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王有孽子不害

王有孽子不害最長王弗愛王王后太子皆不以為子兄數 淮南王劉安にはめかけの子の劉不害が有り、最年長で、淮南王劉安は愛さず、淮南王劉安、王妃荼、太子劉遷は皆(みな)子、兄として数えなかった。 不害有子建材高有氣常怨望太子不省其父 劉不害には子の劉建が有り、才能は高く気が有り、常(つね)に太子劉遷がその父(劉不害)を省(かえり)みないことを怨みに思っていた。...

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重裝富賈周流天下道無不通故交易之道行

重裝富賈周流天下道無不通故交易之道行 荷物を重ねた富商があまねく天下を流れ、道は通じないところは無く、故(ゆえ)に交易(こうえき)の道がのび、 南越賓服羌僰入獻東甌入降廣長榆開朔方匈奴折翅傷翼失援不振 南越は賓服(服従してあいさつに来る)し、羌僰は入献し、東甌は入降し、長榆を広め、朔方を開き、匈奴は羽(はね)を折(お)り、翼(つばさ)を傷(いた)め、援護を失(うしな)い振(ふ)るわなくなり、...

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王曰男子之所死者一言耳

王曰男子之所死者一言耳且吳何知反 淮南王劉安曰く、「男子(呉王?)の死するところとは、ただ一言(ひとこと)のみ、まさに呉は反することの何を知っていただろうか、と。 漢將一日過成皋者四十餘人今我令樓緩先要成皋之口 漢将軍は一日に成皋を通り過ぎる者は四十余人、今、我(われ)は楼緩に令して先んじて成皋の口をさえぎらせ、 周被下潁川兵塞轘轅伊闕之道陳定發南陽兵守武關...

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被曰往者秦為無道殘賊天下

被曰往者秦為無道殘賊天下 伍被曰く「むかし、秦は無道(むどう)を為(な)し、天下をいためつけきずつけ、 興萬乘之駕作阿房之宮收太半之賦發閭左之戍 万乗の駕(が)を興(おこ)し、阿房の宮を作り、大半(たいはん ほとんど)の賦(税)を収(おさ)めさせ、閭左(りょさ 貧民)のを発し国境警備に行かせ、 父不寧子兄不便弟政苛刑峻天下熬然若焦...

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又偽為左右都司空上林中都官

又偽為左右都司空上林中都官詔獄(逮)書[逮]諸侯太子幸臣 また偽(いつわ)って、左右都司空、上林中都官の詔獄(天子の命をうけて罪人をとりしらべたところ)の書を作り、諸侯、太子、幸臣をとらえさせます。 如此則民怨諸侯懼即使辯武隨而說之儻可徼幸什得一乎...

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於是廷尉以王孫建辭連淮南王太子遷聞

於是廷尉以王孫建辭連淮南王太子遷聞 ここに於いて廷尉は淮南王劉長の孫の劉建の辞(じ)が淮南王太子劉遷に連なることを以って申し上げた。 上遣廷尉監因拜淮南中尉逮捕太子 上(漢孝武帝劉徹)は廷尉を遣(つか)わし監督させ因(よ)りて淮南の中尉に官をさずけ、太子劉遷を逮捕させようとした。 至淮南淮南王聞與太子謀召相二千石欲殺而發兵...

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吏因捕太子王后圍王宮

吏因捕太子王后圍王宮盡求捕王所與謀反賓客在國中者索得反具以聞 役人は因(よ)りて太子劉遷、王后荼を捕(と)らえ、王宮を包囲し、ことごとく淮南王がともに謀反(むほん)をはかった国中にいる賓客を捕(と)らえることを求め、捜索して反乱の武器を得て、申し上げるを以ってした。 上下公卿治所連引與淮南王謀反列侯二千石豪傑數千人皆以罪輕重受誅...

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衡山王賜王后乘舒生子三人

衡山王賜王后乘舒生子三人長男爽為太子次男孝次女無采 衡山王劉賜は、王后の乗舒は子を三人生み、長男の劉爽が衡山王太子と為り、次男は劉孝、次は娘の劉無采という。 又姬徐來生子男女四人美人厥姬生子二人 また姫の徐来は男女四人の子を生(う)み、美人の厥姫は二人の子を生(う)んだ。 衡山王淮南王兄弟相責望禮節不相能 衡山王劉賜は淮南王劉安の兄弟で互いに礼節を責(せ)めうらみ、関係は互いに仲がわるかった。...

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王后乘舒死立徐來為王后厥姬俱幸

王后乘舒死立徐來為王后厥姬俱幸 王后乗舒が死んで、徐来が立って王后と為った。厥姫もともに寵愛を受けた。 兩人相妒厥姬乃惡王后徐來於太子曰 二人は相(あい)妬(ねた)み、厥姫はそこで王后の徐来を太子劉爽にそしった、曰く、 徐來使婢蠱道殺太子母太子心怨徐來 「徐来は下女に蠱道(まじないをして人を殺す)をさせて太子の母を殺させたのです」と。太子劉爽の心は徐来を怨(うら)んだ。...

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太子知王常欲廢己

太子知王常欲廢己立其弟孝乃謂王曰 太子劉爽は淮南王劉安が常に己(おのれ)を廃してその弟の劉孝を立てることを欲しているのを知っており、そこで淮南王劉安に謂(い)った、曰く、 孝與王御者姦無采與奴姦王彊食請上書 「孝は王の女官と密通し、無采は召使と密通しました、王はつとめて食事をとってご自愛ください。上書することを請(こ)う」と。 即倍王去王使人止之莫能禁乃自駕追捕太子...

