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Channel: 倭人伝を解く
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陛下謙讓而弗發也

陛下謙讓而弗發也 陛下は謙譲(けんじょう)して、発さないのは、 挈三神之驩 三神のよろこびをつりあげて、 缺王道之儀 王道の儀(ぎ)を欠(か)き、 群臣恧焉 群臣ははじるのです。 或謂且天為質闇 或(あ)るものは謂(い)います、まさに天は闇(やみ)をたださんとしており、 珍符固不可辭 珍(めずら)しいしるしは固(もと)より辞(じ)するべきではなく、 若然辭之...

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夫修以錫符

夫修以錫符 それ、徳を修(おさ)めて、しるしをたまわるを以ってし、 奉符以行事不為進越 しるしを奉(たてまつ)って事を行うを以ってし、越(こ)えて進むことを為さず、 故聖王弗替而修禮地祇 故(ゆえ)に聖王は替(か)わらず、しこうして地祇(ちぎ)をまつり修(おさ)め、 謁款天神勒功中岳 天神(てんしん)にまみえよろこび、中岳に功をきざみ、 以彰至尊舒盛...

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於是天子沛然改容曰

於是天子沛然改容曰 ここに於いて天子は沛然(はいぜん)と心に感動して、態度を改(あらた)め、曰く、 愉乎朕其試哉 「楽しみや、朕はその試(ため)そうかな」と。 乃遷思回慮總公卿之議 そこで、思いを遷(うつ)し、慮(おもんばか)りをめぐらし、公卿の議(ぎ)につないで、 詢封禪之事詩大澤之博 封禅の事を相談し、大沢の博(ひろ)さを詩にし、 廣符瑞之富乃作頌曰...

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般般之獸樂我君囿

般般之獸樂我君囿 般般(はんはん)としたまだら模様の獣(けもの)は、我らが君の囿(鳥や動物を放し飼いにするために垣でかこった場所)に楽しむ。 白質章其儀可(嘉)[喜] 白地(しろじ)に黒の模様の、その戯(たわむ)れる(儀(ぎ)=戯(ぎ)?)は嘉(よみ)するべし、旼旼睦睦君子之能旼旼(びんびん)となごみ、睦睦(ぼくぼく)とむつまじくするを。君子(くんし)の才能は、 蓋聞其聲今觀其來...

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宛宛黃龍興而升

宛宛黃龍興而升 宛宛(えんえん)と伸び縮みして、黄龍は、徳を興(おこ)してのぼり、 采色燿熿炳煌 美しい彩(いろどり)で燿(げんよう)と光り輝き、熿炳(こうへい)と明るく、煌(こんこう)とさかんに輝き、 正陽顯見覺寤黎烝 日中の気が顕(あきら)かにあらわれ、もろもろの多くをめざめさせる」と。 於傳載之云受命所乘 伝に於いてこれを載(の)せ、天命をさずかり登(のぼ)ったところを云(い)う。...

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司馬相如既卒五歲天子始祭后土

司馬相如既卒五歲天子始祭后土 司馬相如が既(すで)に亡くなって五年、天子(漢孝武帝劉徹)は后土を祭(まつ)り始(はじ)めた。 八年而遂先禮中嶽封于太山至梁父禪肅然 八年して遂(つい)に先(さき)に中嶽に礼(れい)し、太山に封(天の神をまつること)をし、梁父に至(いた)って禅(地の神をまつること)をすること粛然(しゅくぜん)とつつしんでおこなった。 相如他所著若遺平陵侯書與五公子相難...

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史記 淮南衡山列伝 始め

淮南王長者高祖少子也 淮南王劉長という者は、漢高祖劉邦の年少の子である。 其母故趙王張敖美人 その母は以前は趙王張敖の美人だった。 高祖八年從東垣過趙趙王獻之美人 漢高祖八年、東垣より趙に立ち寄り、趙王張敖がこれに美人を献(けん)じた。 王母得幸焉有身 淮南王劉長の母は寵愛を得て、身ごもった。 趙王敖弗敢內宮為筑外宮而捨之...

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三年入朝甚從上入苑囿獵

三年入朝甚從上入苑囿獵與上同車常謂上大兄 三年、入朝した。甚(はなは)だ勝手きままだった。上(漢孝文帝劉恒)に従(したが)って苑囿に入って猟(りょう)をし、上(漢孝文帝劉恒)と車を同じにして、常に上(漢孝文帝劉恒)を大兄と謂(い)った。 王有材力力能扛鼎乃往請辟陽侯 淮南王劉長は才能と力量が有り、力は鼎(かなえ)を持ち上げることができた。辟陽侯審食其にものをたのみに行くに及んで、...

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丞相臣張倉典客臣馮敬

丞相臣張倉典客臣馮敬行御史大夫事宗正臣逸 「丞相臣張倉、典客臣馮敬、行御史大夫事宗正臣逸 廷尉臣賀備盜賊中尉臣福昧死言淮南王長廢先帝法 廷尉臣賀、備盜賊中尉臣福昧はおそれながら申し上げます、淮南王劉長は先帝の法を廃し、 不聽天子詔居處無度為黃屋蓋乘輿出入擬於天子...

