匈奴來請和親群臣議上前
匈奴が和親(わしん)を請(こ)いに来た。群臣は上(漢孝武帝劉徹)の前で議(ぎ)した。
博士狄山曰和親便
博士狄山曰く、「和親は都合がよいです」と。
上問其便山曰兵者凶器未易數動
上(漢孝武帝劉徹)はその便(べん)を問うた、博士狄山曰く、「武器とは凶器(きょうき)で、未(ま)だたびたび動かし易(やす)くはありません。
高帝欲伐匈奴大困平城乃遂結和親
高帝(劉邦)は匈奴を討(う)つことを欲し、平城で大いに困(こま)り、そこで、遂(つい)に和親(わしん)を結びました。
孝惠高后時天下安樂
漢孝恵、高后の時、天下は安楽(あんらく)になりました。
及孝文帝欲事匈奴北邊蕭然苦兵矣
孝文帝が事を匈奴に欲し、北辺(ほくへん)は粛然(しゅくぜん)とたちまち戦いに苦しみました。
孝景時吳楚七國反景帝往來兩宮寒心者數月
孝景の時、呉楚七国が反乱し、景帝が二つの宮殿の間を行き来して、ぞっとしたのは数ヶ月。
吳楚已破竟景帝不言兵天下富實
呉、楚がすでに破(やぶ)れると、とうとう景帝は戦いを言わず、天下は富んで満たされました。
今自陛下舉兵擊匈奴中國以空虛邊民大困貧
今、陛下が兵を挙げて匈奴を撃ってより、中国は空っぽになって、辺境の民は大いに貧しさに困っています。
由此觀之不如和親上問湯湯曰
これに由(よ)りこれを観るに、和親(わしん)するにこしたことはありません」と。上(漢孝武帝劉徹)は漢御史大夫張湯に問うた、漢御史大夫張湯曰く、
此愚儒無知狄山曰
「これは愚かな儒者で理解していないのです」と。博士狄山曰く、
臣固愚忠若御史大夫湯乃詐忠
「わたしはもとより愚忠ですが、御史大夫湯のごとくはすなわち詐忠であります。
若湯之治淮南江都以深文痛詆諸侯
湯の淮南、江都を取り調べたがごとくは、法文を深くするを以ってひどくそしり、
別疏骨肉使蕃臣不自安臣固知湯之為詐忠
身内をばらばらに別れさせ、藩臣をして自らを安んじさせませんでした。わたしは固(もと)より湯が詐忠と為っていることを知っています」と。
於是上作色曰吾使生居一郡能無使虜入盜乎
ここに於いて上(漢孝武帝劉徹)は色(いろ)をなして曰く、「吾(われ)が先生をして一郡にすまわせれば、虜(匈奴)をして盗みに入らせないようにできるか?」と。
曰不能曰居一縣對曰不能
(博士狄山)曰く、「できません」と。曰く、「一県にすむのはどうだ?」と。(博士狄山)曰く、
「できません」と。
復曰居一障山自度辯窮且下吏曰能
ふたたび曰く、「一つの障壁(とりで)の間ではどうだ?」と。博士狄山は自らをはかり、弁(べん)が窮(きゅう)すれば、まさに役人に下(くだ)されんとすると思い、曰く、「できます」と。
於是上遣山乘鄣至月餘匈奴斬山頭而去
ここに於いて上(漢孝武帝劉徹は博士狄山を遣(つか)わし、障壁(とりで)を治めさせた。至って一ヶ月余り、匈奴は博士狄山の頭を斬って、去った。
自是以後群臣震慴
これより以後、群臣は震(ふる)えあがっておそれた。
匈奴が和親(わしん)を請(こ)いに来た。群臣は上(漢孝武帝劉徹)の前で議(ぎ)した。
博士狄山曰和親便
博士狄山曰く、「和親は都合がよいです」と。
上問其便山曰兵者凶器未易數動
上(漢孝武帝劉徹)はその便(べん)を問うた、博士狄山曰く、「武器とは凶器(きょうき)で、未(ま)だたびたび動かし易(やす)くはありません。
高帝欲伐匈奴大困平城乃遂結和親
高帝(劉邦)は匈奴を討(う)つことを欲し、平城で大いに困(こま)り、そこで、遂(つい)に和親(わしん)を結びました。
孝惠高后時天下安樂
漢孝恵、高后の時、天下は安楽(あんらく)になりました。
及孝文帝欲事匈奴北邊蕭然苦兵矣
孝文帝が事を匈奴に欲し、北辺(ほくへん)は粛然(しゅくぜん)とたちまち戦いに苦しみました。
孝景時吳楚七國反景帝往來兩宮寒心者數月
孝景の時、呉楚七国が反乱し、景帝が二つの宮殿の間を行き来して、ぞっとしたのは数ヶ月。
吳楚已破竟景帝不言兵天下富實
呉、楚がすでに破(やぶ)れると、とうとう景帝は戦いを言わず、天下は富んで満たされました。
今自陛下舉兵擊匈奴中國以空虛邊民大困貧
今、陛下が兵を挙げて匈奴を撃ってより、中国は空っぽになって、辺境の民は大いに貧しさに困っています。
由此觀之不如和親上問湯湯曰
これに由(よ)りこれを観るに、和親(わしん)するにこしたことはありません」と。上(漢孝武帝劉徹)は漢御史大夫張湯に問うた、漢御史大夫張湯曰く、
此愚儒無知狄山曰
「これは愚かな儒者で理解していないのです」と。博士狄山曰く、
臣固愚忠若御史大夫湯乃詐忠
「わたしはもとより愚忠ですが、御史大夫湯のごとくはすなわち詐忠であります。
若湯之治淮南江都以深文痛詆諸侯
湯の淮南、江都を取り調べたがごとくは、法文を深くするを以ってひどくそしり、
別疏骨肉使蕃臣不自安臣固知湯之為詐忠
身内をばらばらに別れさせ、藩臣をして自らを安んじさせませんでした。わたしは固(もと)より湯が詐忠と為っていることを知っています」と。
於是上作色曰吾使生居一郡能無使虜入盜乎
ここに於いて上(漢孝武帝劉徹)は色(いろ)をなして曰く、「吾(われ)が先生をして一郡にすまわせれば、虜(匈奴)をして盗みに入らせないようにできるか?」と。
曰不能曰居一縣對曰不能
(博士狄山)曰く、「できません」と。曰く、「一県にすむのはどうだ?」と。(博士狄山)曰く、
「できません」と。
復曰居一障山自度辯窮且下吏曰能
ふたたび曰く、「一つの障壁(とりで)の間ではどうだ?」と。博士狄山は自らをはかり、弁(べん)が窮(きゅう)すれば、まさに役人に下(くだ)されんとすると思い、曰く、「できます」と。
於是上遣山乘鄣至月餘匈奴斬山頭而去
ここに於いて上(漢孝武帝劉徹は博士狄山を遣(つか)わし、障壁(とりで)を治めさせた。至って一ヶ月余り、匈奴は博士狄山の頭を斬って、去った。
自是以後群臣震慴
これより以後、群臣は震(ふる)えあがっておそれた。