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孝日益親幸王奇孝材能乃佩之王印

孝日益親幸王奇孝材能乃佩之王印 劉孝は日に日にますます親(した)しみかわいがられた。衡山王劉賜は劉孝の才能をすぐれているとし、そこで、これに王印を佩(お)びさせ、 號曰將軍令居外宅多給金錢招致賓客 号して曰く将軍と。令して外宅に住まわせ、金銭を多く給(たま)い、賓客を招致(しょうち)させた。 賓客來者微知淮南衡山有逆計日夜從容勸之...

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元朔六年中衡山王使人上書

元朔六年中衡山王使人上書請廢太子爽立孝為太子 元朔六年中、衡山王劉賜は人をつかわし上書させ太子劉爽を廃し、劉孝を立てて太子と為さしめることを請(こ)うた。 爽聞即使所善白嬴之長安上書言孝作輣車鏃矢 太子劉爽は聞いて、すなわち、仲善くしているところの白嬴をつかわし長安に行かせて上書させ、劉孝が戦車、鏃(やじり)矢、を作り、 與王御者姦欲以敗孝白嬴至長安未及上書吏捕嬴以淮南事系...

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天子曰勿捕遣中尉安大行息

天子曰勿捕遣中尉安大行息即問王王具以情實對 天子曰く、「捕(と)らえることなかれ」と。中尉安、大行息を遣(つか)わして、すなわち衡山王劉賜を問わせた。衡山王劉賜は具(つぶさ)に実情を以って応(こた)えた。 吏皆圍王宮而守之中尉大行還以聞公卿請遣宗正大行與沛郡雜治王...

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史記 循吏列伝 始め

太史公曰法令所以導民也刑罰所以禁姦也 太史公曰く、「法令は民を導(みちび)くを以ってするところであり、刑罰は不正を禁ずるを以ってするところである。 文武不備良民懼然身修者官未曾亂也 文、武が備わらなければ、良民は懼(おそ)れる。然(しか)るに身(み)みずからを修(おさ)めた者が官になれば、未(いま)だかつて乱れたことはないのである。 奉職循理亦可以為治何必威嚴哉...

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楚民俗好庳車

楚民俗好庳車王以為庳車不便馬欲下令使高之 楚の民の俗は低い馬車を好み、王は低い馬車は馬に不便だと思い、これを高くさしめる令を下(くだ)そうと欲した。 相曰令數下民不知所從不可 楚相公孫敖曰く、「令がたびたび民に下(くだ)されても、手本にするところを知らず、できないでしょう。 王必欲高車臣請教閭里使高其梱...

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為相一年豎子不戲狎

為相一年豎子不戲狎斑白不提挈僮子不犁畔 鄭相に為って一年、子供はあなどりからかわなくなり、初老は約束を断ち切らず、若者は、叛逆(はんぎゃく)におよばなくなった。 二年市不豫賈三年門不夜關道不拾遺 二年すると、市(いち)では掛買いをしなくなった。三年して、門は夜の鍵(かぎ)をかけず、道で人の残したものを拾(ひろ)わなくなった。 四年田器不歸五年士無尺籍喪期不令而治...

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石奢者楚昭王相也

石奢者楚昭王相也堅直廉正無所阿避 石奢という者は、楚昭王熊珍の相である。まじめで正直で心が清らかで正しいく、おもねりはばかるところが無かった。 行縣道有殺人者相追之乃其父也 県に行き、道に殺人者がおり、楚相石奢がこれを追いかけるとすなわちその父であった。 縱其父而還自系焉使人言之王曰 その父を放置して還(かえ)りみずからを繋(つな)いだ。人をしてこれを楚昭王熊珍に言わせた、曰く、...

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史記 汲鄭列伝 始め

汲黯字長孺濮陽人也 汲黯の字(あざな)は長孺で、濮陽の人である。 其先有寵於古之衛君 その先祖は古(いにしえ)の衛君に於いて寵愛が有った。 至黯七世世為卿大夫 汲黯に至るまでの七世は代々(だいだい)卿、大夫と為った。 黯以父任孝景時為太子洗馬以莊見憚 汲黯は父を以って任子(にんし)され、漢孝景帝劉啓の時、太子の馬洗いと為って、いかめしさを以って憚(はばか)られた。 孝景帝崩太子即位黯為謁者...

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當是時太后弟武安侯蚡為丞相

當是時太后弟武安侯蚡為丞相 ちょうどこの時、王太后の弟(異父弟)の武安侯田蚡が丞相に為った。 中二千石來拜謁蚡不為禮 中二千石が拝謁(はいえつ)に来たが、漢丞相武安侯田蚡は礼(れい)を為さなかった。 然黯見蚡未嘗拜常揖之 然(しか)るに漢主爵都尉汲黯が漢丞相武安侯田蚡に見(まみ)えるとき、未(いま)だ嘗(かつ)て拝礼(はいれい)したことはなく、いつも両手を胸の前であわせてお辞儀をした。...

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非苦就行放析就功

非苦就行放析就功何乃取斑皇帝約束紛更之為 ほねをおらないで行いに就(つ)き、 おもうままに(他を)しりぞけて功に就(つ)き、どうしてすなわち、漢皇帝(斑=漢?)の約束を取ってこれを乱(みだ)し改めようと思うのか? 公以此無種矣黯時與湯論議 公はこれを以って血すじを無くすだろう」と。漢主爵都尉汲黯はときどき漢廷尉張湯と論議し、 湯辯常在文深小苛黯伉守高不能屈忿發罵曰...

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