敗走儉追至赬峴懸車束馬登丸都山屠其所都
敗走し、儉は追いかけて赬峴に至った。懸車束馬(険しい道を進む)して丸都山(高麗の都の有る山 おそらく光明市辺り?)に登り、その都する所を屠(さく きる)した。
位宮單將妻息遠竄六年儉復討之位宮輕將諸加奔沃沮
位宮は単に妻息(妻と子供)をひきいて、遠竄(遠くへ逃げる)した。六年(245)、儉が復(また)、これを討った。位宮は軽(身軽)にして諸加(もろもろの官)をひきいて、沃沮(ソクチョ辺り?)に奔(逃げる)した。
儉使將軍王頎追之絕沃沮千餘里到肅慎南刻石紀功
儉は将軍王頎をしてこれを追いかけさせ、沃沮を絶(へだてる)すること一千余里、肅慎(ウォンサンの辺り?)の南に到り、石に紀功を刻んだ。
又刊丸都山銘不耐城而還其後復通中夏
又、丸都山に還(かえる 刊(カン)=還(カン)?)するとき、不耐城(カンヌン辺り?)に銘して還った。その後、復(また)、中夏に通った。
敗走し、儉は追いかけて赬峴に至った。懸車束馬(険しい道を進む)して丸都山(高麗の都の有る山 おそらく光明市辺り?)に登り、その都する所を屠(さく きる)した。
位宮單將妻息遠竄六年儉復討之位宮輕將諸加奔沃沮
位宮は単に妻息(妻と子供)をひきいて、遠竄(遠くへ逃げる)した。六年(245)、儉が復(また)、これを討った。位宮は軽(身軽)にして諸加(もろもろの官)をひきいて、沃沮(ソクチョ辺り?)に奔(逃げる)した。
儉使將軍王頎追之絕沃沮千餘里到肅慎南刻石紀功
儉は将軍王頎をしてこれを追いかけさせ、沃沮を絶(へだてる)すること一千余里、肅慎(ウォンサンの辺り?)の南に到り、石に紀功を刻んだ。
又刊丸都山銘不耐城而還其後復通中夏
又、丸都山に還(かえる 刊(カン)=還(カン)?)するとき、不耐城(カンヌン辺り?)に銘して還った。その後、復(また)、中夏に通った。