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武帝即位徙為內史

武帝即位徙為內史 漢孝武帝劉徹が即位すると、移されて内史と為った。 外戚多毀成之短抵罪髡鉗 外戚の多くが漢内史寧成の短所をそしり、罪にふれて髡鉗(罪人の髪をそり首かせをはめる)に処された。 是時九卿罪死即死少被刑而成極刑 この時、九卿は大罪に罪を問われればすなわち死に、刑を被(こうむ)ることは少なく、しこうして、漢内史寧成は刑を極(きわ)め、 自以為不復收於是解脫詐刻傳出關歸家...

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周陽由者其父趙兼

周陽由者其父趙兼以淮南王舅父侯周陽故因姓周陽氏 周陽由という者はその父は趙兼で淮南王の舅父(母の兄弟 おじ)を以って周陽で侯になり、故(ゆえ)に因(よ)りて姓は周陽氏である。 由以宗家任為郎事孝文及景帝 周陽由は宗家を以って任子(にんし)されて郎(官名)に為り、漢孝文帝劉恒及び漢孝景帝劉啓に仕(つか)えた。 景帝時由為郡守武帝即位吏治尚循謹甚...

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張湯者杜人也

張湯者杜人也 張湯という者は杜の人である。 其父為長安丞出湯為兒守舍 その父は長安丞と為り、出かけたとき、張湯は家で子守をした。 還而鼠盜肉其父怒笞湯 還(かえ)って鼠(ねずみ)が肉を盗んでいたので、その父は怒り、張湯をむちうった。 湯掘窟得盜鼠及餘肉劾鼠掠治 張湯はほら穴を掘(ほ)って、盗んだ鼠、及び残った肉を得て、鼠をむちうって(掠治(りゃくち)=掠笞(りゃくち)?)苦しめて、...

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為吏以來舍毋食客

為吏以來舍毋食客 役人に為って以来、家には食客はいなかった。 公卿相造請禹禹終不報謝 公卿はつぎつぎとやってきて、漢少府趙禹に請(こ)うたが、漢少府趙禹は終(しま)いまで報(むく)いききいれることはなかった。 務在絕知友賓客之請孤立行一意而已 親しい友人、賓客の請(こ)いを絶(た)つことに在(あ)るを務(つと)め、孤立(こりつ)して 意を一(いつ)にして行いて、それのみであった。...

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所治即豪必舞文巧詆

所治即豪必舞文巧詆 取り調べるところはすなわち豪傑で、必ず法文を乱用して、巧(たく)みにそしり、 即下戶羸弱時口言雖文致法上財察 すなわち貧しく羸弱(るいじゃく かよわいさま)は、ときどき言葉を口にして、条文では法にかけると雖(いえど)も、上(漢孝武帝劉徹)が裁(さば)いてあきらかにしてください、と。 於是往往釋湯所言湯至於大吏內行修也...

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匈奴來請和親群臣議上前

匈奴來請和親群臣議上前 匈奴が和親(わしん)を請(こ)いに来た。群臣は上(漢孝武帝劉徹)の前で議(ぎ)した。 博士狄山曰和親便 博士狄山曰く、「和親は都合がよいです」と。 上問其便山曰兵者凶器未易數動 上(漢孝武帝劉徹)はその便(べん)を問うた、博士狄山曰く、「武器とは凶器(きょうき)で、未(ま)だたびたび動かし易(やす)くはありません。 高帝欲伐匈奴大困平城乃遂結和親...

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湯之客田甲雖賈人有賢操

湯之客田甲雖賈人有賢操 漢御史大夫張湯の客の田甲は商人と雖(いえど)も、賢く節操が有った。 始湯為小吏時與錢通及湯為大吏 以前張湯が小役人に為っていた時、銭を与えて通じ、張湯が大役人に為るに及んで、 甲所以責湯行義過失亦有烈士風 田甲の張湯の行儀、過失を責めしかるを以ってするところは、また烈士の風格が有った。 湯為御史大夫七歲敗 張湯が御史大夫に為って七年、敗(やぶ)れた。...

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買臣楚士深怨常欲死之

買臣楚士深怨常欲死之 朱買臣は楚の士で、深く怨み、常(つね)にこれを殺そうと欲していた。 王朝,齊人也。以術至右內史。 王朝は斉の人である。術を以って右内史に至った。 邊通學長短剛暴彊人也官再至濟南相。 辺通は長い武器、短い武器を学び、剛暴強人であり、官は二度、済南相に至った。 故皆居湯右已而失官守長史詘體於湯...

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禹至讓湯曰君何不知分也

禹至讓湯曰君何不知分也 趙禹が至ると、張湯をしかりせめて曰く、「君はどうして分(ぶ)を知らないのか。 君所治夷滅者幾何人矣 君が取り調べたところの夷滅した者は幾人か? 今人言君皆有狀天子重致君獄 今、人の君を言うは皆(みな)書状が有り、天子は君を獄にかけることを惜(お)しみ、 欲令君自為計何多以對簿為...

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趙禹中廢已而為廷尉

趙禹中廢已而為廷尉 趙禹は途中で廃されたが、しばらくして廷尉に為った。 始條侯以為禹賊深弗任 以前、漢丞相條侯周亞夫は趙禹は罪にあてることが深く、任(まか)せられないと思った。 及禹為少府比九卿 趙禹が少府に為るに及んで、九卿に並んだ。 禹酷急至晚節事益多吏務為嚴峻 漢少府趙禹ははなはだきびしく、晩年に至って、事(こと)はますます多くなり、役人は務(つと)めて厳峻(げんしゅん)に為った。...

