故曰聽訟吾猶人也必也使無訟乎
故(ゆえ)に曰く、「訴訟(そしょう)を聴(き)くは、吾(われ)は猶(なお)人と同じである。
同じではないのは、訴訟を無くさしめることだろうか」と。
下士聞道大笑之非虛言也
「下士は道(みち)を聞いて、これを大いに笑う」と。おおげさな言葉では非(あら)ざるなり。
漢興破觚而為圜斲雕而為樸
漢が興(おこ)り、かどをこわして丸く為し、おのをして木刀に為し、
網漏於吞舟之魚而吏治烝烝不至於姦黎民艾安
網(あみ)は吞舟之魚(船を呑んでしまうほどの大魚)をも漏(も)らし、しこうして役人の治(ち)は烝烝(じょうじょう)と盛んになり、不正に至らず、庶民は治(おさ)まり安んじた。
由是觀之在彼不在此
これに由(よ)り、彼(か)に在(あ)って、此(こ)れにないのをみきわめるのである。
高后時酷吏獨有侯封刻轢宗室侵辱功臣
漢高后呂雉の時、酷吏(こくり 厳格でむごい役人)にひとり侯封(人名)が有り、宗室(そうしつ)をきざみふみにじり、功臣(こうしん)を侵(おか)し辱(はずかし)めた。
呂氏已敗遂(禽)[夷]侯封之家
呂氏がすでに敗(やぶ)れ、遂(つい)に侯封の家をたいらげた。
孝景時晁錯以刻深頗用術輔其資
漢孝景帝劉啓の時、晁錯はきびしく深く頗(すこぶ)る術を用(もち)いるを以って、その資本をささえようとした。
而七國之亂發怒於錯錯卒以被戮
しこうして、七国の乱になり、晁錯に怒りを発し、晁錯はとうとう戮(りく)刑を被(こうむ)った。
其后有郅都寧成之屬
その後、郅都(人名)、寧成(人名)の仲間が有る。
郅都者楊人也
郅都という者は、楊の人である。
以郎事孝文帝孝景時都為中郎將
郎(官名)を以って漢孝文帝劉恒に仕(つか)えた。漢孝景帝劉啓の時、郅都は中郎将と為った。
敢直諫面折大臣於朝
敢(あ)えて直々(じきじき)に諌(いさ)め、朝廷(政治をとる場所)に於いて大臣たちを面と向って指摘(してき)した。
故(ゆえ)に曰く、「訴訟(そしょう)を聴(き)くは、吾(われ)は猶(なお)人と同じである。
同じではないのは、訴訟を無くさしめることだろうか」と。
下士聞道大笑之非虛言也
「下士は道(みち)を聞いて、これを大いに笑う」と。おおげさな言葉では非(あら)ざるなり。
漢興破觚而為圜斲雕而為樸
漢が興(おこ)り、かどをこわして丸く為し、おのをして木刀に為し、
網漏於吞舟之魚而吏治烝烝不至於姦黎民艾安
網(あみ)は吞舟之魚(船を呑んでしまうほどの大魚)をも漏(も)らし、しこうして役人の治(ち)は烝烝(じょうじょう)と盛んになり、不正に至らず、庶民は治(おさ)まり安んじた。
由是觀之在彼不在此
これに由(よ)り、彼(か)に在(あ)って、此(こ)れにないのをみきわめるのである。
高后時酷吏獨有侯封刻轢宗室侵辱功臣
漢高后呂雉の時、酷吏(こくり 厳格でむごい役人)にひとり侯封(人名)が有り、宗室(そうしつ)をきざみふみにじり、功臣(こうしん)を侵(おか)し辱(はずかし)めた。
呂氏已敗遂(禽)[夷]侯封之家
呂氏がすでに敗(やぶ)れ、遂(つい)に侯封の家をたいらげた。
孝景時晁錯以刻深頗用術輔其資
漢孝景帝劉啓の時、晁錯はきびしく深く頗(すこぶ)る術を用(もち)いるを以って、その資本をささえようとした。
而七國之亂發怒於錯錯卒以被戮
しこうして、七国の乱になり、晁錯に怒りを発し、晁錯はとうとう戮(りく)刑を被(こうむ)った。
其后有郅都寧成之屬
その後、郅都(人名)、寧成(人名)の仲間が有る。
郅都者楊人也
郅都という者は、楊の人である。
以郎事孝文帝孝景時都為中郎將
郎(官名)を以って漢孝文帝劉恒に仕(つか)えた。漢孝景帝劉啓の時、郅都は中郎将と為った。
敢直諫面折大臣於朝
敢(あ)えて直々(じきじき)に諌(いさ)め、朝廷(政治をとる場所)に於いて大臣たちを面と向って指摘(してき)した。