天子總攬群策和而納焉乃詔有司開北鄙擇肥美之地量水草以處之
天子は郡策を総攬し、和して納めた。乃ち、有司に詔して北鄙を開き、肥美の地を択(えらぶ)し、水草を量り、之に処(住む)するを以てした。
馳中郎之使盡法度以臨之制衣裳備文物加璽紱之綬正單于之名
中郎の使いを馳せ、法度を尽くして之に臨むを以てし、衣裳を制し、文物を備え、璽紱の綬を加え、単于の名を正した。
於是匈奴分破始有南北二庭焉讎釁既深互伺便隙控弦抗戈覘望風塵雲屯鳥散更相馳突至於陷潰創傷者靡歲或寧而漢之塞地晏然矣
是(ここ)に於いて匈奴は分破し、南北に二つの庭を有することが始まった。讎釁(敵対する)は既に深く、互いに便(機会)隙(すき)を伺い、控弦(弓のつるを引くこと)抗戈(ホコをあげる)し、風塵を覘望(うかがいのぞむ)し,雲屯鳥散、雲のように屯(あつまり)し、鳥のように散り、更に相(互いに)馳突し、陷潰(やぶれる)創傷(きずつく)に至る者は、歲(とし)に或寧(ことによると安んずる)することは靡(ない)で、而して、漢の塞地は晏然(やすらかなさま)としていた。
後亦頗為出師并兵窮討命竇憲耿夔之徒前後並進皆用果譎設奇數異道同會究掩其窟穴
後、亦、頗る出師を為し、兵を併せて討つを窮め、竇憲、耿夔の徒に命じ、前後して並び進ませ、皆、偽譎(あざむく 果(カ)=偽(カ)?)を用い、奇数(奇計)を設け、道を異にして会を同じにし、その窟穴(ねじろ)を究掩(きわめ不意をおそう)した。
躡北追奔三千餘里遂破龍祠焚罽幕阬十角梏閼氏銘功封石倡呼而還
北に躡(いそぐ)して追奔(追う)すること三千余里(一里150m換算で約450厖召蝓法⊃襪卜吟を破り、罽幕を焚(焼く)し、十角を阬(あなうめにする)し、閼氏(后)を梏(とらえる)し、功を銘し石を封じ、倡呼にして還った。
單于震懾屏氣蒙氈遁走於烏孫之地而漠北空矣
単于は震懾屏気(おそれつつしむ)し、蒙氈(毛織の敷き物をつつむ)して烏孫の地に遁走し、而して漠北は空(から)になった。
天子は郡策を総攬し、和して納めた。乃ち、有司に詔して北鄙を開き、肥美の地を択(えらぶ)し、水草を量り、之に処(住む)するを以てした。
馳中郎之使盡法度以臨之制衣裳備文物加璽紱之綬正單于之名
中郎の使いを馳せ、法度を尽くして之に臨むを以てし、衣裳を制し、文物を備え、璽紱の綬を加え、単于の名を正した。
於是匈奴分破始有南北二庭焉讎釁既深互伺便隙控弦抗戈覘望風塵雲屯鳥散更相馳突至於陷潰創傷者靡歲或寧而漢之塞地晏然矣
是(ここ)に於いて匈奴は分破し、南北に二つの庭を有することが始まった。讎釁(敵対する)は既に深く、互いに便(機会)隙(すき)を伺い、控弦(弓のつるを引くこと)抗戈(ホコをあげる)し、風塵を覘望(うかがいのぞむ)し,雲屯鳥散、雲のように屯(あつまり)し、鳥のように散り、更に相(互いに)馳突し、陷潰(やぶれる)創傷(きずつく)に至る者は、歲(とし)に或寧(ことによると安んずる)することは靡(ない)で、而して、漢の塞地は晏然(やすらかなさま)としていた。
後亦頗為出師并兵窮討命竇憲耿夔之徒前後並進皆用果譎設奇數異道同會究掩其窟穴
後、亦、頗る出師を為し、兵を併せて討つを窮め、竇憲、耿夔の徒に命じ、前後して並び進ませ、皆、偽譎(あざむく 果(カ)=偽(カ)?)を用い、奇数(奇計)を設け、道を異にして会を同じにし、その窟穴(ねじろ)を究掩(きわめ不意をおそう)した。
躡北追奔三千餘里遂破龍祠焚罽幕阬十角梏閼氏銘功封石倡呼而還
北に躡(いそぐ)して追奔(追う)すること三千余里(一里150m換算で約450厖召蝓法⊃襪卜吟を破り、罽幕を焚(焼く)し、十角を阬(あなうめにする)し、閼氏(后)を梏(とらえる)し、功を銘し石を封じ、倡呼にして還った。
單于震懾屏氣蒙氈遁走於烏孫之地而漠北空矣
単于は震懾屏気(おそれつつしむ)し、蒙氈(毛織の敷き物をつつむ)して烏孫の地に遁走し、而して漠北は空(から)になった。