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九卿碌碌奉其官

九卿碌碌奉其官救過不贍何暇論繩墨之外乎 九卿は碌碌(ろくろく 平凡で役にたたないさま)とその官職を奉(たてまつ)り、罪をつくろってみたされず、どうして規範(きはん)の外(そと)を論ずるゆとりがあっただろうか。 然此十人中其廉者足以為儀表 然(しか)るに、この十人の中で、その廉潔(れんけつ)な者は模範(もはん)と為すを以ってするに足(た)り、 其污者足以為戒方略教導禁姦止邪...

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史記 游侠列伝 始め

韓子曰儒以文亂法而俠以武犯禁 韓子曰く、「儒(じゅ)は文を以って法を乱(みだ)し、しこうして、侠(きょう)は武を以って禁忌(きんき)を犯(おか)す」と。 二者皆譏而學士多稱於世云 二者は皆(みな)非難されたが、学、士の多くが世に於いて称(たた)えられるという。 至如以術取宰相卿大夫輔翼其世主 術を以って宰相、卿、大夫に取り立てられ、その時の君主を守り助け、 功名俱著於春秋固無可言者...

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且緩急人之所時有也

且緩急人之所時有也 まさに緩急(かんきゅう)は人の、時(とき)に有するところなのである。 太史公曰昔者虞舜窘於井廩伊尹負於鼎俎 太史公曰く、「昔(むかし)、有虞(国号)の舜帝が、井戸、倉庫に於いて緊迫(きんぱく)し、 伊尹は鼎(かなえ)俎(まないた)を背負い、 傅說匿於傅險呂尚困於棘津夷吾桎梏 傅說は傅の険阻(けんそ)に隠(かく)れ、呂尚は棘津で困窮し、夷吾は足かせ手かせをはめられ、...

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古布衣之俠靡得而聞已

古布衣之俠靡得而聞已 古(いにしえ)の官位のない人の俠は、聞くことがすでにできない。 近世延陵孟嘗春申平原信陵之徒 近世の延陵君、孟嘗君、春申君、平原君、信陵君の仲間たちは、 皆因王者親屬藉於有土卿相之富厚 皆(みな)王者の親属に因(よ)り、土地を有する卿相の富厚(富裕)に於いて籍(せき)し、 招天下賢者顯名諸侯不可謂不賢者矣...

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魯朱家者與高祖同時

魯朱家者與高祖同時 魯の朱家という者は高祖(劉邦)と同じ時代の者である。 魯人皆以儒教而朱家用俠聞 魯人は皆(みな)、儒教を以ってしたが、朱家は俠を用いて聞こえがあった。 所藏活豪士以百數其餘庸人不可勝言 かかえるところの活(い)きのいい強い士は百を以って数え、その残りの雇い人はすべて言うことができない。 然終不伐其能歆其諸所嘗施唯恐見之...

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郭解軹人也字翁伯

郭解軹人也字翁伯善相人者許負外孫也 郭解は軹の人であり、字(あざな)は翁伯で、善い人相見者の許負の外孫(そとまご)である。 解父以任俠孝文時誅死 郭解の父は任侠を以ってして、漢孝文帝劉恒時に誅死した。 解為人短小精悍不飲酒 郭解の人と為りは身長が小さく、精悍(せいかん)で、酒を飲まなかった。 少時陰賊慨不快意身所殺甚眾...

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而少年慕其行亦輒為報仇不使知也

而少年慕其行亦輒為報仇不使知也 しこうして少年がその行いを慕(した)い、またことごとく仇(あだ)に報(むく)いるを為し、知られないようにしたのである。 解姊子負解之勢與人飲使之嚼 郭解の姉の子が郭解の勢いをたのみにして、人と酒を飲み、これに酒をのみほさせた。 非其任彊必灌之 そのこらえるをみとめず、強(し)いて必ずこれに注(そそ)いだ。 人怒拔刀刺殺解姊子亡去...

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乃陰屬尉史曰

乃陰屬尉史曰是人吾所急也至踐更時脫之 そこでひそかに、尉史にたのんで曰く、「この人は、吾(われ)の大切なところであるから、踐更の時に至ったら、これを免除してください」と。每至踐更數過吏弗求 踐更に至るごとに、たびたび通りすぎて、役人は求めなかった。 怪之問其故乃解使脫之 これを怪(あや)しみ、その故(ゆえ)を問うと、すなわち郭解がこれを免除させたと。 箕踞者乃肉袒謝罪少年聞之愈益慕解之行...

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及徙豪富茂陵也

及徙豪富茂陵也解家貧不中訾吏恐不敢不徙 豪富を茂陵に移すに及んで、郭解の家は貧しく、財産家に中(あた)らなかったが、役人は恐れ、移さないわけにはいかなかった。 衛將軍為言郭解家貧不中徙 衛青将軍は言上を為し、「郭解の家は貧しく移すに中(あた)りません」と。 上曰布衣權至使將軍為言此其家不貧...

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解為人短小不飲酒

解為人短小不飲酒出未嘗有騎 郭解の人と為りは身長が小さく、酒を飲まず、出るとき未(いま)だ嘗(かつ)て馬に乗った従者をつけたことはなかった。 已又殺楊季主楊季主家上書人又殺之闕下 すでにまた楊季主を殺した。楊季主の家は上書して、人はまた闕下で殺された。 上聞乃下吏捕解 上(漢孝武帝劉徹)は聞いて、そこで役人に下(くだ)して郭解を捕(と)らえさせた。 解亡置其母家室夏陽身至臨晉...

