所治即豪必舞文巧詆
取り調べるところはすなわち豪傑で、必ず法文を乱用して、巧(たく)みにそしり、
即下戶羸弱時口言雖文致法上財察
すなわち貧しく羸弱(るいじゃく かよわいさま)は、ときどき言葉を口にして、条文では法にかけると雖(いえど)も、上(漢孝武帝劉徹)が裁(さば)いてあきらかにしてください、と。
於是往往釋湯所言湯至於大吏內行修也
ここに於いて往々(おうおう)にして漢廷尉張湯の言ったところをゆるした。漢廷尉張湯は大役人に至ると、ひそかに修禊(しゅうけい みそぎ)を行ったのである。
通賓客飲食於故人子弟為吏及貧昆弟調護之尤厚
賓客にまじわり飲食した。友人の子弟を役人に為し、貧しい兄弟に及んでは、これを護(まも)りかばうは尤(もっと)も厚(あつ)くした。
其造請諸公不避寒暑
その諸(もろもろ)の公に請(こ)いに至るは、寒い暑いを避(さ)けなかった。
是以湯雖文深意忌不專平然得此聲譽
ここに張湯を以って法文が深いと雖(いえど)も、意(い)は平らかにすることを専(もっぱ)らにしないことを忌(い)みきらい、然(しか)るにこの名誉(めいよ)を得た。
而刻深吏多為爪牙用者依於文學之士
しこうして、(法文を)深く刻(きざ)む役人は爪(つめ)牙(きば)を為して用いる者が多く、文学の士をたのみにした。
丞相弘數稱其美及治淮南衡山江都反獄皆窮根本
漢丞相公孫弘はたびたびその美を称(たた)えた。淮南、衡山、江都の謀反の獄事を取り調べるに及んで、皆(みな)根本を窮(きわ)めた。
嚴助及伍被上欲釋之
厳助及び伍被は、上(漢孝武帝劉徹)はこれをゆるすことを欲した。
湯爭曰伍被本畫反謀而助親幸出入禁闥爪牙臣
漢廷尉張湯は言い争って、曰く、「伍被は反謀を画(かく)した本(もと)で、しこうして、親(した)しみかわいがられている者を助け、禁闥(宮中の小門)の爪牙の臣を出入りさせ、
乃交私諸侯如此弗誅後不可治於是上可論之
私的に諸侯に交(まじ)わるはこの如(ごと)くで、誅(ちゅう)さなければ、後(のち)に治(おさ)めることができません」と。ここに於いて上(漢孝武帝劉徹)はこれに論告することをよいとした。
其治獄所排大臣自為功多此類
その獄事を取り調べて、排(はい)したところの大臣は、自ら功を為そうとした者で、多くがこの類(たぐい)であった。
於是湯益尊任遷為御史大夫
ここに於いて漢廷尉張湯は益々(ますます)専任(せんにん)され、遷(うつ)されて御史大夫と為った。
會渾邪等降漢大興兵伐匈奴
渾邪王らの投降に会(かい)し、漢は大いに兵を興(おこ)して匈奴を討(う)った。
山東水旱貧民流徙皆仰給縣官縣官空虛
山東は洪水(こうずい)、旱魃(かんばつ)で、貧民が流れ移り、皆(みな)県官に給を仰(あお)いだが、県官は空っぽでなにもなかった。
於是丞上指請造白金及五銖錢
ここに於いて上(漢孝武帝劉徹)の旨(むね)を受け、白金及び五銖銭を造(つく)り、
籠天下鹽鐵排富商大賈出告緡令
天下の塩、鉄をまとめ、富商の買占めを排(はい)すは、告緡令を出し、
鉏豪彊并兼之家舞文巧詆以輔法
豪強の併(あわ)せ兼(か)ねる家をのぞくは、法文を乱用して巧(たく)みにそしり、法をよりどころとするを以ってするを請(こ)うた。
湯每朝奏事語國家用日晏天子忘食
漢御史大夫張湯は朝するごとに事(こと)を奏上し、国家の用を語ると、日が暮れても、天子(漢孝武帝劉徹)は食事を忘れるほどだった。
丞相取充位天下事皆決於湯
漢丞相公孫弘は充位(じゅうい ただその位に居るだけで責任を尽くさないこと)を取り、天下の事は皆(みな)漢御史大夫張湯に於いて決められた。
百姓不安其生騷動縣官所興未獲其利
百姓はその生活に安んじず、騒動(そうどう)し、県官の興(おこ)すところは、未(ま)だその利(り)を獲(え)ず、
姦吏并侵漁於是痛繩以罪
不正な役人はもっぱら侵漁(しんぎょ 片端から他人のものをうばいとる)し、ここに於いて縄(なわ)をはげしくして罪に処するを以ってした。
則自公卿以下至於庶人咸指湯
すなわち、公卿以下より、庶人に至るまで、あまねく漢御史大夫張湯を責めとがめた。
湯嘗病天子至自視病其隆貴如此
漢御史大夫張湯が嘗(かつ)て病にかかったとき、天子(漢孝武帝劉徹)は自ら病を視(み)に至り、
その隆貴(りゅうき 身分がたいへんたっといこと)はこの如(ごと)くであった。
