至老朔且死時諫曰
老いるに至り、朔がまさに死なんとした時、諌(いさ)めて曰く、
詩云營營青蠅止于蕃
「詩経は云(い)う『営々(えいえい)とはげしく動きまわる青蠅(はえ)が、垣根に止まった。
悌君子無信讒言
おだやかですなおな君子は讒言(ざんげん)を信ずることなかれ。
讒言罔極交亂四國
讒言(ざんげん)がきわまりないと、四方の国々がかわるがわる乱れる』と。
願陛下遠巧佞退讒言
願わくは、陛下にはおもねりを巧(たく)みする者を遠ざけ、讒言(ざんげん)を退(しりぞ)けてください」と。
帝曰今顧東方朔多善言
帝(武帝劉徹)曰く、「今、かえって東方朔は善言が多い」と。
怪之居無幾何朔果病死
これを不思議に思った。いくばくもたたないうちに、朔が果たして病死した。
傳曰鳥之將死其鳴也哀
伝曰く、「鳥がまさに死なんとする時、その鳴き声は哀(あわ)れである。
人之將死其言也善此之謂也
人のまさに死なんとする時、その言葉は善(ぜん)である」と。これのことを謂(い)ったのであろう。
武帝時大將軍衛青者衛后兄也封為長平侯
漢孝武帝劉徹の時、漢大将軍衛青という者は衛后の兄であり、封ぜられて長平侯に為った。
從軍擊匈奴至余吾水上而還斬首捕虜
匈奴を撃(う)ちに従軍し、余吾水のほとりに至りて還(かえ)り、首を斬り虜(匈奴)を捕(と)らえ、
有功來歸詔賜金千斤
功が有って帰って来た。詔(みことのり)して金一千斤を賜(たま)わった。
將軍出宮門齊人東郭先生以方士待詔公車
漢大将軍長平侯衛青が宮門を出たとき、斉人の東郭先生が方士の待詔(官名)公車を以って
當道遮衛將軍車拜謁曰願白事
道に当たって衛將軍(漢大将軍長平侯衛青)の車を遮(さえぎ)り、拝謁(はいえつ)して曰く、「願わくは事を申し上げさせてください」と。
將軍止車前東郭先生旁車言曰
將軍(漢大将軍長平侯衛青)は車を前に止め、東郭先生は車のそばによって言った、曰く
王夫人新得幸於上家貧
「王夫人が新たに上に於いて寵愛を得ましたが、家が貧しく、
今將軍得金千斤誠以其半賜王夫人之親人主聞之必喜
今、将軍は金一千斤を得られ、誠(まこと)にその半分を以って王夫人の親に賜(たま)われば、人主はこれを聞いてきっと喜ぶことでしょう。
此所謂奇策便計也
これは所謂(いわゆる)奇策(きさく)便計(べんけい)であります」と。
衛將軍謝之曰先生幸告之以便計請奉教
衛將軍はこれに謝(しゃ)して曰く、「先生が幸いにもこれに告げるに便計を以ってし、教えを奉(たてまつ)ることを請(こ)う」と。
於是衛將軍乃以五百金為王夫人之親壽
ここに於いて衛将軍はすなわち、五百金を以って王夫人の親の寿(ことほ)ぎを為した。
王夫人以聞武帝帝曰大將軍不知為此
王夫人は漢孝武帝劉徹に申し上げるを以ってした。帝(武帝劉徹)曰く、「大将軍(衛青)はそれを為すことを知らない」と。
問之安所受計策對曰受之待詔者東郭先生
これに計策をさずったところはいずこであるかを問うた、応(こた)えて曰く、「これを待詔者の東郭先生からさずかりました」と。
詔召東郭先生拜以為郡都尉
詔(みことのり)して東郭先生を召して、官をさずけて郡都尉と為すを以ってした。
東郭先生久待詔公車貧困饑寒衣敝履不完
東郭先生は久しく待詔公車で、貧困で飢(う)えて寒く、衣(ころも)はやぶれ、履(くつ)はちゃんとしていなかった。
行雪中履有上無下足盡踐地
雪の中を行き、履(くつ)は上が有って、下は無く、足がことごとく地面をふんだ。
道中人笑之東郭先生應之曰
道中の人がこれを笑い、東郭先生はこれに応(こた)えて曰く、
誰能履行雪中令人視之其上履也其履下處乃似人足者乎
「人に、その上は履(くつ)で、その履(くつ)の下の処(ところ)がすなわち人の足に似ているものを視(み)せて、雪の中を歩くことを誰ができようか」と。
及其拜為二千石佩青緺出宮門行謝主人
その、官をさずけて二千石に為さしめるに及んで、青い組紐(くみひも)を佩(お)びて宮門を出るとき、主人にあいさつに行った。
故所以同官待詔者等比祖道於都門外
以前の同じ官を以って待詔したところの者は、等(ひと)しくならんで都門の外に於いて道祖神を祭って送別した。
榮華道路立名當世此所謂衣褐懷寶者也
道路に華(はな)が盛んに咲いて、当世に名を立てた。これ、所謂(いわゆる)粗末な服を着ていても宝を心に懐(いだ)く者である。
