吏因捕太子王后圍王宮盡求捕王所與謀反賓客在國中者索得反具以聞
役人は因(よ)りて太子劉遷、王后荼を捕(と)らえ、王宮を包囲し、ことごとく淮南王がともに謀反(むほん)をはかった国中にいる賓客を捕(と)らえることを求め、捜索して反乱の武器を得て、申し上げるを以ってした。
上下公卿治所連引與淮南王謀反列侯二千石豪傑數千人皆以罪輕重受誅
上(漢孝武帝劉徹)は公卿に下(くだ)して取調べさせ、淮南王劉安と謀反(むほん)をはかって連引されたところは、列侯、二千石、豪傑、数千人で、皆(みな)罪の軽い重いを以って誅(ちゅう)を受けた。
衡山王賜淮南王弟也當坐收有司請逮捕衡山王天子曰
衡山王劉賜は淮南王劉安の弟であり、まさに連座してつかまえるべきで、役人が衡山王劉賜を逮捕(たいほ)することを請(こ)うた。天子(漢孝武帝劉徹)曰く、
諸侯各以其國為本不當相坐與諸侯王列侯會肄丞相諸侯議
「諸侯は各(おのおの)がその国を以って本(もと)と為っており、連座(れんざ)させるべきではない。 諸侯王、列侯とともに会(かい)して、丞相、諸侯の議(ぎ)に習(なら)えよ」と。
趙王彭祖列侯臣讓等四十三人議皆曰
趙王彭祖、列侯臣讓等四十三人が議(ぎ)して皆(みな)曰く、
淮南王安甚大逆無道謀反明白當伏誅
「淮南王劉安は甚(はなは)だ大逆(たいぎゃく)無道(むどう)で、謀反(むほん)は明白になり、まさに誅(ちゅう)に伏(ふ)すべきです」と。
膠西王臣端議曰淮南王安廢法行邪懷詐偽心以亂天下
膠西王臣端(漢孝景帝劉啓の子の劉端)が議(ぎ)して曰く、「淮南王劉安は法を廃(はい)し不正を行い、詐偽(さぎ)心を懐(いだ)き、天下を乱すを以ってし、
熒惑百姓倍畔宗廟妄作妖言春秋曰臣無將將而誅
百姓をまどわし、宗廟にそむき、妖言(ようげん 世の人をまよわす怪しいうわさ)を妄作(ぼうさ でたらめ)しました。春秋曰く、臣はむほんを願うことなかれ、願えば、誅(ちゅう)である、と。
安罪重於將謀反形已定臣端所見其書節印圖及他逆無道事驗明白
淮南王劉安の罪は願うより重く、謀反の形はすでに定まっていました。わたしが、その書、旗、印、図、
及び他(ほか)の逆無道(ぎゃくむどう)の事を見たところは、証拠が明白であり、
甚大逆無道當伏其法而論國吏二百石以上及比者
甚(はなは)だ大逆無道で、まさにその法に伏(ふ)すべきであります。しこうして、国吏の二百石以上及び並(なら)ぶ者、
宗室近幸臣不在法中者不能相教當皆免官削爵為士伍毋得宦為吏
宗室、そばづかえの寵臣で法による処罰の中にいない者に論告して、互いに教えあうことができなかったとして、まさに皆(みな)官を免職し爵位を削り、士伍と為さしめ、ふたたび宦を得て役人と為ることがないようにするべきです。
其非吏他贖死金二斤八兩以章臣安之罪
その役人で非(あら)ざる他の者は、金二斤八両で死を購(あがなわ)せます。臣安(淮南王劉安)の罪を章(あきら)かにするを以って、
使天下明知臣子之道毋敢復有邪僻倍畔之意
天下をして、敢(あ)えてふたたびよこしまでむほんの意を有することのないように、臣子の道を明らかに知らさしめるのです」と。
丞相弘廷尉湯等以聞天子使宗正以符節治王
漢丞相公孫弘、廷尉湯らは申し上げるを以ってし、天子(漢孝武帝劉徹)は宗正(官名)をつかわし、符節を以って淮南王劉安を取り調べさせた。
未至淮南王安自剄殺王后荼太子遷諸所與謀反者皆族
未(ま)だ至らないうちに、淮南王劉安は自剄して死んだ。王后荼、太子劉遷、諸(もろもろ)のともにむほんをはかったところの者は皆(みな)族刑に処された。
天子以伍被雅辭多引漢之美欲勿誅廷尉湯曰
天子(漢孝武帝劉徹)は伍被の雅(みやび)な言葉が多く漢の美を引くを以って、誅さないことを欲した。廷尉湯曰く、
被首為王畫反謀被罪無赦遂誅被國除為九江郡
「伍被は王のために反謀を画した首謀者で、伍被の罪は赦(ゆる)すことなかれ」と。遂(つい)に伍被を誅した。国(淮南)は除(のぞ)かれて、九江郡に為った。
