奚本曰庫莫奚其先東部胡宇文之別種也
奚は、本(もと)は曰く、庫莫奚と。その先祖は東部胡の宇文(音と風俗よりエベン、またはエベンキ?(ツングース系民族 匈奴の宇文氏とは民族が異なると思います)の別種である。
初爲慕容晃所破遺落者竄匿松漠之間
初(以前)、暮容晃(鮮卑系の東胡(内モンゴル東部~満州西部の匈奴系)の破る所と為って、遺落者(逃げ落ちた者)は松漠の間(おそらく鴨緑江の南の北朝鮮松原ダムの辺り?)に竄匿(逃げ隠れる)した。
俗甚不潔淨而善射獵好爲寇抄
俗は甚だ潔淨ではなく、而して、射猟に善(上手い)で、寇抄を為すことを好む。
道武親自出討至弱水南大破之獲其馬牛羊豕十餘萬
登国三年(388)、太祖(北魏初代皇帝道武帝)は親自(みずから)討伐に出でて、弱水(弱洛水?(魏書庫莫奚伝より) 音からヤールー川と読めて鴨緑江?)の南に至り、これを大破した。その馬、牛、羊、豕の十余万頭を獲った。
奚は、本(もと)は曰く、庫莫奚と。その先祖は東部胡の宇文(音と風俗よりエベン、またはエベンキ?(ツングース系民族 匈奴の宇文氏とは民族が異なると思います)の別種である。
初爲慕容晃所破遺落者竄匿松漠之間
初(以前)、暮容晃(鮮卑系の東胡(内モンゴル東部~満州西部の匈奴系)の破る所と為って、遺落者(逃げ落ちた者)は松漠の間(おそらく鴨緑江の南の北朝鮮松原ダムの辺り?)に竄匿(逃げ隠れる)した。
俗甚不潔淨而善射獵好爲寇抄
俗は甚だ潔淨ではなく、而して、射猟に善(上手い)で、寇抄を為すことを好む。
道武親自出討至弱水南大破之獲其馬牛羊豕十餘萬
登国三年(388)、太祖(北魏初代皇帝道武帝)は親自(みずから)討伐に出でて、弱水(弱洛水?(魏書庫莫奚伝より) 音からヤールー川と読めて鴨緑江?)の南に至り、これを大破した。その馬、牛、羊、豕の十余万頭を獲った。