Quantcast
Channel: 倭人伝を解く
Browsing all 2176 articles
Browse latest View live

上愈益貴弘湯弘湯深心疾黯

上愈益貴弘湯弘湯深心疾黯 上(漢孝武帝劉徹)は愈々(いよいよ)益々(ますます)、漢丞相公孫弘、漢廷尉張湯を貴(とうと)び、漢丞相公孫弘、漢廷尉張湯は漢主爵都尉汲黯を深く心ににくんでおり、 唯天子亦不說也欲誅之以事 天子といえどもまた悦(よろこ)ばなかったのであり、これを誅するに事(こと)を以ってしようと欲した。 弘為丞相乃言上曰右內史界部中多貴人宗室...

View Article


居無何匈奴渾邪王率眾

居無何匈奴渾邪王率眾來降漢發車二萬乘 いくばくもたたないうちに、匈奴の渾邪王が衆を率(ひき)いて降服(こうふく)に来た。漢は車二万台を発そうとした。 縣官無錢從民貰馬民或匿馬馬不具 県官は民より馬を貰(もら)う銭が無かった。民の或(あ)るものは馬を匿(かくま)い、馬はそろわなかった。 上怒欲斬長安令黯曰 上(漢孝武帝劉徹)は怒り、長安令を斬ろうと欲した。漢右内史汲黯曰く、 長安令無罪獨斬黯民乃肯出馬...

View Article


居數年會更五銖錢

居數年會更五銖錢民多盜鑄錢楚地尤甚 居ること数年して、このとき、五銖銭を改(あらた)め、民の多くが鋳銭を盗み、楚の地が尤(もっと)も甚(はなは)だしかった。 上以為淮陽楚地之郊乃召拜黯為淮陽太守 上は淮陽の為に楚地の郊(天地の祭り)を以ってし、そこで汲黯を召し寄せて官をさずけ淮陽太守と為さしめようとした。 黯伏謝不受印詔數彊予然後奉詔...

View Article

卒後上以黯故官其弟汲仁至九卿

卒後上以黯故官其弟汲仁至九卿 亡くなった後、上(漢孝武帝劉徹)は汲黯の故(ゆえ)を以って、その弟の汲仁を官にして九卿に至らしめ、 子汲偃至諸侯相 子の汲偃を諸侯相に至らしめた。 黯姑姊子司馬安亦少與黯為太子洗馬 汲黯の伯母(おば)の子の司馬安もまた幼いとき、汲黯とともに太子の洗馬と為った。 安文深巧善宦官四至九卿以河南太守卒...

View Article

莊為太史誡門下

莊為太史誡門下客至無貴賤無留門者 漢大農令鄭荘は太史と為って、門下(もんか)に誡(いまし)めた。「客が至ったら、貴賎(きせん)無く、門に留(とど)まる者が無いように」と。 執賓主之禮以其貴下人 賓主の礼を執(と)り、その高い身分を以って人にへりくだった。 莊廉又不治其產業仰奉賜以給諸公...

View Article


未嘗名吏與官屬言若恐傷之

未嘗名吏與官屬言若恐傷之 未(いま)だ嘗(かつ)て役人をいましめた(名(めい)=命(めい)?)ことがなく、官属とともに言って、これを傷つけることを恐れるがごとくした。 聞人之善言進之上唯恐後 人の善言を聞くと、これを上(漢孝武帝劉徹)に進めて、唯(ただ)後(おく)れることを恐れるのみ。 山東士諸公以此翕然稱鄭莊...

View Article

史記 儒林列伝 始め

太史公曰余讀功令至於廣學官之路未嘗不廢書而嘆也 太史公曰く、「わたしは功令を読み、学官の路(みち)をきたえて功(こう)する(広(こう)=功(こう?)に至ると、未(いま)だ嘗(かつ)て書物を閉じて嘆息(たんそく)しないことはなかった。 曰嗟乎夫周室衰而關雎作幽微而禮樂壞 曰く、「ああ、それ周室は衰(おとろ)えて関雎(かんしょ 詩経の最初の詩...

