制曰朕不忍致法於王其與列侯二千石議
制して曰く、「朕は王を法にかけることに忍(しの)ばれず、その列侯、二千石とともに議(ぎ)せよ」と。
臣倉臣敬臣逸臣福臣賀昧死言臣謹與列侯吏二千石臣嬰等四十三人議
「臣倉、臣敬、臣逸、臣福、臣賀はおそれながら申し上げます。わたしたちは謹(つつし)んで、列侯、吏二千石の臣嬰ら四十三人とともに議(ぎ)し、
皆曰長不奉法度不聽天子詔乃陰聚徒黨及謀反者
皆(みな)曰く、『劉長は法度を奉(たてまつ)らず、天子の詔(みことのり)を聴かず、すなわち、
ひそかに徒党(ととう)を集めるは、謀反者(むほんしゃ)に及び、
厚養亡命欲以有為臣等議論如法
亡命者を厚(あつ)く養(やしな)い、役にたつことを以って欲した』と。わたしたちは法の如(ごと)く論告することを議(ぎ)しました」と。
制曰朕不忍致法於王其赦長死罪廢勿王
制して曰く、「朕は王を法にかけることは忍(しの)ばれない。その劉長の死罪を赦(ゆる)し、廃して王にすることなかれ」と。
臣倉等昧死言長有大死罪陛下不忍致法幸赦廢勿王
「臣倉らはおそれながら申し上げます、劉長は大死罪に有り、陛下は法にかけることを忍(しの)ばれず、幸いにも赦(ゆる)し、廃して王にすることなかれと。
臣請處蜀郡嚴道邛郵遣其子母從居縣為筑蓋家室
わたしたちは蜀郡の厳道県の邛郵に処(ところ)し、その子、母を遣(つか)わしともに住まわせ、県はかやぶきの家室を築(きず)くことを為し、
皆廩食給薪菜鹽豉炊食器席蓐臣等昧死請請布告天下
皆(みな)、廩食(りんしょく 政府からだすふち米)で、薪(たきぎ)、菜(野菜)、塩、豉(味噌ににた調味料)、炊食器、席蓐(むしろ)を給(たま)わることを請(こ)う。わたしたちは恐れながら請(こ)う、天下に布告(ふこく)を請うことを」と。
制曰計食長給肉日五斤酒二斗令故美人才人得幸者十人從居他可
制して曰く、「食事を計(はか)るに劉長には肉を一日に五斤、酒二斗を給(たま)わる。前の美人、才人の寵愛を得た者十人に令してともに住まわせる。他(ほか)はよい」と。
盡誅所與謀者於是乃遣淮南王載以輜車令縣以次傳
ことごとくともに謀(はか)ったところの者を誅(ちゅう)した。ここに於いて、すなわち淮南王劉長を遣(つか)わし、載(の)せるは輜車(ししゃ 軍用の荷車)を以ってし、県に令するは伝車で次(つ)がせるを以ってさせた。
是時袁盎諫上曰上素驕淮南王弗為置嚴傅相以故至此
この時、漢中郎将袁盎は上(漢孝文帝劉恒)を諌(いさ)めて曰く、「上はふだんから淮南王を驕(おご)らせ、厳格な後見人を置くことを為さず、故(ゆえ)を以ってこれに至ったのです。
且淮南王為人剛今暴摧折之臣恐卒逢霧露病死
且(か)つ、淮南王劉長の人と為りは強情(ごうじょう)で、今、これを荒々しくくだき折(お)れば、
わたしは恐れるのです、にわかに霧(きり)露(つゆ)に逢(あ)って病死することを。
陛下為有殺弟之名柰何
陛下は、弟殺しの汚名を有(ゆう)することに為れば、どうしますか?」と。
制して曰く、「朕は王を法にかけることに忍(しの)ばれず、その列侯、二千石とともに議(ぎ)せよ」と。
臣倉臣敬臣逸臣福臣賀昧死言臣謹與列侯吏二千石臣嬰等四十三人議
「臣倉、臣敬、臣逸、臣福、臣賀はおそれながら申し上げます。わたしたちは謹(つつし)んで、列侯、吏二千石の臣嬰ら四十三人とともに議(ぎ)し、
皆曰長不奉法度不聽天子詔乃陰聚徒黨及謀反者
皆(みな)曰く、『劉長は法度を奉(たてまつ)らず、天子の詔(みことのり)を聴かず、すなわち、
ひそかに徒党(ととう)を集めるは、謀反者(むほんしゃ)に及び、
厚養亡命欲以有為臣等議論如法
亡命者を厚(あつ)く養(やしな)い、役にたつことを以って欲した』と。わたしたちは法の如(ごと)く論告することを議(ぎ)しました」と。
制曰朕不忍致法於王其赦長死罪廢勿王
制して曰く、「朕は王を法にかけることは忍(しの)ばれない。その劉長の死罪を赦(ゆる)し、廃して王にすることなかれ」と。
臣倉等昧死言長有大死罪陛下不忍致法幸赦廢勿王
「臣倉らはおそれながら申し上げます、劉長は大死罪に有り、陛下は法にかけることを忍(しの)ばれず、幸いにも赦(ゆる)し、廃して王にすることなかれと。
臣請處蜀郡嚴道邛郵遣其子母從居縣為筑蓋家室
わたしたちは蜀郡の厳道県の邛郵に処(ところ)し、その子、母を遣(つか)わしともに住まわせ、県はかやぶきの家室を築(きず)くことを為し、
皆廩食給薪菜鹽豉炊食器席蓐臣等昧死請請布告天下
皆(みな)、廩食(りんしょく 政府からだすふち米)で、薪(たきぎ)、菜(野菜)、塩、豉(味噌ににた調味料)、炊食器、席蓐(むしろ)を給(たま)わることを請(こ)う。わたしたちは恐れながら請(こ)う、天下に布告(ふこく)を請うことを」と。
制曰計食長給肉日五斤酒二斗令故美人才人得幸者十人從居他可
制して曰く、「食事を計(はか)るに劉長には肉を一日に五斤、酒二斗を給(たま)わる。前の美人、才人の寵愛を得た者十人に令してともに住まわせる。他(ほか)はよい」と。
盡誅所與謀者於是乃遣淮南王載以輜車令縣以次傳
ことごとくともに謀(はか)ったところの者を誅(ちゅう)した。ここに於いて、すなわち淮南王劉長を遣(つか)わし、載(の)せるは輜車(ししゃ 軍用の荷車)を以ってし、県に令するは伝車で次(つ)がせるを以ってさせた。
是時袁盎諫上曰上素驕淮南王弗為置嚴傅相以故至此
この時、漢中郎将袁盎は上(漢孝文帝劉恒)を諌(いさ)めて曰く、「上はふだんから淮南王を驕(おご)らせ、厳格な後見人を置くことを為さず、故(ゆえ)を以ってこれに至ったのです。
且淮南王為人剛今暴摧折之臣恐卒逢霧露病死
且(か)つ、淮南王劉長の人と為りは強情(ごうじょう)で、今、これを荒々しくくだき折(お)れば、
わたしは恐れるのです、にわかに霧(きり)露(つゆ)に逢(あ)って病死することを。
陛下為有殺弟之名柰何
陛下は、弟殺しの汚名を有(ゆう)することに為れば、どうしますか?」と。