衡山王賜王后乘舒生子三人長男爽為太子次男孝次女無采
衡山王劉賜は、王后の乗舒は子を三人生み、長男の劉爽が衡山王太子と為り、次男は劉孝、次は娘の劉無采という。
又姬徐來生子男女四人美人厥姬生子二人
また姫の徐来は男女四人の子を生(う)み、美人の厥姫は二人の子を生(う)んだ。
衡山王淮南王兄弟相責望禮節不相能
衡山王劉賜は淮南王劉安の兄弟で互いに礼節を責(せ)めうらみ、関係は互いに仲がわるかった。
衡山王聞淮南王作為畔逆反具亦心結賓客以應之恐為所并
衡山王劉賜は淮南王劉安は叛逆(はんぎゃく)のためのむほんの道具を作っていることを聞き、また心は賓客と交(まじ)わってこれに応ずるを以ってし、併(あわ)せられるところと為ることを恐れた。
元光六年衡山王入朝其謁者衛慶有方術
元光六年、衡山王劉賜が入朝したとき、その謁者(官名)の衛慶は方術(ほうじゅつ)を有(ゆう)し、
欲上書事天子王怒故劾慶死罪彊榜服之
上書して天子(漢孝武帝劉徹)に仕(つか)えることを欲した。衡山王劉賜は怒り、故(ゆえ)に衛慶を死罪に弾劾(だんがい)し、強(し)いてむち打って服させようとした。
衡山內史以為非是卻其獄
衡山の内史は正しくないと思い、その訴訟(そしょう)をしりぞけた。
王使人上書告內史內史治言王不直
衡山王劉賜は人をして上書させ内史を告発(こくはつ)させ、内史は取り調べられ、衡山王劉賜の不正を言った。
王又數侵奪人田壞人冢以為田有司請逮治衡山王
衡山王劉賜はまた、たびたび人の田を侵(おか)し奪(うば)い、人の墳墓を壊(こわ)し、田を作ったので、役人が衡山王劉賜をとらえて取り調べることを請(こ)うた。
天子不許為置吏二百石以上
天子(漢孝武帝劉徹)は聞き入れなかったが、役人の二百石以上を置くように為さしめた。
衡山王以此恚與奚慈張廣昌謀
衡山王劉賜はこれを以って腹をたて、奚慈、張広昌とともに謀(はか)り、
求能為兵法候星氣者日夜從容王密謀反事
兵法や星、雲気をうかがうことができる者を求め、日夜(にちや)、從容(しょうよう)と衡山王劉賜にほのめかせて、密(ひそ)かに反事を謀(はか)った。
衡山王劉賜は、王后の乗舒は子を三人生み、長男の劉爽が衡山王太子と為り、次男は劉孝、次は娘の劉無采という。
又姬徐來生子男女四人美人厥姬生子二人
また姫の徐来は男女四人の子を生(う)み、美人の厥姫は二人の子を生(う)んだ。
衡山王淮南王兄弟相責望禮節不相能
衡山王劉賜は淮南王劉安の兄弟で互いに礼節を責(せ)めうらみ、関係は互いに仲がわるかった。
衡山王聞淮南王作為畔逆反具亦心結賓客以應之恐為所并
衡山王劉賜は淮南王劉安は叛逆(はんぎゃく)のためのむほんの道具を作っていることを聞き、また心は賓客と交(まじ)わってこれに応ずるを以ってし、併(あわ)せられるところと為ることを恐れた。
元光六年衡山王入朝其謁者衛慶有方術
元光六年、衡山王劉賜が入朝したとき、その謁者(官名)の衛慶は方術(ほうじゅつ)を有(ゆう)し、
欲上書事天子王怒故劾慶死罪彊榜服之
上書して天子(漢孝武帝劉徹)に仕(つか)えることを欲した。衡山王劉賜は怒り、故(ゆえ)に衛慶を死罪に弾劾(だんがい)し、強(し)いてむち打って服させようとした。
衡山內史以為非是卻其獄
衡山の内史は正しくないと思い、その訴訟(そしょう)をしりぞけた。
王使人上書告內史內史治言王不直
衡山王劉賜は人をして上書させ内史を告発(こくはつ)させ、内史は取り調べられ、衡山王劉賜の不正を言った。
王又數侵奪人田壞人冢以為田有司請逮治衡山王
衡山王劉賜はまた、たびたび人の田を侵(おか)し奪(うば)い、人の墳墓を壊(こわ)し、田を作ったので、役人が衡山王劉賜をとらえて取り調べることを請(こ)うた。
天子不許為置吏二百石以上
天子(漢孝武帝劉徹)は聞き入れなかったが、役人の二百石以上を置くように為さしめた。
衡山王以此恚與奚慈張廣昌謀
衡山王劉賜はこれを以って腹をたて、奚慈、張広昌とともに謀(はか)り、
求能為兵法候星氣者日夜從容王密謀反事
兵法や星、雲気をうかがうことができる者を求め、日夜(にちや)、從容(しょうよう)と衡山王劉賜にほのめかせて、密(ひそ)かに反事を謀(はか)った。