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及長身自賊殺無罪者一人

及長身自賊殺無罪者一人令吏論殺無罪者六人 劉長は身(み)みずから無罪者一人を賊殺するに及んで、役人に令して無罪者六人を論殺し、 為亡命棄市罪詐捕命者以除罪擅罪人罪人無告劾 亡命者、棄市罪者、偽(いつわ)って復命(命令されたことを実行してその結果を報告する 捕(ぶ)=復(ぶ)?)した者の為(ため)に、罪を除(のぞ)くを以ってし、罪人を思うままにして、罪人は調書を告げられること無く、...

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制曰朕不忍致法於王其與列侯二千石議

制曰朕不忍致法於王其與列侯二千石議 制して曰く、「朕は王を法にかけることに忍(しの)ばれず、その列侯、二千石とともに議(ぎ)せよ」と。 臣倉臣敬臣逸臣福臣賀昧死言臣謹與列侯吏二千石臣嬰等四十三人議 「臣倉、臣敬、臣逸、臣福、臣賀はおそれながら申し上げます。わたしたちは謹(つつし)んで、列侯、吏二千石の臣嬰ら四十三人とともに議(ぎ)し、 皆曰長不奉法度不聽天子詔乃陰聚徒黨及謀反者...

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上曰吾特苦之耳今復之

上曰吾特苦之耳今復之縣傳淮南王者皆不敢發車封 上(漢孝文帝劉恒)曰く、「吾(われ)はただこれを苦しめるのみ、今にこれをもとにもどす」と。県の淮南王劉長を送りとどける者は皆(みな)敢(あ)えて車の封(ふう)を開(ひら)こうとしなかった。 淮南王乃謂侍者曰誰謂乃公勇者吾安能勇...

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孝文十二年民有作歌歌淮南王曰

孝文十二年民有作歌歌淮南王曰 漢孝文帝十二年、民の有るものが歌をつくり、歌は淮南王劉長を歌って曰く、 一尺布尚可縫一斗粟尚可舂 「一尺(二十数cm)の布でも尚(なお)縫(ぬ)うことはでき、一斗(十升)の粟(あわ)でも、 尚(なお)臼(うす)でつくことができる。 兄弟二人不能相容上聞之乃嘆曰...

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孝景三年吳楚七國反

孝景三年吳楚七國反吳使者至淮南淮南王欲發兵應之 漢孝景帝三年、呉楚七国が反乱し、呉の使者が淮南に至った。淮南王劉安は兵を発してこれに応ずることを欲した。 其相曰大王必欲發兵應吳臣願為將王乃屬相兵 その相(張釈之)曰く、「大王(劉安)が必ず兵を発して呉に応じようと欲するならば、わたしは願わくは将軍にしてください」と。淮南王劉安はそこで淮南相張釈之に兵をひきわたした。...

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淮南王有女陵慧有口辯王愛陵

淮南王有女陵慧有口辯王愛陵常多予金錢為中诇長安約結上左右 淮南王劉安には娘の陵が有り、かしこく、口先が上手だった。淮南王劉安は陵をかわいがり、常(つね)に金銭を多くあたえ、長安でさぐることにあたらせ、上(漢孝武帝劉徹)の左右に交(まじ)わった。 元朔三年上賜淮南王几杖不朝淮南王王后荼王愛幸之...

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王以請相相弗聽王

王以請相相弗聽王使人上書告相事下廷尉治 淮南王劉安は淮南相に請(こ)うを以ってしたが、淮南相は聴き入れなかった。淮南王劉安は人をつかわし上書して淮南相を告発させ、事(こと)は廷尉に下(くだ)され取り調べられた。 蹤跡連王王使人候伺漢公卿公卿請逮捕治王 蹤跡(しょうせき...

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王坐東宮召伍被

王坐東宮召伍被與謀曰將軍上被悵然曰 淮南王劉安は東宮に座(ざ)して、伍被を召(め)してともに謀(はか)ろうとして、曰く、「将軍は上(あ)がりなさい」と。伍被は悵然(ちょうぜん)と気が重そうに曰く、 上赦大王王復安得此亡國之語乎臣聞子胥諫吳王...

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當是之時男子疾耕不足於糟糠

當是之時男子疾耕不足於糟糠女子紡績不足於蓋形 ちょうどこの時、男子は一生懸命耕しても糟糠(そうこう かすやぬか)に於いても足(た)らず、女子が紡績(ぼうせき)しても蓋(おお)いの形に於いても足(た)らず、 遣蒙恬筑長城東西數千里暴兵露師常數十萬死者不可勝數...

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以令名男子若振女

以令名男子若振女與百工之事即得之矣 すぐれた男子、若い少女に令(れい)して百工(多くのものつくり)の仕事に与(あずか)らせるを以って、すなわち、これを得られる、と』と。 秦皇帝大說遣振男女三千人資之五穀種種百工而行 秦皇帝(始皇帝)は大いに悦(よろこ)び、少年少女三千人を遣(つか)わし、五穀(ごこく)の種(たね)を資(し)して、百工(多くのものつくり)にして行(おこな)う種(もとで)にさせました。...

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夫吳王賜號為劉氏祭酒

夫吳王賜號為劉氏祭酒復不朝王四郡之眾地方數千里 それ、呉王劉濞が号を賜(たま)わり、劉氏の祭酒(むかし集会を始めるときに上席の年長者がまず酒で地を祭ったこと)と為ったが、ふたたび朝さず、四郡の衆、地の数千里四方を統治し、內鑄消銅以為錢東煑海水以為鹽上取江陵木以為船...

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