今臣不敢隱忠避死以效愚計願陛下幸赦而少察之
今、わたしは敢えて忠を隠さず死を避(さ)けず、愚計を献上いたします。願わくは陛下には幸いにも赦(ゆる)していただき、少しこれをつまびらかにさせてください。
司馬法曰國雖大好戰必亡天下雖平忘戰必危
司馬法曰く、国が大きいと雖(いえど)も、戦いを好めば、必ず亡(ほろ)びる。天下が太平と雖(いえど)も、戦いを忘れれば、必ず危(あや)うくなる、と。
天下既平天子大凱春蒐秋狝諸侯春振旅秋治兵所以不忘戰也
天下はすでに平(たい)らかになり、天子はやわらいで、春には狩猟し、秋には猟をし、諸侯は春には振旅(戦いに勝ち兵を整えて凱旋すること)し、秋には兵を治(おさ)めるは、戦いを忘れずを以ってするところであります。
且夫怒者逆也兵者凶器也爭者末節也
まさにそれ、怒るとは道理にそむいた行いで、武器とは凶器であり、争いはごくささいなことがらであります。
古之人君一怒必伏尸流血故聖王重行之
古(いにしえ)の人君は、ひとたび怒れば、必ず、うちたおれた死体の流血事態となり、故(ゆえ)に聖王はこれを行うに慎重でありました。
夫務戰勝窮武事者未有不悔者也
それ、戦勝に務(つと)め、武事に窮(きわ)める者は、未(いま)だ悔(く)やまない者は有りません。
昔秦皇帝任戰勝之威蠶食天下并吞戰國海內為一功齊三代
昔、秦の皇帝が戦勝の威(い)に任(まか)せ、天下を蚕食(さんしょく)し、戦う国を併(あわ)せ呑(の)み、海内は一つに為り、功は三代(夏、殷、周)にならびました。
務勝不休,欲攻匈奴,李斯諫曰:「不可。夫匈奴無城郭之居,委積之守,
勝ちに務(つと)めて休まず、匈奴を攻めることを欲したとき、李斯が諌(いさ)めて曰く、
不可です。それ、匈奴は城郭に居住せず、積み蓄えて守る民では無く、
遷徙鳥舉難得而制也輕兵深入糧食必絕踵糧以行重不及事
鳥が行うように引越して、つかまえて制するは難(むずか)しいのであります。軽兵が深く入れば、糧食は必ず絶(た)え、食料をたずねて行くを以ってすれば、事に及ばないことが多いです。
得其地不足以為利也遇其民不可役而守也勝必殺之非民父母也
その地を得るは利(り)と為すを以ってするには足(た)らないのであり、その民をあつかうは、働かせて守らせることはできません。勝つには必ずこれを殺し、民の父母にたがうのであります。
靡獘中國快心匈奴非長策也秦皇帝不聽遂使蒙恬將兵攻胡
中国をおとろえさせて、匈奴をよろこばせるは、すぐれた策ではないのであります、と。秦皇帝は聴き入れず、遂(つい)に蒙恬をつかわして兵を率(ひき)い胡(匈奴)を攻めさせました。
辟地千里以河為境地固澤(咸)鹵不生五穀然後發天下丁男以守北河
地を開拓すること千里(一里150m換算で約150km)、河を以って境(さかい)と為しました。
地は固(かた)く、沢は塩水で、五穀は生(しょう)じません。然る後、天下の丁男(働き盛りの若者)を発して北の河を守らせるを以ってしました。
暴兵露師十有餘年死者不可勝數終不能踰河而北是豈人眾不足兵革不備哉
兵を曝(さら)し、軍隊を露(つゆ)にあて、十と余年、死者は残らず数えることはできず、とうとう河を越えて北に進むことができませんでした。これ、いったい人衆が足(た)らず、兵革(へいかく)が不備(ふび)だったのでしょうかな。
其勢不可也又使天下蜚芻芻粟起於黃腄瑯邪負海之郡轉輸北河
その形勢が不可だったのであります。また天下をして飛蝗(ばった)が趨趨(すうすう)と粟(あわ)を
ねらい、黃、腄、瑯邪の海を背にする郡より起(お)こして、北河に転輸するに、
率三十鐘而致一石男子疾耕不足於糧馕女子紡績不足於帷幕
おおむね三十鍾(鐘=鍾? 一鍾は約六石四斗)にして一石(一石は約十斗)がとどくほどです。男子が一生懸命耕作しても食糧に於いて足(た)らず、女子が糸をよりあわせても帷(とばり)の幕(まく)にするに於いて足(た)りませんでした。
百姓靡敝孤寡老弱不能相養道路死者相望蓋天下始畔秦也
百姓はおとろえ、孤児、寡婦、老弱は助け養(やしな)われることができず、道路の死者はつぎつぎと望(のぞ)まれ、 思うに天下が秦に叛(そむ)き始めたのであります。
及至高皇帝定天下略地於邊聞匈奴聚於代谷之外而欲擊之
高皇帝(劉邦)が天下を定めるに至るに及んで、辺境に於いて地を略取し、匈奴が代谷の外(そと)に集まってこれを撃とうと欲していると聞きました。