役人は因(よ)りて太子劉遷、王后荼を捕(と)らえ、王宮を包囲し、ことごとく淮南王がともに謀反(むほん)をはかった国中にいる賓客を捕(と)らえることを求め、捜索して反乱の武器を得て、申し上げるを以ってした。
上下公卿治所連引與淮南王謀反列侯二千石豪傑數千人皆以罪輕重受誅
上(漢孝武帝劉徹)は公卿に下(くだ)して取調べさせ、淮南王劉安と謀反(むほん)をはかって連引されたところは、列侯、二千石、豪傑、数千人で、皆(みな)罪の軽い重いを以って誅(ちゅう)を受けた。
衡山王賜淮南王弟也當坐收有司請逮捕衡山王天子曰
衡山王劉賜は淮南王劉安の弟であり、まさに連座してつかまえるべきで、役人が衡山王劉賜を逮捕(たいほ)することを請(こ)うた。天子(漢孝武帝劉徹)曰く、
諸侯各以其國為本不當相坐與諸侯王列侯會肄丞相諸侯議
「諸侯は各(おのおの)がその国を以って本(もと)と為っており、連座(れんざ)させるべきではない。 諸侯王、列侯とともに会(かい)して、丞相、諸侯の議(ぎ)に習(なら)えよ」と。
趙王彭祖列侯臣讓等四十三人議皆曰
趙王彭祖、列侯臣讓等四十三人が議(ぎ)して皆(みな)曰く、
淮南王安甚大逆無道謀反明白當伏誅
「淮南王劉安は甚(はなは)だ大逆(たいぎゃく)無道(むどう)で、謀反(むほん)は明白になり、まさに誅(ちゅう)に伏(ふ)すべきです」と。
膠西王臣端議曰淮南王安廢法行邪懷詐偽心以亂天下
膠西王臣端(漢孝景帝劉啓の子の劉端)が議(ぎ)して曰く、「淮南王劉安は法を廃(はい)し不正を行い、詐偽(さぎ)心を懐(いだ)き、天下を乱すを以ってし、
熒惑百姓倍畔宗廟妄作妖言春秋曰臣無將將而誅
百姓をまどわし、宗廟にそむき、妖言(ようげん 世の人をまよわす怪しいうわさ)を妄作(ぼうさ でたらめ)しました。春秋曰く、臣はむほんを願うことなかれ、願えば、誅(ちゅう)である、と。
安罪重於將謀反形已定臣端所見其書節印圖及他逆無道事驗明白
淮南王劉安の罪は願うより重く、謀反の形はすでに定まっていました。わたしが、その書、旗、印、図、
及び他(ほか)の逆無道(ぎゃくむどう)の事を見たところは、証拠が明白であり、
甚大逆無道當伏其法而論國吏二百石以上及比者
甚(はなは)だ大逆無道で、まさにその法に伏(ふ)すべきであります。しこうして、国吏の二百石以上及び並(なら)ぶ者、
宗室近幸臣不在法中者不能相教當皆免官削爵為士伍毋得宦為吏
宗室、そばづかえの寵臣で法による処罰の中にいない者に論告して、互いに教えあうことができなかったとして、まさに皆(みな)官を免職し爵位を削り、士伍と為さしめ、ふたたび宦を得て役人と為ることがないようにするべきです。
其非吏他贖死金二斤八兩以章臣安之罪
その役人で非(あら)ざる他の者は、金二斤八両で死を購(あがなわ)せます。臣安(淮南王劉安)の罪を章(あきら)かにするを以って、
使天下明知臣子之道毋敢復有邪僻倍畔之意
天下をして、敢(あ)えてふたたびよこしまでむほんの意を有することのないように、臣子の道を明らかに知らさしめるのです」と。
丞相弘廷尉湯等以聞天子使宗正以符節治王
漢丞相公孫弘、廷尉湯らは申し上げるを以ってし、天子(漢孝武帝劉徹)は宗正(官名)をつかわし、符節を以って淮南王劉安を取り調べさせた。
未至淮南王安自剄殺王后荼太子遷諸所與謀反者皆族
未(ま)だ至らないうちに、淮南王劉安は自剄して死んだ。王后荼、太子劉遷、諸(もろもろ)のともにむほんをはかったところの者は皆(みな)族刑に処された。
天子以伍被雅辭多引漢之美欲勿誅廷尉湯曰
天子(漢孝武帝劉徹)は伍被の雅(みやび)な言葉が多く漢の美を引くを以って、誅さないことを欲した。廷尉湯曰く、
被首為王畫反謀被罪無赦遂誅被國除為九江郡
「伍被は王のために反謀を画した首謀者で、伍被の罪は赦(ゆる)すことなかれ」と。遂(つい)に伍被を誅した。国(淮南)は除(のぞ)かれて、九江郡に為った。