楚民俗好庳車王以為庳車不便馬欲下令使高之
楚の民の俗は低い馬車を好み、王は低い馬車は馬に不便だと思い、これを高くさしめる令を下(くだ)そうと欲した。
相曰令數下民不知所從不可
楚相公孫敖曰く、「令がたびたび民に下(くだ)されても、手本にするところを知らず、できないでしょう。
王必欲高車臣請教閭里使高其梱
王が必ず車を高くすることを欲するのであれば、わたしに、村民に、その(車の)横木を高くさしめることを教えさせてください。
乘車者皆君子君子不能數下車王許之
車に乗る者は皆(みな)君子で、君子はたびたび車から落ちることはできなくなるでしょう」と。王はこれを聞き入れた。
居半歲民悉自高其車
居(お)ること半年、民はことごとく自(みずか)らその車を高くした。
此不教而民從其化近者視而效之遠者四面望而法之
ここに、教えなくとも、民はその教化にしたがい、近い者は視(み)てこれをまね、遠い者は四面から望(のぞ)みてこれを手本にした。
故三得相而不喜知其材自得之也
故(ゆえ)に三度、楚相を得て喜ばなかったのは、その才能が自(おの)ずからこれを得たことを知っていたからである。
三去相而不悔知非己之罪也
三度、楚相を去りて悔やまなかったのは、己(おのれ)の罪では非(あら)ざるを知っていたからである。
子產者鄭之列大夫也
子産という者は鄭の列大夫である。
鄭昭君之時以所愛徐摯為相國亂
鄭の昭君の時、愛(め)でるところの徐摯が鄭相と為り、国が乱れ
上下不親父子不和
上下が親(した)しまず、父子は不和(ふわ)になった。
大宮子期言之君以子產為相
大宮子期がこれを鄭昭君に言い、子産を以って鄭相と為さしめた。
楚の民の俗は低い馬車を好み、王は低い馬車は馬に不便だと思い、これを高くさしめる令を下(くだ)そうと欲した。
相曰令數下民不知所從不可
楚相公孫敖曰く、「令がたびたび民に下(くだ)されても、手本にするところを知らず、できないでしょう。
王必欲高車臣請教閭里使高其梱
王が必ず車を高くすることを欲するのであれば、わたしに、村民に、その(車の)横木を高くさしめることを教えさせてください。
乘車者皆君子君子不能數下車王許之
車に乗る者は皆(みな)君子で、君子はたびたび車から落ちることはできなくなるでしょう」と。王はこれを聞き入れた。
居半歲民悉自高其車
居(お)ること半年、民はことごとく自(みずか)らその車を高くした。
此不教而民從其化近者視而效之遠者四面望而法之
ここに、教えなくとも、民はその教化にしたがい、近い者は視(み)てこれをまね、遠い者は四面から望(のぞ)みてこれを手本にした。
故三得相而不喜知其材自得之也
故(ゆえ)に三度、楚相を得て喜ばなかったのは、その才能が自(おの)ずからこれを得たことを知っていたからである。
三去相而不悔知非己之罪也
三度、楚相を去りて悔やまなかったのは、己(おのれ)の罪では非(あら)ざるを知っていたからである。
子產者鄭之列大夫也
子産という者は鄭の列大夫である。
鄭昭君之時以所愛徐摯為相國亂
鄭の昭君の時、愛(め)でるところの徐摯が鄭相と為り、国が乱れ
上下不親父子不和
上下が親(した)しまず、父子は不和(ふわ)になった。
大宮子期言之君以子產為相
大宮子期がこれを鄭昭君に言い、子産を以って鄭相と為さしめた。