後生男王置之豕牢豕以口氣噓之不死後徙于馬闌亦如之
後に男を生んだ。王はこれを豕牢(ぶた小屋)に置いた。豕は孚気(はぐくむ気持ち 口(ク)=孚(フ)?)を以てこれに乳(ちちを飲ませて育てる 噓(シュイ)=乳(ジュ)?)したので、死ななかった。後に馬闌(馬小屋)に徙(うつす)したが、亦(また)これの如くだった。
王以爲神命養之名曰東明及長善射王忌其猛復欲殺之
王は神だと思い、これを養育させることを命じた。名は曰く、東明と。成長するに及んで、射ることが善(上手い)になり、王はその猛を忌み、復(また)これを殺そうと欲した。
東明乃奔走南至淹滯水以弓擊水魚鱉皆爲橋東明乘之得度至夫餘而王焉
東明はそこで、奔走し、南に淹滯水(テドンガン?)に至り、弓を以て水(川)を撃つと、魚鱉(=鰐鰒と書けてワニのようなサメの意でおそらくチョウザメ?)が皆(みな)橋をつくり、東明はこれに乗って渡ることができた。夫余(おそらくピョンヤン? 音より)に至りて王になったのである。
後に男を生んだ。王はこれを豕牢(ぶた小屋)に置いた。豕は孚気(はぐくむ気持ち 口(ク)=孚(フ)?)を以てこれに乳(ちちを飲ませて育てる 噓(シュイ)=乳(ジュ)?)したので、死ななかった。後に馬闌(馬小屋)に徙(うつす)したが、亦(また)これの如くだった。
王以爲神命養之名曰東明及長善射王忌其猛復欲殺之
王は神だと思い、これを養育させることを命じた。名は曰く、東明と。成長するに及んで、射ることが善(上手い)になり、王はその猛を忌み、復(また)これを殺そうと欲した。
東明乃奔走南至淹滯水以弓擊水魚鱉皆爲橋東明乘之得度至夫餘而王焉
東明はそこで、奔走し、南に淹滯水(テドンガン?)に至り、弓を以て水(川)を撃つと、魚鱉(=鰐鰒と書けてワニのようなサメの意でおそらくチョウザメ?)が皆(みな)橋をつくり、東明はこれに乗って渡ることができた。夫余(おそらくピョンヤン? 音より)に至りて王になったのである。