文成獻文之世庫莫奚歲致名馬文皮
文成帝(在位452~465)、献文帝(在位465~471)の世に、庫莫奚は歳に卑馬(背の低い馬 名(ベイ)=卑(ベイ)? 牛馬を飼育するツングースはソロンと呼ばれたそうです)、文(蜚(犭+眉)と書けてタイリクイタチ(チョウセンイタチ)?山海経より 文(ブン)=犭+眉(ビ)?)の毛皮を致(送る)した。
孝文初遣使朝貢太和四年輒入塞內辭以畏地豆幹抄掠詔書切責之
孝文帝(在位471~499)の初め頃、使者を遣わして朝貢した。太和四年(480)、輒(いつも)塞(とりで)の内に入り、辞(いいわけをいう)するに地豆於国(室韋の西、室韋の南は契丹 契丹(おそらくツングース系 庫莫奚と言語が同じ、また契丹は室韋と同類(後出)より 内モンゴルの契丹人とは同音の別系統だと思います)の西は庫莫奚なので、庫莫奚の北の辺り?)の鈔掠(略奪)を畏れるを以てしたと。
二十二年入寇安州時營燕幽三州兵數千人擊走之
二十二年(498)、安州に入寇した。時に営、燕、幽の三州の兵、数千人がこれを撃走した。
後復款附每求入塞交易
後、復(また)、款附(よろこんでつきしたがう)して、毎(いつも)入塞して交易することを求めた。
文成帝(在位452~465)、献文帝(在位465~471)の世に、庫莫奚は歳に卑馬(背の低い馬 名(ベイ)=卑(ベイ)? 牛馬を飼育するツングースはソロンと呼ばれたそうです)、文(蜚(犭+眉)と書けてタイリクイタチ(チョウセンイタチ)?山海経より 文(ブン)=犭+眉(ビ)?)の毛皮を致(送る)した。
孝文初遣使朝貢太和四年輒入塞內辭以畏地豆幹抄掠詔書切責之
孝文帝(在位471~499)の初め頃、使者を遣わして朝貢した。太和四年(480)、輒(いつも)塞(とりで)の内に入り、辞(いいわけをいう)するに地豆於国(室韋の西、室韋の南は契丹 契丹(おそらくツングース系 庫莫奚と言語が同じ、また契丹は室韋と同類(後出)より 内モンゴルの契丹人とは同音の別系統だと思います)の西は庫莫奚なので、庫莫奚の北の辺り?)の鈔掠(略奪)を畏れるを以てしたと。
二十二年入寇安州時營燕幽三州兵數千人擊走之
二十二年(498)、安州に入寇した。時に営、燕、幽の三州の兵、数千人がこれを撃走した。
後復款附每求入塞交易
後、復(また)、款附(よろこんでつきしたがう)して、毎(いつも)入塞して交易することを求めた。