高麗者出自扶餘之別種也
高麗とは、出自は扶余(ピョンヤン(平壌)? 音より)の別種である。
其國都於平壤城即漢樂浪郡之故地在京師東五千一百里
その国は平壤城(おそらくソウル? (またの名を長安城 隋書高句麗伝より)に於いて都し、すなわち漢の楽浪郡の故地であり、京師(おそらく膠州(青島)? 京(チン)=膠(チアオ)? 師(シ)=州(ス)?)の東五千一百里(一里150m換算で約7650辧砲忘澆襦
東渡海至於新羅西北渡遼水至於營州
東に海を渡ると新羅に至り、西北に遼水(おそらく漢江の下流部の西北に流れる幅の広い川?)を渡ると営州(おそらく音より海州(ヘジュ)?)に至る。
南渡海至於百濟北至靺鞨
南に海を渡ると百済に至り、北は靺鞨に至る。
東西三千一百里南北二千里
東西は三千一百里(一里150m換算で約465辧法南北は二千里(一里150m換算で約300辧砲任△襦
其官大者號大對盧比一品總知國事
その官の大きいものは大対盧と号し、一品(最高の官位)に比し、国事を総知する。
三年一代若稱職者不拘年限
三年に一度代わり、若し職に称(適している)すれば、年限に拘わらない。
交替之日或不相祗服皆勒兵相攻勝者爲之
交替の日、或いはたがいに祗服(つつしんで命令に服する)しなければ、皆、勒兵(軍隊を整え指揮する)してたがいに攻め、勝者がこれに為る。
其王但閉宮自守不能制禦
その王は但(もっぱら)、宮を閉めて、自ら守り、制禦することはできない。
高麗とは、出自は扶余(ピョンヤン(平壌)? 音より)の別種である。
其國都於平壤城即漢樂浪郡之故地在京師東五千一百里
その国は平壤城(おそらくソウル? (またの名を長安城 隋書高句麗伝より)に於いて都し、すなわち漢の楽浪郡の故地であり、京師(おそらく膠州(青島)? 京(チン)=膠(チアオ)? 師(シ)=州(ス)?)の東五千一百里(一里150m換算で約7650辧砲忘澆襦
東渡海至於新羅西北渡遼水至於營州
東に海を渡ると新羅に至り、西北に遼水(おそらく漢江の下流部の西北に流れる幅の広い川?)を渡ると営州(おそらく音より海州(ヘジュ)?)に至る。
南渡海至於百濟北至靺鞨
南に海を渡ると百済に至り、北は靺鞨に至る。
東西三千一百里南北二千里
東西は三千一百里(一里150m換算で約465辧法南北は二千里(一里150m換算で約300辧砲任△襦
其官大者號大對盧比一品總知國事
その官の大きいものは大対盧と号し、一品(最高の官位)に比し、国事を総知する。
三年一代若稱職者不拘年限
三年に一度代わり、若し職に称(適している)すれば、年限に拘わらない。
交替之日或不相祗服皆勒兵相攻勝者爲之
交替の日、或いはたがいに祗服(つつしんで命令に服する)しなければ、皆、勒兵(軍隊を整え指揮する)してたがいに攻め、勝者がこれに為る。
其王但閉宮自守不能制禦
その王は但(もっぱら)、宮を閉めて、自ら守り、制禦することはできない。