建章宮後閤重櫟中有物出焉其狀似麋
建章宮の後閣の欄干が重(かさ)なる中に物が出たことが有り、その形状は大鹿に似ていた。
以聞武帝往臨視之
うわさを以って、漢孝武帝劉徹は往ってこれを臨(のぞ)み視た。
問左右群臣習事通經術者莫能知
左右の群臣の事に習熟して経術に通じている者に問うたが、知ることができるものはなかった。
詔東方朔視之朔曰
詔(みことのり)して東方朔にこれを視させた。朔曰く、
臣知之願賜美酒粱飯大飱臣臣乃言
「わたしはこれを知っています、願わくは美味しい酒と大粒の粟飯、最高のおかずをわたしに賜(たま)わりくだされば、わたしはそこで言います」と。
詔曰可已又曰
詔(みことのり)して曰く、「よろしい」と。終わりまた曰く、
某所有公田魚池蒲葦數頃陛下以賜臣臣朔乃言
「某所(ぼうしょ)に公田、魚池、蒲(がま)葦(あし)の数頃(頃は面積の単位)が有り、陛下がわたしに賜(たま)わるを以ってすれば、わたくし朔はそこで言います」と。
詔曰可於是朔乃肯言
詔(みことのり)して曰く、「よろしい」と。ここに於いて朔はすなわち言うことをよしとした。
曰所謂騶牙者也遠方當來歸義
曰く、「所謂(いわゆる)騶牙という者であります。遠方が義(ぎ)に帰(き)して来るに当たり、
而騶牙先見其齒前后若一齊等無牙故謂之騶牙
しこうして、騶牙が先んじてあらわれます。その歯の前後は一つのごとくで、おしなべて等(ひと)しく牙(きば)が無く、故(ゆえ)にこれを騶牙と謂(い)うのです」と。
其後一歲所匈奴混邪王果將十萬眾來降漢
その後、一年のところで、匈奴の混邪王が果(は)たして十万の衆を率(ひき)いて漢に降(くだ)りに来た。
乃復賜東方生錢財甚多
そこで、また東方生に銭、財物を甚(はなは)だ多く賜(たまわ)った。
建章宮の後閣の欄干が重(かさ)なる中に物が出たことが有り、その形状は大鹿に似ていた。
以聞武帝往臨視之
うわさを以って、漢孝武帝劉徹は往ってこれを臨(のぞ)み視た。
問左右群臣習事通經術者莫能知
左右の群臣の事に習熟して経術に通じている者に問うたが、知ることができるものはなかった。
詔東方朔視之朔曰
詔(みことのり)して東方朔にこれを視させた。朔曰く、
臣知之願賜美酒粱飯大飱臣臣乃言
「わたしはこれを知っています、願わくは美味しい酒と大粒の粟飯、最高のおかずをわたしに賜(たま)わりくだされば、わたしはそこで言います」と。
詔曰可已又曰
詔(みことのり)して曰く、「よろしい」と。終わりまた曰く、
某所有公田魚池蒲葦數頃陛下以賜臣臣朔乃言
「某所(ぼうしょ)に公田、魚池、蒲(がま)葦(あし)の数頃(頃は面積の単位)が有り、陛下がわたしに賜(たま)わるを以ってすれば、わたくし朔はそこで言います」と。
詔曰可於是朔乃肯言
詔(みことのり)して曰く、「よろしい」と。ここに於いて朔はすなわち言うことをよしとした。
曰所謂騶牙者也遠方當來歸義
曰く、「所謂(いわゆる)騶牙という者であります。遠方が義(ぎ)に帰(き)して来るに当たり、
而騶牙先見其齒前后若一齊等無牙故謂之騶牙
しこうして、騶牙が先んじてあらわれます。その歯の前後は一つのごとくで、おしなべて等(ひと)しく牙(きば)が無く、故(ゆえ)にこれを騶牙と謂(い)うのです」と。
其後一歲所匈奴混邪王果將十萬眾來降漢
その後、一年のところで、匈奴の混邪王が果(は)たして十万の衆を率(ひき)いて漢に降(くだ)りに来た。
乃復賜東方生錢財甚多
そこで、また東方生に銭、財物を甚(はなは)だ多く賜(たまわ)った。