弘為人意忌外內深諸嘗與弘有卻者雖詳與善陰報其禍
公孫弘の人と為りは心で憎(にく)んで、外(そと)では寛容(かんよう)で、内(うち)で深い。諸(もろもろ)の嘗(かつ)て公孫弘と仲たがいがあった者は、偽(いつわ)って仲がよいふりをしたと雖(いえど)も、ひそかにその禍(わざわい)に報(むく)いる。
殺主父偃徙董仲舒於膠西皆弘之力也食一肉脫粟之飯
主父偃を殺し、董仲舒を膠西に移(うつ)したのも、皆(みな)公孫弘の力である。食事は一つの肉に殻(から)をとった粟(あわ)の飯(めし)だった。
故人所善賓客仰衣食弘奉祿皆以給之家無所餘士亦以此賢之
故(ゆえ)に人の仲の善いところの賓客が衣食を仰(あお)ぐと、公孫弘は禄(ろく)を奉(たてまつ)って、これに給するを以ってし、家には残すところは無かった。士もまたこれを以ってこれを尊敬した。
淮南衡山謀反治黨與方急
淮南王劉安、衡山王劉賜が謀反(むほん)し(元狩元年)、党与(組を作っている仲間)を治(おさ)めまさに急にならんとしたとき、
弘病甚自以為無功而封位至丞相宜佐明主填撫國家使人由臣子之道
漢丞相公孫弘の病が甚(はなは)だしく、みずから、功無くして封ぜられ、位は丞相に至った(元朔五年)ことを思い、宜(よろ)しく明主を補佐して国家を鎮撫(ちんぶ)し、人をして臣子の道に由(よ)らせしめるべきで、
今諸侯有畔逆之計此皆宰相奉職不稱恐竊病死無以塞責
今、諸侯が叛逆の計を有したのは、これ皆(みな)宰相が職を奉(たてまつ)るに称(たた)えられなかったからで、ひそかに病死して、責められることを防(ふせ)ぐを以ってすることが無いことを恐れた。
乃上書曰臣聞天下之通道五所以行之者三
そこで、上書して曰く、「わたしは聞きます、天下の通道は五つで、これを行(おこな)うを以ってするところのものは、三つである、と。
曰君臣父子兄弟夫婦長幼之序此五者天下之通道也
曰く、君臣、父子、兄弟、夫婦、長幼の順序、この五者が天下の通道であります。
智仁勇此三者天下之通所以行之者也
智、仁、勇、この三者が天下の通徳で、これを行うを以ってするところのものであります。
故曰力行近乎仁好問近乎智知恥近乎勇
故(ゆえ)に曰く、力行が近づくは仁、学問を好むが近づくは智、恥を知るが近づくは勇、と。
知此三者則知所以自治知所以自治然後知所以治人
この三者を知れば、自らを治(おさ)める方法を知ります。自らを治(おさ)める方法を知れば、
然(しか)る後に人を治(おさ)める方法を知ります。
天下未有不能自治而能治人者也此百世不易之道也
天下には未(ま)だ、自らを治(おさ)めることができずして、人を治(おさ)めることができた者は有りません。これ百代変わることない道であります。
今陛下躬行大孝鑒三王建周道兼文武賢予祿量能授官
今、陛下自(みずか)ら大孝行を行い、三王を手本にして、周の道を建(た)て、文武(ぶんぶ)を兼(か)ねて、賢者を励(はげ)まして禄(ろく)を与(あた)え、能力を量(はか)って官位を授(さず)けています。
今臣弘罷駑之質無汗馬之勞陛下過意擢臣弘卒伍之中封為列侯致位三公
今、わたしは、疲れたのろい馬の状態で、戦功の労も無く、陛下は考えをあやまって卒伍(身分の低い人)の中からわたしを抜擢(ばってき)し、封じて列侯と為し、三公の位にのぼらせました。
臣弘行能不足以稱素有負薪之病恐先狗馬填溝壑終無以報塞責
わたしの行いと才能は称(たた)えられるを以ってするに足(た)らず、素(もと)より負薪(自分の病気を謙遜していう言葉)の病(やまい)が有り、恐(おそ)らく犬、馬に先んじて溝(みぞ)堀(ほり)にうずまり、終(しま)いまで、(陛下の)恩(おん)に報(むく)いて責(せ)められることを防(ふせ)ぐを以ってすることは無いでしょう。
願歸侯印乞骸骨避賢者路
願わくは侯位の印を帰(かえ)し、退職を乞(こ)い、賢者の路(みち)をしりぞきたいと思います」と。
