Quantcast
Channel: 倭人伝を解く
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2176

王以請相相弗聽王

$
0
0
王以請相相弗聽王使人上書告相事下廷尉治

淮南王劉安は淮南相に請(こ)うを以ってしたが、淮南相は聴き入れなかった。淮南王劉安は人をつかわし上書して淮南相を告発させ、事(こと)は廷尉に下(くだ)され取り調べられた。

蹤跡連王王使人候伺漢公卿公卿請逮捕治王

蹤跡(しょうせき あしあと)は淮南王劉安に連(つら)なり、淮南王劉安は人をつかわし漢の公卿をうかがわせた。公卿は淮南王劉安を逮捕(たいほ)して取り調べることを請(こ)うた。

王恐事發太子遷謀曰漢使即逮王王令人衣衛士衣

淮南王劉安は事の発覚を恐れた。淮南王太子劉遷は謀(はか)りて曰く、「漢の使者がすなわち王をとらえようとしたら、王は人に令して衛士の衣(ころも)を着せて、

持戟居庭中王旁有非是則刺殺之臣亦使人刺殺淮南中尉乃舉兵未晚

戟(ほこ)を持たせて庭の中に居(い)させ、王のかたわらで正しくないことが有れば、すなわちこれを刺し殺し、わたしもまた人をして淮南(漢?)中尉を刺し殺させ、そこで兵を挙(あ)げても、未(ま)だ晩(おそ)くはありません」と。

是時上不許公卿請而遣漢中尉宏即訊驗王王聞漢使來即如太子謀計

この時、上(漢孝武帝劉徹)は公卿の請願を許可せず、しこうして、漢中尉宏を遣(つか)わし、すなわち淮南王劉安を聞きたださせた。淮南王劉安は漢の使者が来ると聞いて、すなわち太子劉遷の如(ごと)く計を謀(はか)ったのである。

漢中尉至王視其顏色和訊王以斥雷被事耳王自度無何不發

漢中尉宏が至ると、淮南王劉安はその顔色が柔和(にゅうわ)であることを視(み)た。淮南王劉安を聞きただすは淮南郎中雷被の事(こと)を責めとがめるを以ってするのみで、淮南王劉安は自らをはかるに何も無いとして、(計を)発さなかった。

中尉還以聞公卿治者曰淮南王安擁閼奮擊匈奴者雷被等廢格明詔當棄市

漢中尉宏が還(かえ)り、申し上げるを以ってした。公卿の取り調べた者曰く、「淮南王劉安は匈奴を奮撃しようという者の雷被らをふさぎとどめ、明詔を廃格(はいかく 行われないように邪魔する)し、棄市罪に当たります」と。

詔弗許公卿請廢勿王詔弗許公卿請削五縣詔削二縣

詔(みことのり)して聞きいれなかった。公卿は王にしないで廃することを請(こ)うたが、詔(みことのり)して聞き入れなかった。公卿は五県を削(けず)ることを請(こ)うたが、詔(みことのり)して二県を削(けず)らせた。

使中尉宏赦淮南王罪罰以削地中尉入淮南界宣言赦王

漢中尉宏をつかわし淮南王劉安の罪を赦(ゆる)し、罰するに地を削(けず)るを以ってした。漢中尉宏が淮南界に入り、淮南王劉安を赦(ゆる)すと宣言した。

王初聞漢公卿請誅之未知得削地聞漢使來恐其捕之乃與太子謀刺之如前計

淮南王劉安は初め漢の公卿がこれを誅することを請(こ)うたと聞き、未(ま)だ削地を得たことを知らず、漢の使者が来たことを聞き、そのこれを捕(と)らえることを恐れた。そこで、太子劉遷と前の計の如(ごと)くこれを刺(さ)そうと謀(はか)った。

及中尉至即賀王王以故不發其後自傷曰吾行仁義見削甚恥之

漢中尉宏が至るに及んで、すなわち淮南王劉安を賀(が)したので、淮南王劉安は故(ゆえ)を以って(計を)発さなかった。その後、自らを傷(いた)みて曰く、「吾(われ)は仁義を行ったのに削地される目にあった。甚(はなは)だこれを恥(は)じる」と。

然淮南王削地之后其為反謀益甚諸使道從長安來為妄妖言言上無男漢不治即喜

然(しか)るに淮南王劉安の削地の後、その反謀(はんぼう)を為すはますます甚(はなは)だしくなっていった。諸(もろもろ)の使者が長安より来て語り、でたらめで人をまよわす怪しいうわさをいい、上(漢孝武帝劉徹)には男子が無く、漢は治(おさ)まりませんと言うと、すなわち喜んだ。

即言漢廷治有男王怒以為妄言非也

すなわち、漢廷は治(おさ)まり男子が有ると言えば、淮南王劉安は怒り、妄言(もうげん)であり、正しくないと思ったのである。

王日夜與伍被左吳等案輿地圖部署兵所從入

淮南王劉安は日夜(にちや)、伍被、左呉らとともに輿地図(よちず 地図)を案(あん)じ、兵の従い入るところをふりわけた。

王曰上無太子宮車即晏駕廷臣必徵膠東王不即常山王

淮南王劉安曰く、「上には太子が無く、宮車がすなわち暗闇に駕(が)したら(上が崩御したら)、廷臣は必ず膠東王を呼び寄せ、そうでなければ、常山王で、

諸侯并爭吾可以無備乎且吾高祖孫親行仁義陛下遇我厚吾能忍之

諸侯が並び争えば、吾(われ)は備(そな)え無しを以ってすることができようか。且(か)つ、吾(われ)は高祖劉邦の孫(まご)で、みずから仁義を行い、陛下は我(われ)を遇(ぐう)すること厚(あつ)く、吾(われ)はこれを忍(しの)ぶことができたが、

萬世之後吾寧能北面臣事豎子乎

万世の後まで、吾(われ)はどうして北面して小僧たちに臣事することができようか」と。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 2176

Trending Articles