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太史公曰

太史公曰吾視郭解狀貌不及中人言語不足採者 太史公曰く、「吾(われ)は郭解を視(み)たとき、容貌は中位の人には及ばず、言語も採(と)るに足(た)らない者だった。 然天下無賢與不肖知與不知 然(しか)るに天下の賢と不肖(ふしょう)、知ると知らざるも無く、 皆慕其聲言俠者皆引以為名 皆(みな)その聞こえを慕(した)い、侠を言う者は皆(みな)引きあいにして名を為すを以ってした。 諺曰人貌榮名豈有既乎於戲惜哉...

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史記 佞幸列伝 始め

諺力田不如逢年善仕不如遇合固無虛言 諺(ことわざ)に曰く、「農事に務めはげんでも豊年に出会うには及ばず、善く仕(つか)えてもよい君主に出会って用いられるに及ばす」と。固(もと)より虚言では無い。 非獨女以色媚而士宦亦有之 ただ女だけが色を以って媚(こ)びるのでは非(あら)ず、しこうして、士、宦もまたこれが有る。 昔以色幸者多矣至漢興高祖至暴抗也然籍孺以佞幸...

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文帝時時如通家遊戲

文帝時時如通家遊戲 漢孝文帝劉恒はときどき漢上大夫通の家に行って遊び戯れた。 然通無他能不能有所薦士獨自謹其身以媚上而已 然(しか)るに漢上大夫通には他の才能が無く、薦(すす)めるところの士を有することができず、単に自らその身を謹(つつし)み上(漢孝文帝劉恒)に媚(こ)びるを以ってするのみであった。 上使善相者相通曰當貧餓死...

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孝景帝時中無寵臣

孝景帝時中無寵臣然獨郎中令周文仁仁寵最過庸乃不甚篤 漢孝景帝時中には、寵臣は無く、然(しか)るに一人、郎中令の周文仁で漢郎中令周文仁の寵が普通より最も越えていただけで、すなわち甚(はなは)だ篤(あつ)くはなかった。 今天子中寵臣士人則韓王孫嫣宦者則李延年 今、天子(漢孝武帝劉徹)中の寵臣の、士人はすなわち韓王孫の韓嫣、宦者はすなわち李延年。 嫣者弓高侯孽孫也今上為膠東王時嫣與上學書相愛...

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自是之后內寵嬖臣大底外戚之家

自是之后內寵嬖臣大底外戚之家然不足數也 これの後より、内(うち)の寵嬖(ちょうへい お気に入り)の家臣は大抵(たいてい)外戚の家だったが、然(しか)るに数えるに足(た)らないのである。 衛青霍去病亦以外戚貴幸然頗用材能自進 衛青、霍去病もまた外戚を以って貴ばれかわいがられたが、然(しか)るに才能を用いられて自ら昇進した。 太史公曰甚哉愛憎之時 太史公曰く、「甚(はなは)だかな、愛憎の時は。...

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史記 滑稽列伝 始め

孔子曰六藝於治一也禮以節人 孔子曰く、「六芸は治(ち)に於いて一(いつ)にする。礼は人に節を以ってする。 樂以發和書以道事詩以達意易以神化春秋以義 楽は和を発するを以ってする、書は事をみちびくを以ってする、詩は意(い)に達(たっ)するを以ってする、易は神化を以ってする、春秋は義(ぎ)を以ってする」と。 太史公曰天道恢恢豈不大哉 太史公曰く、「天道は恢恢(かいかい)とゆったりとして...

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王曰先生少之乎

王曰先生少之乎 斉威王田因斉曰く「先生はこれを少ないとするのですか?」と。髡曰何敢王曰笑豈有說乎 淳于髡曰く、「どうして敢(あ)えて」と。斉威王田因斉「笑ったのはいったいわけが有るのですか?」と。髡曰今者臣從東方來見道傍有禳田者 淳于髡曰く、「今、わたしは東方から来て、道の傍(かたわ)らに田を御祓(おはら)いしている者が有り、 操一豚蹄酒一盂祝曰...

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髡曰賜酒大王之前

髡曰賜酒大王之前執法在傍御史在後 淳于髠曰く、「大王の前で酒を賜(たま)わり、執法が傍(かたわ)らにいて、御史が後ろにいて、髡恐懼俯伏而飲不過一斗徑醉矣 わたしは恐れびくびくしてうつむいて飲み、一斗を過ぎずにすぐに酔ってしまうでしょう。 若親有嚴客髡帣韝鞠跽待酒於前 親に厳格な客が有って、わたしはゆごてでそでをまきあげ身をかがめてひざまずき、前で酒をもてなし、 時賜餘瀝奉觴上壽數起飲不過二斗徑醉矣...

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故曰酒極則亂樂極則悲

故曰酒極則亂樂極則悲 故(ゆえ)に曰く、酒が極(きわ)まれば乱れ、楽しさが極(きわ)まればもの悲しくなる、 萬事盡然言不可極極之而衰 万事がことごとく然(しか)りで、言うに、極めるべきではない、極めれば衰(おとろ)える、と。」と、 以諷諫焉齊王曰善 遠まわしに諌(いさ)めるを以ってした。斉威王田因斉曰く、「よろしい」と。 乃罷長夜之飲以髡為諸侯主客...

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王驚而問其故

王驚而問其故優孟曰馬者王之所愛也以楚國堂堂之大 楚荘王熊侶は驚いてその故(ゆえ)を問うた。優孟曰く、「馬は王の愛するところであり、楚国の堂々(どうどう)たる大を以ってして、 何求不得而以大夫禮葬之薄請以人君禮葬之 何を求めて得られないでしょうか。しこうして、大夫礼葬を以ってするは薄葬で、人君の礼葬を以ってすることを請(こ)う」と。 王曰何如對曰臣請以彫玉為棺...

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