老いるに至り、朔がまさに死なんとした時、諌(いさ)めて曰く、
詩云營營青蠅止于蕃
「詩経は云(い)う『営々(えいえい)とはげしく動きまわる青蠅(はえ)が、垣根に止まった。
悌君子無信讒言
おだやかですなおな君子は讒言(ざんげん)を信ずることなかれ。
讒言罔極交亂四國
讒言(ざんげん)がきわまりないと、四方の国々がかわるがわる乱れる』と。
願陛下遠巧佞退讒言
願わくは、陛下にはおもねりを巧(たく)みする者を遠ざけ、讒言(ざんげん)を退(しりぞ)けてください」と。
帝曰今顧東方朔多善言
帝(武帝劉徹)曰く、「今、かえって東方朔は善言が多い」と。
怪之居無幾何朔果病死
これを不思議に思った。いくばくもたたないうちに、朔が果たして病死した。
傳曰鳥之將死其鳴也哀
伝曰く、「鳥がまさに死なんとする時、その鳴き声は哀(あわ)れである。
人之將死其言也善此之謂也
人のまさに死なんとする時、その言葉は善(ぜん)である」と。これのことを謂(い)ったのであろう。
武帝時大將軍衛青者衛后兄也封為長平侯
漢孝武帝劉徹の時、漢大将軍衛青という者は衛后の兄であり、封ぜられて長平侯に為った。
從軍擊匈奴至余吾水上而還斬首捕虜
匈奴を撃(う)ちに従軍し、余吾水のほとりに至りて還(かえ)り、首を斬り虜(匈奴)を捕(と)らえ、
有功來歸詔賜金千斤
功が有って帰って来た。詔(みことのり)して金一千斤を賜(たま)わった。
將軍出宮門齊人東郭先生以方士待詔公車
漢大将軍長平侯衛青が宮門を出たとき、斉人の東郭先生が方士の待詔(官名)公車を以って
當道遮衛將軍車拜謁曰願白事
道に当たって衛將軍(漢大将軍長平侯衛青)の車を遮(さえぎ)り、拝謁(はいえつ)して曰く、「願わくは事を申し上げさせてください」と。
將軍止車前東郭先生旁車言曰
將軍(漢大将軍長平侯衛青)は車を前に止め、東郭先生は車のそばによって言った、曰く
王夫人新得幸於上家貧
「王夫人が新たに上に於いて寵愛を得ましたが、家が貧しく、
今將軍得金千斤誠以其半賜王夫人之親人主聞之必喜
今、将軍は金一千斤を得られ、誠(まこと)にその半分を以って王夫人の親に賜(たま)われば、人主はこれを聞いてきっと喜ぶことでしょう。
此所謂奇策便計也
これは所謂(いわゆる)奇策(きさく)便計(べんけい)であります」と。
衛將軍謝之曰先生幸告之以便計請奉教
衛將軍はこれに謝(しゃ)して曰く、「先生が幸いにもこれに告げるに便計を以ってし、教えを奉(たてまつ)ることを請(こ)う」と。
於是衛將軍乃以五百金為王夫人之親壽
ここに於いて衛将軍はすなわち、五百金を以って王夫人の親の寿(ことほ)ぎを為した。
王夫人以聞武帝帝曰大將軍不知為此
王夫人は漢孝武帝劉徹に申し上げるを以ってした。帝(武帝劉徹)曰く、「大将軍(衛青)はそれを為すことを知らない」と。
問之安所受計策對曰受之待詔者東郭先生
これに計策をさずったところはいずこであるかを問うた、応(こた)えて曰く、「これを待詔者の東郭先生からさずかりました」と。
詔召東郭先生拜以為郡都尉
詔(みことのり)して東郭先生を召して、官をさずけて郡都尉と為すを以ってした。
東郭先生久待詔公車貧困饑寒衣敝履不完
東郭先生は久しく待詔公車で、貧困で飢(う)えて寒く、衣(ころも)はやぶれ、履(くつ)はちゃんとしていなかった。
行雪中履有上無下足盡踐地
雪の中を行き、履(くつ)は上が有って、下は無く、足がことごとく地面をふんだ。
道中人笑之東郭先生應之曰
道中の人がこれを笑い、東郭先生はこれに応(こた)えて曰く、
誰能履行雪中令人視之其上履也其履下處乃似人足者乎
「人に、その上は履(くつ)で、その履(くつ)の下の処(ところ)がすなわち人の足に似ているものを視(み)せて、雪の中を歩くことを誰ができようか」と。
及其拜為二千石佩青緺出宮門行謝主人
その、官をさずけて二千石に為さしめるに及んで、青い組紐(くみひも)を佩(お)びて宮門を出るとき、主人にあいさつに行った。
故所以同官待詔者等比祖道於都門外
以前の同じ官を以って待詔したところの者は、等(ひと)しくならんで都門の外に於いて道祖神を祭って送別した。
榮華道路立名當世此所謂衣褐懷寶者也
道路に華(はな)が盛んに咲いて、当世に名を立てた。これ、所謂(いわゆる)粗末な服を着ていても宝を心に懐(いだ)く者である。