當其貧困時人莫省視
まさにその貧困の時は、人の見舞うものはなかったが、
至其貴也乃爭附之
その地位が高くになるに至っては、すなわち、争ってこれに附(つ)きしたがった。
諺曰相馬失之瘦相士失之貧其此之謂邪
諺(ことわざ)に曰く、「馬を占(うらな)ってこれを瘦(やせていること)に見誤(みあやま)り、士を占(うらな)ってこれを貧(まずしいこと)に見誤(みあやま)る」と。その、このことを謂(い)うのだろうか。
王夫人病甚人主至自往問之曰
王夫人の病が甚(はなは)だしく、人主(漢孝武帝劉徹)は自らこれを見舞いに往(ゆ)くに至り、曰く、
子當為王欲安所置之
「子供はまさに王と為さしめるべきで、これを置くところはいずこがよいか?」と。
對曰願居洛陽
(王夫人は)応(こた)えて曰く、「願わくは、洛陽に住まわせてください」と。
人主曰不可洛陽有武庫敖倉當關口天下咽喉
人主(武帝劉徹)曰く、「できない。洛陽には、武庫、敖倉が有り、関の口で、天下の咽喉(のど)に当たる。
自先帝以來傳不為置王然關東國莫大於齊可以為齊王
先帝以来より、伝えるに王を置くことをしなかった。然(しか)るに関東の国々は斉よりも大きいものはなく、斉王と為すを以ってするべきである」と。
王夫人以手擊頭呼幸甚
王夫人は手を以ってぬかずいて、さけんだ「ありがたきこと甚(はなは)だでございます」と。
王夫人死號曰齊王太后薨
王夫人が死に、号して曰く、斉王太后がなくなられた、と。
昔者齊王使淳于髡獻鵠於楚
昔、斉威王田因斉が淳于髡をつかわし楚に鶴(つる)を献(けん)じさせた。
まさにその貧困の時は、人の見舞うものはなかったが、
至其貴也乃爭附之
その地位が高くになるに至っては、すなわち、争ってこれに附(つ)きしたがった。
諺曰相馬失之瘦相士失之貧其此之謂邪
諺(ことわざ)に曰く、「馬を占(うらな)ってこれを瘦(やせていること)に見誤(みあやま)り、士を占(うらな)ってこれを貧(まずしいこと)に見誤(みあやま)る」と。その、このことを謂(い)うのだろうか。
王夫人病甚人主至自往問之曰
王夫人の病が甚(はなは)だしく、人主(漢孝武帝劉徹)は自らこれを見舞いに往(ゆ)くに至り、曰く、
子當為王欲安所置之
「子供はまさに王と為さしめるべきで、これを置くところはいずこがよいか?」と。
對曰願居洛陽
(王夫人は)応(こた)えて曰く、「願わくは、洛陽に住まわせてください」と。
人主曰不可洛陽有武庫敖倉當關口天下咽喉
人主(武帝劉徹)曰く、「できない。洛陽には、武庫、敖倉が有り、関の口で、天下の咽喉(のど)に当たる。
自先帝以來傳不為置王然關東國莫大於齊可以為齊王
先帝以来より、伝えるに王を置くことをしなかった。然(しか)るに関東の国々は斉よりも大きいものはなく、斉王と為すを以ってするべきである」と。
王夫人以手擊頭呼幸甚
王夫人は手を以ってぬかずいて、さけんだ「ありがたきこと甚(はなは)だでございます」と。
王夫人死號曰齊王太后薨
王夫人が死に、号して曰く、斉王太后がなくなられた、と。
昔者齊王使淳于髡獻鵠於楚
昔、斉威王田因斉が淳于髡をつかわし楚に鶴(つる)を献(けん)じさせた。