取り調べるところはすなわち豪傑で、必ず法文を乱用して、巧(たく)みにそしり、
即下戶羸弱時口言雖文致法上財察
すなわち貧しく羸弱(るいじゃく かよわいさま)は、ときどき言葉を口にして、条文では法にかけると雖(いえど)も、上(漢孝武帝劉徹)が裁(さば)いてあきらかにしてください、と。
於是往往釋湯所言湯至於大吏內行修也
ここに於いて往々(おうおう)にして漢廷尉張湯の言ったところをゆるした。漢廷尉張湯は大役人に至ると、ひそかに修禊(しゅうけい みそぎ)を行ったのである。
通賓客飲食於故人子弟為吏及貧昆弟調護之尤厚
賓客にまじわり飲食した。友人の子弟を役人に為し、貧しい兄弟に及んでは、これを護(まも)りかばうは尤(もっと)も厚(あつ)くした。
其造請諸公不避寒暑
その諸(もろもろ)の公に請(こ)いに至るは、寒い暑いを避(さ)けなかった。
是以湯雖文深意忌不專平然得此聲譽
ここに張湯を以って法文が深いと雖(いえど)も、意(い)は平らかにすることを専(もっぱ)らにしないことを忌(い)みきらい、然(しか)るにこの名誉(めいよ)を得た。
而刻深吏多為爪牙用者依於文學之士
しこうして、(法文を)深く刻(きざ)む役人は爪(つめ)牙(きば)を為して用いる者が多く、文学の士をたのみにした。
丞相弘數稱其美及治淮南衡山江都反獄皆窮根本
漢丞相公孫弘はたびたびその美を称(たた)えた。淮南、衡山、江都の謀反の獄事を取り調べるに及んで、皆(みな)根本を窮(きわ)めた。
嚴助及伍被上欲釋之
厳助及び伍被は、上(漢孝武帝劉徹)はこれをゆるすことを欲した。
湯爭曰伍被本畫反謀而助親幸出入禁闥爪牙臣
漢廷尉張湯は言い争って、曰く、「伍被は反謀を画(かく)した本(もと)で、しこうして、親(した)しみかわいがられている者を助け、禁闥(宮中の小門)の爪牙の臣を出入りさせ、
乃交私諸侯如此弗誅後不可治於是上可論之
私的に諸侯に交(まじ)わるはこの如(ごと)くで、誅(ちゅう)さなければ、後(のち)に治(おさ)めることができません」と。ここに於いて上(漢孝武帝劉徹)はこれに論告することをよいとした。
其治獄所排大臣自為功多此類
その獄事を取り調べて、排(はい)したところの大臣は、自ら功を為そうとした者で、多くがこの類(たぐい)であった。
於是湯益尊任遷為御史大夫
ここに於いて漢廷尉張湯は益々(ますます)専任(せんにん)され、遷(うつ)されて御史大夫と為った。
會渾邪等降漢大興兵伐匈奴
渾邪王らの投降に会(かい)し、漢は大いに兵を興(おこ)して匈奴を討(う)った。
山東水旱貧民流徙皆仰給縣官縣官空虛
山東は洪水(こうずい)、旱魃(かんばつ)で、貧民が流れ移り、皆(みな)県官に給を仰(あお)いだが、県官は空っぽでなにもなかった。
於是丞上指請造白金及五銖錢
ここに於いて上(漢孝武帝劉徹)の旨(むね)を受け、白金及び五銖銭を造(つく)り、
籠天下鹽鐵排富商大賈出告緡令
天下の塩、鉄をまとめ、富商の買占めを排(はい)すは、告緡令を出し、
鉏豪彊并兼之家舞文巧詆以輔法
豪強の併(あわ)せ兼(か)ねる家をのぞくは、法文を乱用して巧(たく)みにそしり、法をよりどころとするを以ってするを請(こ)うた。
湯每朝奏事語國家用日晏天子忘食
漢御史大夫張湯は朝するごとに事(こと)を奏上し、国家の用を語ると、日が暮れても、天子(漢孝武帝劉徹)は食事を忘れるほどだった。
丞相取充位天下事皆決於湯
漢丞相公孫弘は充位(じゅうい ただその位に居るだけで責任を尽くさないこと)を取り、天下の事は皆(みな)漢御史大夫張湯に於いて決められた。
百姓不安其生騷動縣官所興未獲其利
百姓はその生活に安んじず、騒動(そうどう)し、県官の興(おこ)すところは、未(ま)だその利(り)を獲(え)ず、
姦吏并侵漁於是痛繩以罪
不正な役人はもっぱら侵漁(しんぎょ 片端から他人のものをうばいとる)し、ここに於いて縄(なわ)をはげしくして罪に処するを以ってした。
則自公卿以下至於庶人咸指湯
すなわち、公卿以下より、庶人に至るまで、あまねく漢御史大夫張湯を責めとがめた。
湯嘗病天子至自視病其隆貴如此
漢御史大夫張湯が嘗(かつ)て病にかかったとき、天子(漢孝武帝劉徹)は自ら病を視(み)に至り、
その隆貴(りゅうき 身分がたいへんたっといこと)はこの如(ごと)くであった。