湯之客田甲雖賈人有賢操
漢御史大夫張湯の客の田甲は商人と雖(いえど)も、賢く節操が有った。
始湯為小吏時與錢通及湯為大吏
以前張湯が小役人に為っていた時、銭を与えて通じ、張湯が大役人に為るに及んで、
甲所以責湯行義過失亦有烈士風
田甲の張湯の行儀、過失を責めしかるを以ってするところは、また烈士の風格が有った。
湯為御史大夫七歲敗
張湯が御史大夫に為って七年、敗(やぶ)れた。
河東人李文嘗與湯有卻已而為御史中丞
河東の人の李文は嘗(かつ)て張湯と仲たがいが有り、しばらくして御史中丞に為り、
恚數從中文書事有可以傷湯者不能為地
腹をたてて、文書中の事から、張湯を傷つけることができる者があるかを数えたてたが、下地と為すことはできなかった。
湯有所愛史魯謁居知湯不平使人上蜚變告文姦事
漢御史大夫張湯にはかわいがるところの史の魯謁居がおり、漢御史大夫張湯が不平であることを知って、
人をして急な変事を上げさせ、李文の不正事を告(つ)げさせた。
事下湯湯治論殺文而湯心知謁居為之
事は漢御史大夫張湯に下(くだ)され、張湯は取り調べて李文を死刑に論告した。しこうして張湯の心は魯謁居が自分の為にしたことを知っていた。
上問曰言變事縱跡安起湯詳驚曰
上(漢孝武帝劉徹)が問うて曰く、「変事を言った縦跡(しょうせき 足あと)はいずこから起こったのか?」と。漢御史大夫張湯は偽(いつわ)って驚き曰く、
此殆文故人怨之謁居病臥閭里主人
「これはおそらく李文の友人がこれを怨んだのでしょう」と。魯謁居が病にかかり村里の主人のところで療養した。
湯自往視疾為謁居摩足
漢御史大夫張湯は病を視に往き、魯謁居の為(ため)に足を摩(さす)った。
趙國以冶鑄為業王數訟鐵官事湯常排趙王
趙国は冶鑄(やちゅう 金属をふきわけること)を以ってなりわいと為し、趙王はたびたび鉄官の事を訴えたが、漢御史大夫張湯はいつも趙王をおしはらった。
趙王求湯陰事謁居嘗案趙王趙王怨之并上書告
趙王は漢御史大夫張湯の陰事(いんじ)を求めた。魯謁居が嘗(かつ)て趙王を取り調べたことがあり、趙王はこれを怨んで併(あわ)せて上書して告げた、
湯大臣也史謁居有病湯至為摩足疑與為大姦
「湯は大臣であるのに、史の謁居が病にかかったとき、湯は至って足を摩(さす)ってやりました。ともに大姦を為すのではないかと疑われます」と。
事下廷尉謁居病死事連其弟弟系導官
事は廷尉に下された。魯謁居は病死し、事はその弟に連(つら)なって、弟は導官につながれた。
湯亦治他囚導官見謁居弟欲陰為之而詳不省
張湯もまた他(ほか)の囚人を導官で取り調べ、魯謁居の弟を見て、ひそかにこれのためにしようと欲したが、省(かえり)みないふりをした。
謁居弟弗知怨湯使人上書告湯與謁居謀共變告李文
魯謁居の弟は知らず、張湯を怨み、人をつかわし上書して張湯が魯謁居と謀(はか)り、ともに変事をたてまつり李文を告発したのだと告(つ)げさせた。
事下減宣宣嘗與湯有卻及得此事窮竟其事未奏也
事は減宣に下された。減宣は嘗(かつ)て張湯と仲たがいが有り、この事を得るに及んで、その事を突き詰めたが、未(ま)だ奏上しなかったのである。
會人有盜發孝文園瘞錢丞相青翟朝與湯約俱謝
ちょうどそのとき、孝文園の瘞錢(えいせん)を発(あば)いた盗人が有り、漢丞相青翟が朝したとき、漢御史大夫張湯とともに謝することを約した。
至前湯念獨丞相以四時行園當謝湯無與也不謝
