鮮卑者亦東胡之支也別依鮮卑山故因號焉其言語習俗與烏桓同
鮮卑とは、亦、東胡の支(分家)である。別れて鮮卑山に依り、故に因りて号した。その言語、習俗は烏桓(吉林省長春市辺りが根拠地?烏洛侯国の北に位置する(旧唐書)より)と同じである。(鮮卑は北魏の建国者で、烏洛侯国の西北に北魏の先帝の旧居があるということから、おそらく吉林省四平市(スーピン)辺り? 又、音も似ています。四(スー)=鮮(セン)? 平(ヘイ)=卑(ヒ)?)
唯婚姻先髡頭以季春月大會於饒樂水上飲讌畢然後配合
唯(ただ)、婚姻では、先に婚娶(縁組 髡(コン)=婚(コン)? 頭(チュウ)=娶(チュイ)?)をし、季春月(陰暦三月)を以て饒楽水の上(ほとり)で大会する。飲讌(うたげ)が畢(おわる)すると、然る後に配合する。
又禽獸異於中國者野馬原羊角端牛以角為弓俗謂之角端弓者
又、禽獣は中国と異なり、野馬、原羊、角端牛は角を以て弓をつくる。俗にこれを謂うは、角端弓者と。
又有貂豽鼲子皮毛柔蝡故天下以為名裘
又、貂豽(黮貂と書けてクロテン? 貂(テウ)=黮(タン)? 豽(ドウ)=貂(テウ)?)、鼲子(オコジョ(山海経では狌狌)? 鼲(クン)=狌(キン)? 子(シ)=狌(キン)?)がいて、皮毛は柔蝡(やわらかい)で、故(ゆえ)に天下は名裘(すぐれた毛皮のコート)と為すを以てする。
漢初亦為冒頓所破遠竄遼東塞外與烏桓相接未常通中國焉
漢の初め頃、亦、冒頓の破る所と為り、遼東の塞(とりで)の外に遠竄(遠い国へ逃げかくれる)した。烏桓(吉林省長春市辺り?)と互いに接し、未だ常に中国に通ってはいない。
鮮卑とは、亦、東胡の支(分家)である。別れて鮮卑山に依り、故に因りて号した。その言語、習俗は烏桓(吉林省長春市辺りが根拠地?烏洛侯国の北に位置する(旧唐書)より)と同じである。(鮮卑は北魏の建国者で、烏洛侯国の西北に北魏の先帝の旧居があるということから、おそらく吉林省四平市(スーピン)辺り? 又、音も似ています。四(スー)=鮮(セン)? 平(ヘイ)=卑(ヒ)?)
唯婚姻先髡頭以季春月大會於饒樂水上飲讌畢然後配合
唯(ただ)、婚姻では、先に婚娶(縁組 髡(コン)=婚(コン)? 頭(チュウ)=娶(チュイ)?)をし、季春月(陰暦三月)を以て饒楽水の上(ほとり)で大会する。飲讌(うたげ)が畢(おわる)すると、然る後に配合する。
又禽獸異於中國者野馬原羊角端牛以角為弓俗謂之角端弓者
又、禽獣は中国と異なり、野馬、原羊、角端牛は角を以て弓をつくる。俗にこれを謂うは、角端弓者と。
又有貂豽鼲子皮毛柔蝡故天下以為名裘
又、貂豽(黮貂と書けてクロテン? 貂(テウ)=黮(タン)? 豽(ドウ)=貂(テウ)?)、鼲子(オコジョ(山海経では狌狌)? 鼲(クン)=狌(キン)? 子(シ)=狌(キン)?)がいて、皮毛は柔蝡(やわらかい)で、故(ゆえ)に天下は名裘(すぐれた毛皮のコート)と為すを以てする。
漢初亦為冒頓所破遠竄遼東塞外與烏桓相接未常通中國焉
漢の初め頃、亦、冒頓の破る所と為り、遼東の塞(とりで)の外に遠竄(遠い国へ逃げかくれる)した。烏桓(吉林省長春市辺り?)と互いに接し、未だ常に中国に通ってはいない。