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是時趙禹張湯以深刻為九卿矣

是時趙禹張湯以深刻為九卿矣然其治尚 この時、趙禹、張湯が(法文を)深くきびしくするを以って九卿と為り、然(しか)るにその治(ち)は尚(なお)寛容(かんよう)で、 輔法而行而縱以鷹擊毛摯為治 法をよりどころとして行い、しこうして定襄太守義縦は鷹擊毛摯(ようげきもうし たかが羽ばたきして獲物をとらえること)を以って治(ち)を為した。 后會五銖錢白金起民為姦京師尤甚...

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已而試補縣亭長數廢

已而試補縣亭長數廢為吏以治獄至廷史 しばらくして県の亭長の試補(見習い)となって、たびたび廃(はい)された。役人に為って、獄事を取り調べ、廷史に至った。 事張湯遷為御史督盜賊殺傷甚多稍遷至廣平都尉 張湯に仕(つか)え、遷(うつ)されて御史と為った。盗賊を見張り、殺傷は甚(はなは)だ多く、次第に遷(うつ)されて広平都尉に至った。 擇郡中豪敢任吏十餘人以為爪牙皆把其陰重罪...

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其頗不得失之旁郡國

其頗不得失之旁郡國黎來會春溫舒頓足嘆曰 その頗(すこぶ)るつかまえられずに、傍(かたわ)らの郡国に失(うしな)い、犂(すき)で耕す時期が来て(黎(れい)=犂(れい)?)、時に春になり、河内太守王温舒はじだんだを踏んで嘆息(たんそく)して曰く、 嗟乎令冬月益展一月足吾事矣 「ああ、冬月に一月(ひとつき)増やし延(の)ばせれば、吾(われ)の事業は足(た)るのだが」と。 其好殺伐行威不愛人如此...

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楊仆者宜陽人也

楊仆者宜陽人也 楊僕という者は、宜陽の人である。 以千夫為吏河南守案舉以為能遷為御史使督盜賊關東 千夫を以って役人と為った。河南守が案(あん)じて能力があると為すを以って推挙(すいきょ)し、 遷(うつ)して御史と為さしめ、関東で盗賊を見張らせた。 治放尹齊以為敢摯行稍遷至主爵都尉列九卿...

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吏苛察

吏苛察盜賊惡少年投缿購告言姦置伯格長以牧司姦盜賊 役人はきびしくとりしまり、盜賊、惡少年は、投書箱、賞金をかけたことにより、不正を告発し、伯格長を置いて、不正、盗賊を管理するを以ってした。溫舒為人讇善事有埶者即無埶者視之如奴 王温舒の人と為りは有勢者には善事をへつらい、すなわち、勢力な無い者には、これを下男の如(ごと)く視(み)た。 有埶家雖有姦如山弗犯無埶者貴戚必侵辱...

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光祿徐自為曰悲夫夫古有三族

光祿徐自為曰悲夫夫古有三族 光祿(官名)徐自為曰く、「悲しいかな、それ古(いにしえ)には三族が有り、 而王溫舒罪至同時而五族乎 しこうして、王温舒の罪は同時にして五族に至ってしまったか」と。溫舒死家直累千金 王温舒が死んだとき、家にはもっぱら千金を積んでいた。 後數歲尹齊亦以淮陽都尉病死家直不滿五十金 数年後、尹斉もまた淮陽都尉を以って病死し、家にはわずかに五十金に満たなかった。...

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其治米鹽

其治米鹽事大小皆關其手自部署縣名曹實物 その米塩(めんどうなことのたとえ 細かなこと)を治(おさ)め、大小に事(こと)し皆(みな)その手に関(かか)わり、自ら役目をふりわけて仲間、実物を明らか(名(めい)=明(めい)?)にして示し、 官吏令丞不得擅搖痛以重法繩之 官吏、令丞は、思うままに揺(ゆ)り動かすことができず、法を重んずるを以ってはげしくこれに縄(なわ)をかけた。...

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然重遲外內深次骨

然重遲外內深次骨 然(しか)るに疑(うたが)い深く(遅(ち)=疑(ぎ)? ちは、き、ぎ、い、などに変化するので)、外(そと)は寛容(かんよう)にして、内(うち)では骨(ほね)にいたるほど深い。 宣為左內史周為廷尉其治大放張湯而善候伺 減宣が左内史に為り、杜周が廷尉に為り、その治(ち)は大いに張湯を模倣(もほう)して、善くごきげんをうかがった。 上所欲擠者因而陷之...

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至周為廷尉詔獄亦益多矣

至周為廷尉詔獄亦益多矣 杜周が廷尉に為るに至り、詔獄(しょうごく 漢代、天子の命をうけて罪人をとりしらべたところ)もまた益々多くなっていった。 二千石系者新故相因不減百餘人 二千石のつながれた者は、新旧相(あい)因(よ)りて、百余人を減(げん)じず。 郡吏大府舉之廷尉一歲至千餘章 郡吏、大府がこれを廷尉に挙(あ)げるは、一年で一千余りの文書であった。 章大者連逮證案數百小者數十人...

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於是聞有逮皆亡匿

於是聞有逮皆亡匿 ここに於いて逮捕が有ると聞いたものは皆(みな)逃げ隠れた。 獄久者至更數赦十有餘歲而相告言大抵盡詆以不道以上 裁判の長い者は贖(あがない 数(しょく)=贖(しょく)?)赦(赦免)の令?を改(あらた)めるに至りて十と余年で、しこうしてつぎつぎと告言して、大抵(たいてい)ことごとくそしるに不道(無道?)以上を以ってした。 廷尉及中都官詔獄逮至六七萬人吏所加十萬餘人...

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