優孟曰若無遠有所之
優孟曰若無遠有所之 優孟曰く、「なんじは遠く無く行くところが有るでしょう」と。 即為孫叔敖衣冠抵掌談語 そこで、孫叔敖の衣冠(いかん)をつくり、ぽんと手をうってうちとけて話しをした。歲餘像孫叔敖楚王及左右不能別也 一年余りして、孫叔敖のものまねをして、楚荘王熊侶及び左右は識別することができなかったのである。 莊王置酒優孟前為壽莊王大驚...
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其後二百餘年秦有優旃 その二百余年後、秦に優旃がいた。 優旃者秦倡侏儒也 優旃という者は秦の芸人の小人である。 善為笑言然合於大道秦始皇時 善(よ)く、笑いばなしをしたが、然(しか)るに大道(人のふみおこなうべき真の道)において合致していた。秦の始皇帝嬴政の時、 置酒而天雨陛楯者皆沾寒 酒宴を催(もよお)し、天気は雨になり、きざはし(宮殿の階段)の護衛者が皆(みな)濡(ぬ)れてこごえていた。...
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太史公曰淳于髡仰天大笑齊威王行 太史公曰く、「淳于髡が天を仰(あお)いで大いに笑うと齊威王田因斉が横行(おうこう)した。 優孟搖頭而歌負薪者以封 優孟は頭を揺(ゆ)らして歌うと、薪(まき)を背負った者が封ぜられるを以ってした。 優旃臨檻疾呼陛楯得以半更豈不亦偉哉...
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武帝少時東武侯母常養帝帝壯時號之曰大乳母 漢孝武帝劉徹の少年時、東武侯の母が常(つね)に帝(劉徹)を養(やしな)い、帝(劉徹)の壮年時、 これを号して曰く、大乳母と。 率一月再朝朝奏入有詔使幸臣馬游卿以帛五十匹賜乳母 おおむね一ヶ月に二度朝した。朝し奏上して入ると、詔(みことのり)が有り、幸臣の馬游卿をつかわし、絹織物五十匹を以って乳母に賜(たま)わらせ、 又奉飲糒飱養乳乳母上書曰...
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時坐席中酒酣據地歌曰 ときどき中で席に座(すわ)り、酒を飲んで楽しみ、地面をおさえて歌って曰く、 陸沈於俗避世金馬門 「俗世間に於いてかくれて生活する隠者は、金馬門で世(よ)を避(さ)ける。 宮殿中可以避世全身 宮殿の中は世(よ)を避(さ)け身(み)を全(まっと)うすることができる。 何必深山之中蒿廬之下 どうして深い山の中のよもぎの粗末な小屋の下(もと)である必要があろうか」と。...
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東方生曰是固非子所能備也 東方生曰く、「これは、固(もと)よりなんじらがなぞらえる(備(び)=比(び)?)ことができるところでは非(あら)ざるなり。 彼一時也此一時也豈可同哉 彼の一時であり、この一時である、どうして同じにできるかな。 夫張儀蘇秦之時周室大壞諸侯不朝 それ、張儀、蘇秦の時は、周室は大いに壊(こわ)れ、諸侯は朝さず、 力政爭權相禽以兵并為十二國...
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建章宮後閤重櫟中有物出焉其狀似麋 建章宮の後閣の欄干が重(かさ)なる中に物が出たことが有り、その形状は大鹿に似ていた。 以聞武帝往臨視之 うわさを以って、漢孝武帝劉徹は往ってこれを臨(のぞ)み視た。 問左右群臣習事通經術者莫能知 左右の群臣の事に習熟して経術に通じている者に問うたが、知ることができるものはなかった。 詔東方朔視之朔曰 詔(みことのり)して東方朔にこれを視させた。朔曰く、...
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至老朔且死時諫曰 老いるに至り、朔がまさに死なんとした時、諌(いさ)めて曰く、 詩云營營青蠅止于蕃 「詩経は云(い)う『営々(えいえい)とはげしく動きまわる青蠅(はえ)が、垣根に止まった。 悌君子無信讒言 おだやかですなおな君子は讒言(ざんげん)を信ずることなかれ。 讒言罔極交亂四國 讒言(ざんげん)がきわまりないと、四方の国々がかわるがわる乱れる』と。 願陛下遠巧佞退讒言...
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當其貧困時人莫省視 まさにその貧困の時は、人の見舞うものはなかったが、 至其貴也乃爭附之 その地位が高くになるに至っては、すなわち、争ってこれに附(つ)きしたがった。 諺曰相馬失之瘦相士失之貧其此之謂邪...
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出邑門道飛其鵠徒揭空籠 邑門を出ると、道にその鶴を飛ばし、単に空(から)の籠(かご)を掲(かか)げ、 造詐成辭往見楚王曰齊王使臣來獻鵠 いつわって辞(じ)を成して、楚王に見(まみ)えに往(ゆ)き曰く、「斉王がわたしをつかわして鶴を献じに来ましたが、 過於水上不忍鵠之渴出而飲之去我飛亡...
