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孝日益親幸王奇孝材能乃佩之王印

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孝日益親幸王奇孝材能乃佩之王印

劉孝は日に日にますます親(した)しみかわいがられた。衡山王劉賜は劉孝の才能をすぐれているとし、そこで、これに王印を佩(お)びさせ、

號曰將軍令居外宅多給金錢招致賓客

号して曰く将軍と。令して外宅に住まわせ、金銭を多く給(たま)い、賓客を招致(しょうち)させた。

賓客來者微知淮南衡山有逆計日夜從容勸之

賓客の来た者は、ひそかに淮南、衡山に叛逆(はんぎゃく)の計が有ることを知り、日夜(にちや)従容(しょうよう)とそそのかしてこれを勧(すす)めた。

王乃使孝客江都人救赫陳喜作輣車鏃矢

衡山王劉賜はそこで劉孝の賓客の江都人の救赫、陳喜をつかわし、戦車、鏃(やじり)矢を作らせ、

刻天子璽將相軍吏印王日夜求壯士如周丘等

天子の印、将相、軍吏の印を刻(きざ)ませた。衡山王劉賜は日夜(にちや)、周丘らの如(ごと)くの壮士を求めさせ、

數稱引吳楚反時計畫以約束衡山王非敢效淮南王求即天子位

たびたび呉楚の反乱時の計画を引いて称(たた)え、約束するを以ってした。衡山王劉賜は敢(あ)えて
淮南王劉安が天子の位につくことを求(もと)めることをまねているのではなく、

畏淮南起并其國以為淮南已西發兵定江淮之而有之望如是

淮南王劉安がその国を併合することを畏(おそ)れ、淮南がすでに西に進んだら、兵を発して江淮の
間にしてこれを有(ゆう)そうと思い、望(のぞ)みはこの如(ごと)くであった。

元朔五年秋衡山王當朝六年過淮南

元朔五年秋、衡山王劉賜が朝するに当たり、元朔六年に淮南に立ち寄り、

淮南王乃昆弟語除前卻約束反具

淮南王劉安はそこで兄弟の言葉をかわし、前の仲たがいは除(のぞ)かれ、叛逆の道具を約束した。

衡山王即上書謝病上賜書不朝

衡山王劉賜はそこで上書して病を謝(しゃ)し、上(漢孝武帝劉徹)は書を賜(たま)わり、入朝しなかった。

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