View Article

自孔子卒後七十子之徒散游諸侯

自孔子卒後七十子之徒散游諸侯 孔子が亡くなってより後、七十人の弟子の仲間は諸侯を巡(めぐ)りに散(ち)った。 大者為師傅卿相小者友教士大夫或隱而不見 大者は師、傅、卿、相と為り、小者は士、大夫に教え友となり、或(ある)ものは、隠棲して現(あらわ)れなかった。 故子路居衛子張居陳澹臺子羽居楚 故(ゆえ)に子路は衛に居し、子張は陳に居し、澹臺子羽は楚に居し、 子夏居西河子貢終於齊...

View Article


及高皇帝誅項籍

及高皇帝誅項籍舉兵圍魯 漢高皇帝劉邦が項籍(項羽)を誅(ちゅう)するに及んで、兵を挙げ魯を包囲したとき、 魯中諸儒尚講誦習禮樂弦歌之音不絕 魯中のもろもろの儒者は尚(なお)礼楽を繰り返しそらんじて講(こう)じており、弦歌の音は絶(た)えておらず、 豈非聖人之遺化好禮樂之國哉 どうして(魯は)聖人の残した教化で、礼楽を好む国で非(あら)ざるかな。 故孔子在陳曰歸與歸與...

View Article


公孫弘為學官

公孫弘為學官悼道之郁滯乃請曰 公孫弘は学官に為って、(学官の)道の郁(文化が盛んなさま)が滞(とどこお)っていることを悼(いた)み、そこで請(こ)うて曰く、 丞相御史言制曰蓋聞導民以禮風之以樂 「丞相、御史は言う、(天子が)制して曰く、思うに民を導(みちび)くに礼を以ってし、これを教化するに音楽を以ってすると聞く。 婚姻者居屋之大倫也今禮廢樂崩朕甚愍焉...

View Article

而請諸不稱者罰

而請諸不稱者罰臣謹案詔書律令下者 しこうして、諸(もろもろ)の称(かな)わなかった者の罰を請うのです。わたしは謹(つつし)んで、詔(みことのり)を案(あん)じて、律令を書いて下(くだ)すものは、 明天人分際通古今之義文章爾雅 天人の分際(ぶんざい)を明らかにし、古今(ここん)の義を通(かよ)わせ、文章は正しく美しく、 訓辭深厚恩施甚美小吏淺聞...

View Article

清河王太傅轅固生者齊人也

清河王太傅轅固生者齊人也 清河王の太傅の轅固先生という者は、斉の人である。 以治詩孝景時為博士 詩を治(おさ)めるを以って、漢孝景帝劉啓の時に博士と為った。 與黃生爭論景帝前黃生曰 黄先生と漢孝景帝劉啓の前で論争(ろんそう)した。黄先生曰く、 湯武非受命乃弒也轅固生曰 「殷湯王、周武王は天命をさずかったのでは非(あら)ず、すなわち弒(目上の者を殺す)したのである」と。轅固先生曰く、...

View Article

竇太后好老子書召轅固生問老子書

竇太后好老子書召轅固生問老子書 は老子の書を好み、轅固先生を召して老子の書を問うた。 固曰此是家人言耳太后怒曰 先生曰く、「これは一般庶民の言であるだけです」と。竇太后は怒って曰く、 安得司空城旦書乎乃使固入圈刺豕 「いずこに司空の城旦(刑罰名)の書は得られるのか?」と。そこで轅固先生をして檻(おり)に入らせてぶたを刺(さ)させようとした。 景帝知太后怒而固直言無罪乃假固利兵...

