清河王太傅轅固生者齊人也
清河王の太傅の轅固先生という者は、斉の人である。
以治詩孝景時為博士
詩を治(おさ)めるを以って、漢孝景帝劉啓の時に博士と為った。
與黃生爭論景帝前黃生曰
黄先生と漢孝景帝劉啓の前で論争(ろんそう)した。黄先生曰く、
湯武非受命乃弒也轅固生曰
「殷湯王、周武王は天命をさずかったのでは非(あら)ず、すなわち弒(目上の者を殺す)したのである」と。轅固先生曰く、
不然夫桀紂虐亂天下之心皆歸湯武
「そうではありません。それ、夏桀王、殷紂王が虐乱(ぎゃくらん)で、天下の心は皆(みな)殷湯王、周武王に帰属したのであり、
湯武與天下之心而誅桀紂桀紂之民不為之使而歸湯武
殷湯王、周武王は天下の心とともにして夏桀王、殷紂王を誅(ちゅう)し、夏桀王、殷紂王の民(たみ)はこれの為(ため)に使われずして、殷湯王、周武王に帰属したのです。
湯武不得已而立非受命為何
殷湯王、周武王はやむを得ずして立ったのであって、天命をさずかったのでは非(あら)ずとどうして為すのか?」と。
黃生曰冠雖敝必加於首
黄先生曰く、「冠(かんむり)がぼろぼろになったと雖(いえど)も、必ず頭にほどこされ、
履雖新必關於足何者上下之分也
履(くつ)が新しいと雖(いえど)も、必ず足ですり減らします。何となれば、上下の分(ぶ)なのであります。
今桀紂雖失道然君上也
今、夏桀王、殷紂王が道(みち)を失ったと雖(いえど)も、然るに君上なのであり、
湯武雖聖臣下也
殷湯王、周武王は聖人であると雖(いえど)も、臣下(しんか)なのであります。
夫主有失行臣下不能正言匡過以尊天子
それ、主(あるじ)が行いを失うことが有ったとき、臣下が、言を正しくして過ちをただし、天子を尊ぶを以ってすることができず、
反因過而誅之代立踐南面非弒而何也
かえって過(あやま)ちに因(よ)りてこれを誅(ちゅう)し、代わって立って南向きに位につくは、弒(目上の者を殺す)したのでは非(あら)ざるして何なのでありましょうか?」と。
轅固生曰必若所云是高帝代秦即天子之位非邪
轅固先生曰く、「必ず云(い)うところのごとくであれば、ここに高帝(劉邦)が秦に代わって天子の位についたのは、不正で非(あら)ざるのか?」と。
於是景帝曰食肉不食馬肝不為不知味
ここに於いて漢孝景帝劉啓曰く、「肉を食して、馬の肝(きも)を食べないように、為さなければ味(あじ)を知ることはない。
言學者無言湯武受命不為愚遂罷
学者に言う、殷湯王、周武王の受命を言うことが無ければ、愚(おろ)かには為らない」と。遂(つい)に退出した。
是後學者莫敢明受命放殺者
この後、学者は敢(あ)えて受命、放殺(君主を追い出したり殺したりすること)を明らかにする者はなかった。
清河王の太傅の轅固先生という者は、斉の人である。
以治詩孝景時為博士
詩を治(おさ)めるを以って、漢孝景帝劉啓の時に博士と為った。
與黃生爭論景帝前黃生曰
黄先生と漢孝景帝劉啓の前で論争(ろんそう)した。黄先生曰く、
湯武非受命乃弒也轅固生曰
「殷湯王、周武王は天命をさずかったのでは非(あら)ず、すなわち弒(目上の者を殺す)したのである」と。轅固先生曰く、
不然夫桀紂虐亂天下之心皆歸湯武
「そうではありません。それ、夏桀王、殷紂王が虐乱(ぎゃくらん)で、天下の心は皆(みな)殷湯王、周武王に帰属したのであり、
湯武與天下之心而誅桀紂桀紂之民不為之使而歸湯武
殷湯王、周武王は天下の心とともにして夏桀王、殷紂王を誅(ちゅう)し、夏桀王、殷紂王の民(たみ)はこれの為(ため)に使われずして、殷湯王、周武王に帰属したのです。
湯武不得已而立非受命為何
殷湯王、周武王はやむを得ずして立ったのであって、天命をさずかったのでは非(あら)ずとどうして為すのか?」と。
黃生曰冠雖敝必加於首
黄先生曰く、「冠(かんむり)がぼろぼろになったと雖(いえど)も、必ず頭にほどこされ、
履雖新必關於足何者上下之分也
履(くつ)が新しいと雖(いえど)も、必ず足ですり減らします。何となれば、上下の分(ぶ)なのであります。
今桀紂雖失道然君上也
今、夏桀王、殷紂王が道(みち)を失ったと雖(いえど)も、然るに君上なのであり、
湯武雖聖臣下也
殷湯王、周武王は聖人であると雖(いえど)も、臣下(しんか)なのであります。
夫主有失行臣下不能正言匡過以尊天子
それ、主(あるじ)が行いを失うことが有ったとき、臣下が、言を正しくして過ちをただし、天子を尊ぶを以ってすることができず、
反因過而誅之代立踐南面非弒而何也
かえって過(あやま)ちに因(よ)りてこれを誅(ちゅう)し、代わって立って南向きに位につくは、弒(目上の者を殺す)したのでは非(あら)ざるして何なのでありましょうか?」と。
轅固生曰必若所云是高帝代秦即天子之位非邪
轅固先生曰く、「必ず云(い)うところのごとくであれば、ここに高帝(劉邦)が秦に代わって天子の位についたのは、不正で非(あら)ざるのか?」と。
於是景帝曰食肉不食馬肝不為不知味
ここに於いて漢孝景帝劉啓曰く、「肉を食して、馬の肝(きも)を食べないように、為さなければ味(あじ)を知ることはない。
言學者無言湯武受命不為愚遂罷
学者に言う、殷湯王、周武王の受命を言うことが無ければ、愚(おろ)かには為らない」と。遂(つい)に退出した。
是後學者莫敢明受命放殺者
この後、学者は敢(あ)えて受命、放殺(君主を追い出したり殺したりすること)を明らかにする者はなかった。