前に至ると、漢御史大夫張湯は、ただ丞相だけが四季を以って園に行くのみで、謝(あやま)るに当(あ)たり、自分は関係がないと考え、謝(あやま)らなかった。
丞相謝上使御史案其事
漢丞相青翟が謝(あやま)ると、上(漢孝武帝劉徹)は御史をしてその事を取り調べさせた。
湯欲致其文丞相見知丞相患之
漢御史大夫はその法文を丞相の「見知」にかけようと欲し、漢丞相青翟はこれを患(うれ)えた。
三長史皆害湯欲陷之
三人の長史は皆(みな)、漢御史大夫張湯を憎み、これを陥(おとしい)れることを欲した。
始長史朱買臣會稽人也
以前、長史の朱買臣は、会稽の人であるが、
讀春秋莊助使人言買臣
春秋を読んでおり、荘助は人をして朱買臣を言わせ、
買臣以楚辭與助俱幸侍中為太中大夫用事
朱買臣は楚辞(そじ)を以って荘助とともにかわいがられ、中に侍(はべ)り、太中大夫と為り、
事に用いられた。
而湯乃為小吏跪伏使買臣等前
しこうして張湯はすなわち小役人と為って、跪(ひざまず)いて伏(ふ)して漢太中大夫朱買臣らをして前にしていた。
已而湯為廷尉治淮南獄排擠莊助買臣固心望
しばらくして張湯は廷尉と為り、淮南の獄事を取り調べ、莊助を排擠(はいせい 人をおしのけること)したので、漢太中大夫朱買臣は固(かた)く心から怨んだ。
及湯為御史大夫買臣以會稽守為主爵都尉列於九卿
張湯が御史大夫に為るに及んで、朱買臣は会稽守を以って主爵都尉に為り、九卿に列した。
數年坐法廢守長史見湯
数年して、法に罪をとわれて廃されたが、長史をもちこたえ、漢御史大夫張湯に見(まみ)えたとき、
湯坐床上丞史遇買臣弗為禮
漢御史大夫張湯は寝床の上に座(すわ)り、朱買臣を丞史の待遇にして礼を為さなかった。
漢御史大夫張湯の客の田甲は商人と雖(いえど)も、賢く節操が有った。
始湯為小吏時與錢通及湯為大吏
以前張湯が小役人に為っていた時、銭を与えて通じ、張湯が大役人に為るに及んで、
甲所以責湯行義過失亦有烈士風
田甲の張湯の行儀、過失を責めしかるを以ってするところは、また烈士の風格が有った。
湯為御史大夫七歲敗
張湯が御史大夫に為って七年、敗(やぶ)れた。
河東人李文嘗與湯有卻已而為御史中丞
河東の人の李文は嘗(かつ)て張湯と仲たがいが有り、しばらくして御史中丞に為り、
恚數從中文書事有可以傷湯者不能為地
腹をたてて、文書中の事から、張湯を傷つけることができる者があるかを数えたてたが、下地と為すことはできなかった。
湯有所愛史魯謁居知湯不平使人上蜚變告文姦事
漢御史大夫張湯にはかわいがるところの史の魯謁居がおり、漢御史大夫張湯が不平であることを知って、
人をして急な変事を上げさせ、李文の不正事を告(つ)げさせた。
事下湯湯治論殺文而湯心知謁居為之
事は漢御史大夫張湯に下(くだ)され、張湯は取り調べて李文を死刑に論告した。しこうして張湯の心は魯謁居が自分の為にしたことを知っていた。
上問曰言變事縱跡安起湯詳驚曰
上(漢孝武帝劉徹)が問うて曰く、「変事を言った縦跡(しょうせき 足あと)はいずこから起こったのか?」と。漢御史大夫張湯は偽(いつわ)って驚き曰く、
此殆文故人怨之謁居病臥閭里主人
「これはおそらく李文の友人がこれを怨んだのでしょう」と。魯謁居が病にかかり村里の主人のところで療養した。
湯自往視疾為謁居摩足
漢御史大夫張湯は病を視に往き、魯謁居の為(ため)に足を摩(さす)った。
趙國以冶鑄為業王數訟鐵官事湯常排趙王
