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Channel: 倭人伝を解く
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陽嘉元年冬

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陽嘉元年冬耿曄遣烏桓親漢都尉戎朱廆率眾王侯咄歸等出塞抄擊鮮卑大斬獲而還賜咄歸等已下為率眾王侯長賜綵各有差

陽嘉元年(132)冬、耿曄は烏桓親漢都尉戎朱廆率衆王、率衆侯咄帰らを遣わし塞を出て鮮卑を抄擊した。大いに斬獲して還った。咄帰以下に賜り、率衆王、率衆侯、率衆長を賜り、綵を賜ること各(おのおの)差が有り。

鮮卑後寇遼東屬國於是耿曄乃移屯遼東無慮城拒之

鮮卑は後、遼東の属国を寇し、ここに於いて、耿曄は乃ち、遼東の無虜城に移屯しこれを拒んだ。

二年春匈奴中郎將趙稠遣從事將南匈奴骨都侯夫沈等,出塞擊鮮卑破之,斬獲甚眾詔賜夫沈金印紫綬及縑綵各有差

二年(133)春、匈奴中郎将趙稠が従事を遣わして南匈奴骨都侯夫沈らを将して、塞を出て鮮卑を撃ち、これを破った。斬獲は甚だ衆(多い)で、詔して夫沈に金印紫綬及び縑綵を賜り、各、差有り。

秋鮮卑穿塞入馬城代郡太守擊之不能克後其至鞬死鮮卑抄盜差稀

秋、鮮卑は塞を穿って馬城に入った。代郡太守はこれを撃ったが、克つことができなかった。後、其至鞬が死に、鮮卑の抄盗は差(いくぶん)稀(まれ)になった。

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