View Article


伏生教濟南張生及歐陽生歐陽生教千乘兒

伏生教濟南張生及歐陽生歐陽生教千乘兒 伏先生は済南の張先生及び歐陽先生に教え、歐陽先生は千乗の兒に教えた。 兒既通尚書以文學應郡舉詣博士受業受業孔安國 兒がすでに尚書に通じ、文学を以って郡の推挙に応じ、博士の授業に詣(もう)で、孔安国に学業を授(さず)かった。 兒貧無資用常為弟子都養及時時行傭賃以給衣食...

View Article

諸學者多言禮而魯高堂生最本

諸學者多言禮而魯高堂生最本 諸(もろもろ)の学者の多くが礼(れい)を言い、しこうして、魯の高堂先生が最も本(もと)である。 禮固自孔子時而其經不具及至秦焚書 礼は固(もと)より孔子のときより、しこうして、その経(きょう)は具(そな)わっておらず、秦の焚書(ふんしょ)に至って、 書散亡益多於今獨有士禮高堂生能言之...

View Article


以春秋災異之變推陰陽所以錯行

以春秋災異之變推陰陽所以錯行 春秋経の天災地異の変事を以って、陰(いん)、陽(よう)が錯行(四季の移り変わりのように、かわるがわるまわっていくこと)する所以(ゆえん)を推測(すいそく)した。 故求雨閉諸陽縱諸陰其止雨反是 故(ゆえ)に雨を求めるときは、諸(もろもろ)の陽(よう)を閉(と)じて、諸(もろもろ)の陰(いん)を自由にさせた。その雨を止(や)ませるときは、これを反対にすると。...

View Article

史記 酷吏列伝 始め

孔子曰導之以政齊之以刑民免而無恥 孔子曰く、「これを導(みちび)くに政令を以ってし、これをととのえるに刑を以ってすれば、民は免(まぬか)れて恥じることは無い。 導之以齊之以禮有恥且格 これを導(みちび)くに、徳を以ってし、これをととのえるに礼(れい)を以ってすれば、恥じることを有(ゆう)し、まさに行いをたださんとする」と。 老氏稱上不是以有...

View Article


故曰聽訟吾猶人也必也使無訟乎

故曰聽訟吾猶人也必也使無訟乎 故(ゆえ)に曰く、「訴訟(そしょう)を聴(き)くは、吾(われ)は猶(なお)人と同じである。 同じではないのは、訴訟を無くさしめることだろうか」と。 下士聞道大笑之非虛言也 「下士は道(みち)を聞いて、これを大いに笑う」と。おおげさな言葉では非(あら)ざるなり。 漢興破觚而為圜斲雕而為樸 漢が興(おこ)り、かどをこわして丸く為し、おのをして木刀に為し、...

View Article

嘗從入上林賈姬如廁野彘卒入廁

嘗從入上林賈姬如廁野彘卒入廁 嘗(かつ)て上林に入るに従い、賈姫が厠(かわや)にいき、野生の大ぶたがにわかに厠(かわや)に入った。 上目都都不行上欲自持兵救賈姬都伏上前曰 上(漢孝景帝劉啓)は漢中郎将郅都に目くばせしたが、漢中郎将郅都は行かなかった。上(漢孝景帝劉啓)は自ら武器を持って賈姫を救うことを欲したが、漢中郎将郅都は上(漢孝景帝劉啓)の前に伏(ふ)して曰く、 亡一姬復一姬進天下所少寧賈姬等乎...

View Article

臨江王徵詣中尉府對簿

臨江王徵詣中尉府對簿臨江王欲得刀筆為書謝上 臨江王劉栄が召されて中尉府に詣(もう)で、帳簿に応(こた)えた。臨江王劉栄は刀(書き誤りを削るための小刀)、筆(ふで)を得て、上に謝(あやま)る書状をかきたいと欲した。 而都禁吏不予魏其侯使人以與臨江王 しこうして、漢中尉郅都は役人に与(あた)えないよう禁じた。魏其侯竇嬰が人をつかわし、ひそかに臨江王劉栄に与(あた)えるを以ってした。...

View Article
Browsing all 2176 articles
Browse latest View live