趙国は冶鑄(やちゅう 金属をふきわけること)を以ってなりわいと為し、趙王はたびたび鉄官の事を訴えたが、漢御史大夫張湯はいつも趙王をおしはらった。
趙王求湯陰事謁居嘗案趙王趙王怨之并上書告
趙王は漢御史大夫張湯の陰事(いんじ)を求めた。魯謁居が嘗(かつ)て趙王を取り調べたことがあり、趙王はこれを怨んで併(あわ)せて上書して告げた、
湯大臣也史謁居有病湯至為摩足疑與為大姦
「湯は大臣であるのに、史の謁居が病にかかったとき、湯は至って足を摩(さす)ってやりました。ともに大姦を為すのではないかと疑われます」と。
事下廷尉謁居病死事連其弟弟系導官
事は廷尉に下された。魯謁居は病死し、事はその弟に連(つら)なって、弟は導官につながれた。
湯亦治他囚導官見謁居弟欲陰為之而詳不省
張湯もまた他(ほか)の囚人を導官で取り調べ、魯謁居の弟を見て、ひそかにこれのためにしようと欲したが、省(かえり)みないふりをした。
謁居弟弗知怨湯使人上書告湯與謁居謀共變告李文
魯謁居の弟は知らず、張湯を怨み、人をつかわし上書して張湯が魯謁居と謀(はか)り、ともに変事をたてまつり李文を告発したのだと告(つ)げさせた。
事下減宣宣嘗與湯有卻及得此事窮竟其事未奏也
事は減宣に下された。減宣は嘗(かつ)て張湯と仲たがいが有り、この事を得るに及んで、その事を突き詰めたが、未(ま)だ奏上しなかったのである。
會人有盜發孝文園瘞錢丞相青翟朝與湯約俱謝
ちょうどそのとき、孝文園の瘞錢(えいせん)を発(あば)いた盗人が有り、漢丞相青翟が朝したとき、漢御史大夫張湯とともに謝することを約した。
至前湯念獨丞相以四時行園當謝湯無與也不謝
前に至ると、漢御史大夫張湯は、ただ丞相だけが四季を以って園に行くのみで、謝(あやま)るに当(あ)たり、自分は関係がないと考え、謝(あやま)らなかった。
丞相謝上使御史案其事
漢丞相青翟が謝(あやま)ると、上(漢孝武帝劉徹)は御史をしてその事を取り調べさせた。
湯欲致其文丞相見知丞相患之
漢御史大夫はその法文を丞相の「見知」にかけようと欲し、漢丞相青翟はこれを患(うれ)えた。
三長史皆害湯欲陷之
三人の長史は皆(みな)、漢御史大夫張湯を憎み、これを陥(おとしい)れることを欲した。
始長史朱買臣會稽人也
以前、長史の朱買臣は、会稽の人であるが、
讀春秋莊助使人言買臣
春秋を読んでおり、荘助は人をして朱買臣を言わせ、
買臣以楚辭與助俱幸侍中為太中大夫用事
朱買臣は楚辞(そじ)を以って荘助とともにかわいがられ、中に侍(はべ)り、太中大夫と為り、
事に用いられた。
而湯乃為小吏跪伏使買臣等前
しこうして張湯はすなわち小役人と為って、跪(ひざまず)いて伏(ふ)して漢太中大夫朱買臣らをして前にしていた。
已而湯為廷尉治淮南獄排擠莊助買臣固心望
しばらくして張湯は廷尉と為り、淮南の獄事を取り調べ、莊助を排擠(はいせい 人をおしのけること)したので、漢太中大夫朱買臣は固(かた)く心から怨んだ。
及湯為御史大夫買臣以會稽守為主爵都尉列於九卿
張湯が御史大夫に為るに及んで、朱買臣は会稽守を以って主爵都尉に為り、九卿に列した。
數年坐法廢守長史見湯
数年して、法に罪をとわれて廃されたが、長史をもちこたえ、漢御史大夫張湯に見(まみ)えたとき、
湯坐床上丞史遇買臣弗為禮
漢御史大夫張湯は寝床の上に座(すわ)り、朱買臣を丞史の待遇にして礼を為さなかった。