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上愈益貴弘湯弘湯深心疾黯

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上愈益貴弘湯弘湯深心疾黯

上(漢孝武帝劉徹)は愈々(いよいよ)益々(ますます)、漢丞相公孫弘、漢廷尉張湯を貴(とうと)び、漢丞相公孫弘、漢廷尉張湯は漢主爵都尉汲黯を深く心ににくんでおり、

唯天子亦不說也欲誅之以事

天子といえどもまた悦(よろこ)ばなかったのであり、これを誅するに事(こと)を以ってしようと欲した。

弘為丞相乃言上曰右內史界部中多貴人宗室

公孫弘が丞相に為って、すなわち上(漢孝武帝劉徹)に言った、曰く、「右內史界部中には貴人、宗室が多く、

難治非素重臣不能任請徙黯為右內史

治めることが難(むずか)しく、素(もと)より重臣で非(あら)ざれば、任(まか)せることができません。汲黯を移(うつ)して右内史と為さしめることを請(こ)う」と。

為右內史數歲官事不廢

右内史と為って数年、官の仕事は廃(はい)されなかった。

大將軍青既益尊姊為皇后然黯與亢禮

漢大将軍衛青がすでにますます尊ばれ、姉(衛子夫)が皇后に為ったが、然(しか)るに漢右内史汲黯は対等の礼をとった。

人或說黯曰自天子欲群臣下大將軍

人の或(あ)るものが漢右内史汲黯に説いた、曰く、「天子が群臣に大将軍に下(くだ)ることを欲してより、

大將軍尊重益貴君不可以不拜黯曰

大将軍は尊重されて益々(ますます)貴(とうと)ばれています。君は拝礼(はいれい)せずを以ってするべきではありません」と。漢右内史汲黯曰く、

夫以大將軍有揖客反不重邪

「それ、大将軍を以ってして揖(両手を胸の前で組み合わせておじぎをすること 対等の礼)する客が有れば、反(かえ)って重んじられないのか?」と。

大將軍聞愈賢黯數請問國家朝廷所疑遇黯過於平生

漢大将軍衛青は聞き、愈々(いよいよ)漢右内史汲黯を賢明だとし、たびたび国家、朝廷の疑わしいところを問うことを請(こ)い、漢右内史汲黯を遇(ぐう)するは平生(へいぜい)よりまさっていた。

淮南王謀反憚黯曰

淮南王劉安が謀反(むほん)し、漢右内史汲黯を憚(はばか)って曰く、

好直諫守節死義難惑以非

「直諌を好み、節操を守り義(ぎ)に死し、不正を以って惑(まど)わすことは難(むずか)しい。

至如說丞相弘如發蒙振落耳

丞相公孫弘を説くが如(ごと)くに至っては、物のおおいを取り去り、落ち葉を振(ふ)るい落とすが如(ごと)くたやすいだけだが」と。

天子既數征匈奴有功黯之言益不用

天子(漢孝武帝劉徹)はすでにたびたび匈奴を征伐して功が有り、漢右内史汲黯の言(げん)は益々(ますます)用いられなくなっていった。

始黯列為九卿而公孫弘張湯為小吏

以前、汲黯が九卿に列したとき、しこうして、公孫弘、張湯は小役人に為った。

及弘湯稍益貴與黯同位黯又非毀弘湯等

公孫弘、張湯がしだいに益々(ますます)貴(とうと)ばれてゆき、汲黯と同位になるに及んで、汲黯もまた公孫弘、張湯らをそしった。

已而弘至丞相封為侯湯至御史大夫

しばらくして公孫弘が丞相に至り、封じられて侯に為り、張湯は御史大夫に至り、

故黯時丞相史皆與黯同列或尊用過之

故(ゆえ)に汲黯はこの時、丞相、御史大夫は皆(みな)、漢右内史汲黯と同列で、或(あ)るいは尊用されてこれを越(こ)えるようになり、

黯褊心不能無少望見上前言曰

漢右内史汲黯は心がせまくなり、わずかな怨(うら)みも無くすことができず、上(漢孝武帝劉徹)に見(まみ)えて、前に進み出て言った、曰く、

陛下用群臣如積薪耳后來者居上

「陛下の群臣を用いるは薪(まき)を積(つ)むようなものであるだけで、後から来た者が上(うえ)に居(お)ります」と。

上默然有黯罷上曰

上(漢孝武帝劉徹)は黙然(もくぜん)とだまりこんだ。しばらくして漢右内史汲黯が退出すると、上(漢孝武帝劉徹)は曰く、

人果不可以無學觀黯之言也日益甚

「人は果(は)たして無学(むがく)を以ってするべきではない。汲黯の言(げん)を観(み)ると、日に日に益々(ますます)甚(はなは)だしくなってきている」と。

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