世紀初め首都を南韓地に遷す(おそらく全州チョンジュ)?梁書百済伝より)は、その先は夫余(ピョンヤン? 音より)より出でる。 其國北去高句麗千餘里處小海之南 その国の北は、高句麗(首都はソウル?(三京(ソウル、インチョン、スウォン?)より 隋書高句麗伝))を去ること一千余里(一里150m換算で約150厖召蝓法⊂白(ソベク山脈? 海(ハイ)=白(バイ)?)の南に処する。...
View Article延興二年其王餘慶
延興二年其王餘慶始遣使上表曰 延興二年(472)、その王の余慶は始めて使者を遣わし上表して曰く、 臣建國東極豺狼隔路雖世承靈化 「わたしは、東極に建国いたしましたが、豺狼(やまいぬ)が路を隔て、世(代々)礼化(人と交わるのにふみ行うべきみち 霊(レイ)=礼(レイ)?))を承ると雖も、 莫由奉籓瞻望雲闕馳情罔極...
View Article涼風微應
涼風微應伏惟皇帝陛下協和天休 涼風が微(わずかに)に応(こた)え、伏して皇帝陛下の協和(やわらぐ)、天休(天子のめぐみ)を惟(おもう)するは、 不勝系仰之情謹遣私署冠軍將軍 敬仰(うやまいあおぐこと...
View Article