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太守曰先生意欲行不可逆 北海太守曰く、「先生の意(い)は行くことを欲し、逆らうことはできない」と。 遂與俱行至宮下待詔宮府門 遂(つい)にともにした。行って宮下に至り、宮府門で詔(みことのり)を待った。 王先生徒懷錢沽酒與衛卒仆射飲 王先生はむだに銭を懐(ふところ)にいれて酒を買い、衛兵僕射とともに飲み、 日醉不視其太守太守入跪拜...
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魏文侯時西門豹為鄴令 魏文侯魏斯の時、西門豹が、鄴令に為った。 豹往到鄴會長老問之民所疾苦 西門豹が往き鄴に到着し、長老に会し、これに民のなやみ苦しむところを問うた。 長老曰苦為河伯娶婦以故貧 長老曰く、「河伯(河の神)の為(ため)に婦人を娶(めと)らせることに苦しみ、故(ゆえ)を以って貧しくなりました」と。 豹問其故對曰鄴三老廷掾常歲賦斂百姓...
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至其時西門豹往會之河上 その時に至り、西門豹は往って河のほとりでこれに会した。 三老官屬豪長者裏父老皆會以人民往觀之者三二千人 三老、官属、豪長者、里の父老は皆(みな)会し、人民を以ってこれに観に往く者は三、二千人。 其巫老女子也已年七十 その巫(みこ)は老女子であり、すでに年は七十歳。 從弟子女十人所皆衣單衣立大巫后...
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自古受命而王王者之興何嘗不以卜筮決於天命哉 古(いにしえ)より天命を授(さず)かり王になって、王者が盛んになるにどうして嘗(かつ)て卜筮 (卜は亀の甲を焼いてうらない、筮はめどきを使ってうらない)を以って天命より決定しなかっただろうかな。 其於周尤甚及秦可見代王之入任於卜...
View Article司馬季主捧腹大笑曰
司馬季主捧腹大笑曰觀大夫類有道術者 司馬季主は腹(はら)をかかえて大笑いして曰く、「大夫たちは道術を有する類(たぐい)の者と観(み)たが、 今何言之陋也何辭之野也今夫子所賢者何也 今、どうして見識のせまいことを言い、どうして野暮(やぼ)なことを言ったのか。今、あなたがたの賢(かしこ)いところの者は何なのか? 所高者誰也今何以卑汙長者...
View Article今公所謂賢者皆可為羞矣
今公所謂賢者皆可為羞矣 今、公らが謂(い)うところの賢者は、皆(みな)羞(は)じを為すことができる。 卑疵而前孅趨而言 卑(いや)しめて悪口を言って前に進み出て、からだをくねらせておもねり進んで言い、 相引以勢相導以利 相(あい)引き立てあって、勢いを以ってし、相(あい)導(みちび)きあって利(り)するを以ってし、 比周賓正以求尊譽以受公奉...
View Article盜賊發不能禁夷貊不服不能攝
盜賊發不能禁夷貊不服不能攝 盗賊が発されても差し止めることができず、夷貊が服さなくてもつかまえることができず、 姦邪起不能塞官秏亂不能治 不正が起こっても塞(ふさ)ぐことができず、官がみだれても治(おさ)めることができず、 四時不和不能調歲穀不孰不能適 四季が調和しなくても調(ととの)えることができず、穀物のできぐあいが熟さなくてもほどよくすることができない。 才賢不為是不忠也才不賢而託官位...
View Article述而不作君子義也
述而不作君子義也 古人のことをつたえるだけで勝手に創作しないのが、君子(くんし)の義(ぎ)である。 今夫卜者必法天地象四時 今、それ、卜者は、必ず天地に法(のっと)り、四季を象(かたど)り、 順於仁義分策定卦旋式正棋 仁義を順じて、めどきを分(わ)け、卦を定め、式をめぐらし、駒(こま)を正し、 然後言天地之利害事之成敗 然る後に天地の利害、事の成敗を言いう。 昔先王之定國家必先龜策日月而後乃敢代...
View Article莊子曰君子
莊子曰君子內無饑寒之患外無劫奪之憂 荘子曰く、『君子は内(うち)に飢(う)え、凍(こご)えの患(うれ)い無く、外(そと)に 劫奪(きょうだつ おびやかして奪い取ること)の憂(うれ)え無く、 居上而敬居下不為害君子之道也 上に居(い)ては敬(うやま)い、下に居(い)ては害(がい)を為さずは、君子の道である』と。 今夫卜筮者之為業也積之無委聚藏之不用府庫...
View Article公見夫談士辯人乎
公見夫談士辯人乎慮事定計必是人也 公らはそれ、談士、弁人を考えてみますか?事を慮(おもんばか)り、計(はか)りごとを定めるは、必ずこれらの人であり、 然不能以一言說人主意故言必稱先王語必道上古 然(しか)るに一言を以って人主の意(い)を悦(よろこ)ばせることはできず、故(ゆえ)に言うは、必ず先王を称(たた)え、話しは必ず上古を語(かた)り、 慮事定計飾先王之成功語其敗害...
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