百濟國其先出自夫餘
百済国(六世紀初め首都を南韓地に遷す(おそらく全州チョンジュ)?梁書百済伝より)は、その先は夫余(ピョンヤン? 音より)より出でる。
其國北去高句麗千餘里處小海之南
その国の北は、高句麗(首都はソウル?(三京(ソウル、インチョン、スウォン?)より 隋書高句麗伝))を去ること一千余里(一里150m換算で約150厖召蝓法⊂白(ソベク山脈? 海(ハイ)=白(バイ)?)の南に処する。
其民土著地多下濕率皆山居
その民は土着(著(チョ)=着(チャク)?)で、土地は夏(なつ 下(カ)=夏(カ)?)の湿気が多く、率(おおかた)、皆(みな)山居(山に住む)する。
有五穀其衣服飲食與高句麗同
五穀が有り、その衣服、飲食は高句麗と同じである。
百済国(六世紀初め首都を南韓地に遷す(おそらく全州チョンジュ)?梁書百済伝より)は、その先は夫余(ピョンヤン? 音より)より出でる。
其國北去高句麗千餘里處小海之南
その国の北は、高句麗(首都はソウル?(三京(ソウル、インチョン、スウォン?)より 隋書高句麗伝))を去ること一千余里(一里150m換算で約150厖召蝓法⊂白(ソベク山脈? 海(ハイ)=白(バイ)?)の南に処する。
其民土著地多下濕率皆山居
その民は土着(著(チョ)=着(チャク)?)で、土地は夏(なつ 下(カ)=夏(カ)?)の湿気が多く、率(おおかた)、皆(みな)山居(山に住む)する。
有五穀其衣服飲食與高句麗同
五穀が有り、その衣服、飲食は高句麗と同じである。