上曰吾特苦之耳今復之縣傳淮南王者皆不敢發車封
上(漢孝文帝劉恒)曰く、「吾(われ)はただこれを苦しめるのみ、今にこれをもとにもどす」と。県の淮南王劉長を送りとどける者は皆(みな)敢(あ)えて車の封(ふう)を開(ひら)こうとしなかった。
淮南王乃謂侍者曰誰謂乃公勇者吾安能勇
淮南王劉長はそこで侍者に謂(い)った、曰く、「誰が謂(い)ったのだろう、公は勇者であると。吾(われ)はいずこに勇ましくできただろうか。
吾以驕故不聞吾過至此人生一世安能邑邑如此
吾(われ)は驕(おご)るを以って故(ゆえ)に吾(われ)の過(あやま)ちに気がつかず、ここに至ってしまった。人生、一世の間、いずこに邑邑(ゆうゆう)と憂鬱(ゆううつ)にこの如(ごと)くできようか」と。
乃不食死至雍雍令發封以死聞
そこで食べずに死んだ。雍に至り、雍令が車の封(ふう)を開(あ)け、死を以って申し上げられた。
上哭甚悲謂袁盎曰吾不聽公言卒亡淮南王
上(漢孝文帝劉恒)は大声で泣いて甚(はなは)だ悲しみ、漢中郎将袁盎に謂(い)った、曰く、「吾(われ)は公の言(げん)を聴きいれなかったので、ついに淮南王を亡(な)くしてしまった」と。
盎曰不可柰何願陛下自上曰為之柰何
漢中郎将袁盎曰く、「どうすることもできませんでした。願わくは陛下には自(みずか)らをとがめだてないさいませんように」と。上(漢孝文帝劉恒)曰く、「この為にはどうしたらよいか?」と。
盎曰獨斬丞相御史以謝天下乃可
漢中郎将袁盎曰く、「単に丞相、御史にとりしきらせて(斬(さい)=宰(さい)?)、天下に謝(しゃ)するを以ってすれば、すなわちよいでしょう」と。
上即令丞相御史逮考諸縣傳送淮南王不發封餽侍者皆棄市
上(漢孝文帝劉恒)はそこで、丞相、御史に令(れい)して、諸(もろもろ)の県の淮南王劉長を伝送して、封(ふう)を開けず侍(じ)を少なくした者をとらえて取り調べさせ、皆(みな)棄市罪にした。
乃以列侯葬淮南王於雍守冢三十戶
そこで、列侯として淮南王劉長を雍に葬(ほうむ)り、墓を三十戸に守らせた。
孝文八年上憐淮南王淮南王有子四人皆七八歲
漢孝文帝八年、上(漢孝文帝劉恒)は淮南王劉長を憐(あわ)れみ、淮南王劉長には子が四人有り、皆(みな)、七、八歳で、
乃封子安為阜陵侯子勃為安陽侯子賜為陽周侯子良為東成侯
そこで、子の劉安に封じて阜陵侯と為さしめ、子の劉勃には安陽侯と為さしめ、子の劉賜には陽周侯と為さしめ、子の劉良には東成侯と為さしめた。
上(漢孝文帝劉恒)曰く、「吾(われ)はただこれを苦しめるのみ、今にこれをもとにもどす」と。県の淮南王劉長を送りとどける者は皆(みな)敢(あ)えて車の封(ふう)を開(ひら)こうとしなかった。
淮南王乃謂侍者曰誰謂乃公勇者吾安能勇
淮南王劉長はそこで侍者に謂(い)った、曰く、「誰が謂(い)ったのだろう、公は勇者であると。吾(われ)はいずこに勇ましくできただろうか。
吾以驕故不聞吾過至此人生一世安能邑邑如此
吾(われ)は驕(おご)るを以って故(ゆえ)に吾(われ)の過(あやま)ちに気がつかず、ここに至ってしまった。人生、一世の間、いずこに邑邑(ゆうゆう)と憂鬱(ゆううつ)にこの如(ごと)くできようか」と。
乃不食死至雍雍令發封以死聞
そこで食べずに死んだ。雍に至り、雍令が車の封(ふう)を開(あ)け、死を以って申し上げられた。
上哭甚悲謂袁盎曰吾不聽公言卒亡淮南王
上(漢孝文帝劉恒)は大声で泣いて甚(はなは)だ悲しみ、漢中郎将袁盎に謂(い)った、曰く、「吾(われ)は公の言(げん)を聴きいれなかったので、ついに淮南王を亡(な)くしてしまった」と。
盎曰不可柰何願陛下自上曰為之柰何
漢中郎将袁盎曰く、「どうすることもできませんでした。願わくは陛下には自(みずか)らをとがめだてないさいませんように」と。上(漢孝文帝劉恒)曰く、「この為にはどうしたらよいか?」と。
盎曰獨斬丞相御史以謝天下乃可
漢中郎将袁盎曰く、「単に丞相、御史にとりしきらせて(斬(さい)=宰(さい)?)、天下に謝(しゃ)するを以ってすれば、すなわちよいでしょう」と。
上即令丞相御史逮考諸縣傳送淮南王不發封餽侍者皆棄市
上(漢孝文帝劉恒)はそこで、丞相、御史に令(れい)して、諸(もろもろ)の県の淮南王劉長を伝送して、封(ふう)を開けず侍(じ)を少なくした者をとらえて取り調べさせ、皆(みな)棄市罪にした。
乃以列侯葬淮南王於雍守冢三十戶
そこで、列侯として淮南王劉長を雍に葬(ほうむ)り、墓を三十戸に守らせた。
孝文八年上憐淮南王淮南王有子四人皆七八歲
漢孝文帝八年、上(漢孝文帝劉恒)は淮南王劉長を憐(あわ)れみ、淮南王劉長には子が四人有り、皆(みな)、七、八歳で、
乃封子安為阜陵侯子勃為安陽侯子賜為陽周侯子良為東成侯
そこで、子の劉安に封じて阜陵侯と為さしめ、子の劉勃には安陽侯と為さしめ、子の劉賜には陽周侯と為さしめ、子の劉良には東成侯と為さしめた。