公孫弘の人と為りは心で憎(にく)んで、外(そと)では寛容(かんよう)で、内(うち)で深い。諸(もろもろ)の嘗(かつ)て公孫弘と仲たがいがあった者は、偽(いつわ)って仲がよいふりをしたと雖(いえど)も、ひそかにその禍(わざわい)に報(むく)いる。
殺主父偃徙董仲舒於膠西皆弘之力也食一肉脫粟之飯
主父偃を殺し、董仲舒を膠西に移(うつ)したのも、皆(みな)公孫弘の力である。食事は一つの肉に殻(から)をとった粟(あわ)の飯(めし)だった。
故人所善賓客仰衣食弘奉祿皆以給之家無所餘士亦以此賢之
故(ゆえ)に人の仲の善いところの賓客が衣食を仰(あお)ぐと、公孫弘は禄(ろく)を奉(たてまつ)って、これに給するを以ってし、家には残すところは無かった。士もまたこれを以ってこれを尊敬した。
淮南衡山謀反治黨與方急
淮南王劉安、衡山王劉賜が謀反(むほん)し(元狩元年)、党与(組を作っている仲間)を治(おさ)めまさに急にならんとしたとき、
弘病甚自以為無功而封位至丞相宜佐明主填撫國家使人由臣子之道
漢丞相公孫弘の病が甚(はなは)だしく、みずから、功無くして封ぜられ、位は丞相に至った(元朔五年)ことを思い、宜(よろ)しく明主を補佐して国家を鎮撫(ちんぶ)し、人をして臣子の道に由(よ)らせしめるべきで、
今諸侯有畔逆之計此皆宰相奉職不稱恐竊病死無以塞責
今、諸侯が叛逆の計を有したのは、これ皆(みな)宰相が職を奉(たてまつ)るに称(たた)えられなかったからで、ひそかに病死して、責められることを防(ふせ)ぐを以ってすることが無いことを恐れた。
乃上書曰臣聞天下之通道五所以行之者三
そこで、上書して曰く、「わたしは聞きます、天下の通道は五つで、これを行(おこな)うを以ってするところのものは、三つである、と。
曰君臣父子兄弟夫婦長幼之序此五者天下之通道也
曰く、君臣、父子、兄弟、夫婦、長幼の順序、この五者が天下の通道であります。
智仁勇此三者天下之通所以行之者也
智、仁、勇、この三者が天下の通徳で、これを行うを以ってするところのものであります。
故曰力行近乎仁好問近乎智知恥近乎勇
故(ゆえ)に曰く、力行が近づくは仁、学問を好むが近づくは智、恥を知るが近づくは勇、と。
知此三者則知所以自治知所以自治然後知所以治人
この三者を知れば、自らを治(おさ)める方法を知ります。自らを治(おさ)める方法を知れば、
然(しか)る後に人を治(おさ)める方法を知ります。
天下未有不能自治而能治人者也此百世不易之道也
天下には未(ま)だ、自らを治(おさ)めることができずして、人を治(おさ)めることができた者は有りません。これ百代変わることない道であります。
今陛下躬行大孝鑒三王建周道兼文武賢予祿量能授官
今、陛下自(みずか)ら大孝行を行い、三王を手本にして、周の道を建(た)て、文武(ぶんぶ)を兼(か)ねて、賢者を励(はげ)まして禄(ろく)を与(あた)え、能力を量(はか)って官位を授(さず)けています。
今臣弘罷駑之質無汗馬之勞陛下過意擢臣弘卒伍之中封為列侯致位三公
今、わたしは、疲れたのろい馬の状態で、戦功の労も無く、陛下は考えをあやまって卒伍(身分の低い人)の中からわたしを抜擢(ばってき)し、封じて列侯と為し、三公の位にのぼらせました。
臣弘行能不足以稱素有負薪之病恐先狗馬填溝壑終無以報塞責
わたしの行いと才能は称(たた)えられるを以ってするに足(た)らず、素(もと)より負薪(自分の病気を謙遜していう言葉)の病(やまい)が有り、恐(おそ)らく犬、馬に先んじて溝(みぞ)堀(ほり)にうずまり、終(しま)いまで、(陛下の)恩(おん)に報(むく)いて責(せ)められることを防(ふせ)ぐを以ってすることは無いでしょう。
願歸侯印乞骸骨避賢者路
願わくは侯位の印を帰(かえ)し、退職を乞(こ)い、賢者の路(みち)をしりぞきたいと思います」と。