今、わたしは敢えて忠を隠さず死を避(さ)けず、愚計を献上いたします。願わくは陛下には幸いにも赦(ゆる)していただき、少しこれをつまびらかにさせてください。
司馬法曰國雖大好戰必亡天下雖平忘戰必危
司馬法曰く、国が大きいと雖(いえど)も、戦いを好めば、必ず亡(ほろ)びる。天下が太平と雖(いえど)も、戦いを忘れれば、必ず危(あや)うくなる、と。
天下既平天子大凱春蒐秋狝諸侯春振旅秋治兵所以不忘戰也
天下はすでに平(たい)らかになり、天子はやわらいで、春には狩猟し、秋には猟をし、諸侯は春には振旅(戦いに勝ち兵を整えて凱旋すること)し、秋には兵を治(おさ)めるは、戦いを忘れずを以ってするところであります。
且夫怒者逆也兵者凶器也爭者末節也
まさにそれ、怒るとは道理にそむいた行いで、武器とは凶器であり、争いはごくささいなことがらであります。
古之人君一怒必伏尸流血故聖王重行之
古(いにしえ)の人君は、ひとたび怒れば、必ず、うちたおれた死体の流血事態となり、故(ゆえ)に聖王はこれを行うに慎重でありました。
夫務戰勝窮武事者未有不悔者也
それ、戦勝に務(つと)め、武事に窮(きわ)める者は、未(いま)だ悔(く)やまない者は有りません。
昔秦皇帝任戰勝之威蠶食天下并吞戰國海內為一功齊三代
昔、秦の皇帝が戦勝の威(い)に任(まか)せ、天下を蚕食(さんしょく)し、戦う国を併(あわ)せ呑(の)み、海内は一つに為り、功は三代(夏、殷、周)にならびました。
務勝不休,欲攻匈奴,李斯諫曰:「不可。夫匈奴無城郭之居,委積之守,
勝ちに務(つと)めて休まず、匈奴を攻めることを欲したとき、李斯が諌(いさ)めて曰く、
不可です。それ、匈奴は城郭に居住せず、積み蓄えて守る民では無く、
遷徙鳥舉難得而制也輕兵深入糧食必絕踵糧以行重不及事
鳥が行うように引越して、つかまえて制するは難(むずか)しいのであります。軽兵が深く入れば、糧食は必ず絶(た)え、食料をたずねて行くを以ってすれば、事に及ばないことが多いです。
得其地不足以為利也遇其民不可役而守也勝必殺之非民父母也
その地を得るは利(り)と為すを以ってするには足(た)らないのであり、その民をあつかうは、働かせて守らせることはできません。勝つには必ずこれを殺し、民の父母にたがうのであります。
靡獘中國快心匈奴非長策也秦皇帝不聽遂使蒙恬將兵攻胡
中国をおとろえさせて、匈奴をよろこばせるは、すぐれた策ではないのであります、と。秦皇帝は聴き入れず、遂(つい)に蒙恬をつかわして兵を率(ひき)い胡(匈奴)を攻めさせました。
辟地千里以河為境地固澤(咸)鹵不生五穀然後發天下丁男以守北河
地を開拓すること千里(一里150m換算で約150km)、河を以って境(さかい)と為しました。
地は固(かた)く、沢は塩水で、五穀は生(しょう)じません。然る後、天下の丁男(働き盛りの若者)を発して北の河を守らせるを以ってしました。
暴兵露師十有餘年死者不可勝數終不能踰河而北是豈人眾不足兵革不備哉
兵を曝(さら)し、軍隊を露(つゆ)にあて、十と余年、死者は残らず数えることはできず、とうとう河を越えて北に進むことができませんでした。これ、いったい人衆が足(た)らず、兵革(へいかく)が不備(ふび)だったのでしょうかな。
其勢不可也又使天下蜚芻芻粟起於黃腄瑯邪負海之郡轉輸北河
その形勢が不可だったのであります。また天下をして飛蝗(ばった)が趨趨(すうすう)と粟(あわ)を
ねらい、黃、腄、瑯邪の海を背にする郡より起(お)こして、北河に転輸するに、
率三十鐘而致一石男子疾耕不足於糧馕女子紡績不足於帷幕
おおむね三十鍾(鐘=鍾? 一鍾は約六石四斗)にして一石(一石は約十斗)がとどくほどです。男子が一生懸命耕作しても食糧に於いて足(た)らず、女子が糸をよりあわせても帷(とばり)の幕(まく)にするに於いて足(た)りませんでした。
百姓靡敝孤寡老弱不能相養道路死者相望蓋天下始畔秦也
百姓はおとろえ、孤児、寡婦、老弱は助け養(やしな)われることができず、道路の死者はつぎつぎと望(のぞ)まれ、 思うに天下が秦に叛(そむ)き始めたのであります。
及至高皇帝定天下略地於邊聞匈奴聚於代谷之外而欲擊之
高皇帝(劉邦)が天下を定めるに至るに及んで、辺境に於いて地を略取し、匈奴が代谷の外(そと)に集まってこれを撃とうと欲していると聞きました。