東方生曰是固非子所能備也
東方生曰く、「これは、固(もと)よりなんじらがなぞらえる(備(び)=比(び)?)ことができるところでは非(あら)ざるなり。
彼一時也此一時也豈可同哉
彼の一時であり、この一時である、どうして同じにできるかな。
夫張儀蘇秦之時周室大壞諸侯不朝
それ、張儀、蘇秦の時は、周室は大いに壊(こわ)れ、諸侯は朝さず、
力政爭權相禽以兵并為十二國
武力で政治を行って権力を争い、互いにいけどりにして兵にするを以ってし、並びつくるは十二国、
未有雌雄得士者彊失士者亡故說聽行通
未(ま)だ弱いものと強いものが有り、士を得た者は強くなり、士を失った者は亡(ほろ)び、故(ゆえ)に説(せつ)が聴き入れられて行いが通れば、
身處尊位澤及後世子孫長榮今非然也
身(み)みずからは尊位におかれ、恩沢は後世に及び、子孫は長く栄(さか)えたのです。今はそうではないのです。
聖帝在上流天下諸侯賓服威振四夷
聖帝は上に在(あ)り、徳は天下に流れ、諸侯は賓服(服従して挨拶に来る)し、威(い)は四夷(四方の異民族)に振(ふ)るい、
連四海之外以為席安於覆盂天下平均
四海の外を連(つら)ねて敷物をつくるを以ってすれば、伏(ふ)せた椀(わん)よりも安定し、天下は平らかに均(ひと)しくなり
合為一家動發舉事猶如運之掌中
合わせて一家と為り、発動して事を挙(あ)げるは、猶(なお)手のひらの中でこれをもてあそぶが如(ごと)し。
賢與不肖何以異哉方今以天下之大
賢と不肖(ふしょう)は、何を以って異(こと)なるだろうかな。まさに今は天下の大を以って、
士民之眾竭精馳說并進輻湊者不可勝數
士民の衆が、精を尽くして遊説(ゆうぜい)し、並び進んで四方から寄り集まる者は、すべて数えあげることはできません。
悉力慕義困於衣食或失門戶
力をありったけ出して義(ぎ)を慕(した)っても、衣食に困(こま)り、或るものは門戸を失う。
使張儀蘇秦與仆并生於今之世
張儀、蘇秦をしてわたしと今の世に於いて並び生きれば、
曾不能得掌故安敢望常侍侍郎乎
つまり掌故(官名)も得ることができず、どうして敢(あ)えて常侍(官名)、侍郎(官名)を望もうか。
傳曰天下無害菑雖有聖人無所施其才
いいつたえに曰く、『天下に災害が無ければ、聖人が有ると雖(いえど)も、その才能を施(ほどこ)すところは無い、
上下和同雖有賢者無所立功
上下が和同すれば、賢者が有ると雖(いえど)も、功を立てるところは無い』と。
故曰時異則事異雖然安可以不務修身乎
故(ゆえ)に曰く、時が異(こと)なれば、事も異(こと)なると。然(しか)りと雖(いえど)も、
どうして身(み)を修(おさ)めることに務(つと)めないことができようか。
詩曰鼓鐘于宮聲聞于外鶴鳴九皋聲聞于天
詩経曰く、『鐘(かね)を宮においてたたけば、音は外において聞こえる。
鶴(つる)が奥深い沼地で鳴けば、声は天において聞こえる』と。
茍能修身何患不榮太公躬行仁義七十二年
かりにも身(み)を修めることができれば、どうして栄えないことを患(うれ)えようか。太公望がみずから仁義を行って七十二年、
逢文王得行其說封於齊七百歲而不絕
周文王に逢(あ)い、その説(と)くを行うことを得て、斉に於いて封ぜられ、七百年にして絶えませんでした。
此士之所以日夜孜孜修學行道不敢止也
これは士の日夜(にちや)孜孜(しし)としてつとめはげんだ所以(ゆえん)であり、学を修(おさ)め、道を行い、敢(あ)えて止(とど)まらなかったからであります。
今世之處士時雖不用崛然獨立
今、世(よ)の処士(民間の人物)は、時に用いられずと雖(いえど)も、崛然(くつぜん)と高くそびえてひとり立ち
塊然獨處上觀許由下察接輿
塊然(かいぜん)と安らかにひとりおちつき、上は許由(人名)を観(み)て、下は接輿(人名)を察し、
策同范蠡忠合子胥天下和平
策は范蠡と同じくし、忠は子胥に合(あ)わせています。天下の和平は
與義相扶寡偶少徒固其常也
義(ぎ)とともにささえあっており、登用(偶(ぐう)=遇(ぐう)?)を減(へ)らしてむだを少なくするは、固(もと)よりその常(つね)なのです。
子何疑於余哉於是諸先生默然無以應也
なんじらはどうしてわたしを疑(うたが)うのかな」と。ここに於いて諸(もろもろ)の先生たちは黙然(もくぜん)とだまりこんで応(こた)えることは無かったのである。
東方生曰く、「これは、固(もと)よりなんじらがなぞらえる(備(び)=比(び)?)ことができるところでは非(あら)ざるなり。
彼一時也此一時也豈可同哉
彼の一時であり、この一時である、どうして同じにできるかな。
夫張儀蘇秦之時周室大壞諸侯不朝
それ、張儀、蘇秦の時は、周室は大いに壊(こわ)れ、諸侯は朝さず、
力政爭權相禽以兵并為十二國
武力で政治を行って権力を争い、互いにいけどりにして兵にするを以ってし、並びつくるは十二国、
未有雌雄得士者彊失士者亡故說聽行通
未(ま)だ弱いものと強いものが有り、士を得た者は強くなり、士を失った者は亡(ほろ)び、故(ゆえ)に説(せつ)が聴き入れられて行いが通れば、
身處尊位澤及後世子孫長榮今非然也
身(み)みずからは尊位におかれ、恩沢は後世に及び、子孫は長く栄(さか)えたのです。今はそうではないのです。
聖帝在上流天下諸侯賓服威振四夷
聖帝は上に在(あ)り、徳は天下に流れ、諸侯は賓服(服従して挨拶に来る)し、威(い)は四夷(四方の異民族)に振(ふ)るい、
連四海之外以為席安於覆盂天下平均
四海の外を連(つら)ねて敷物をつくるを以ってすれば、伏(ふ)せた椀(わん)よりも安定し、天下は平らかに均(ひと)しくなり
合為一家動發舉事猶如運之掌中
合わせて一家と為り、発動して事を挙(あ)げるは、猶(なお)手のひらの中でこれをもてあそぶが如(ごと)し。
賢與不肖何以異哉方今以天下之大
賢と不肖(ふしょう)は、何を以って異(こと)なるだろうかな。まさに今は天下の大を以って、
士民之眾竭精馳說并進輻湊者不可勝數
士民の衆が、精を尽くして遊説(ゆうぜい)し、並び進んで四方から寄り集まる者は、すべて数えあげることはできません。
悉力慕義困於衣食或失門戶
力をありったけ出して義(ぎ)を慕(した)っても、衣食に困(こま)り、或るものは門戸を失う。
使張儀蘇秦與仆并生於今之世
張儀、蘇秦をしてわたしと今の世に於いて並び生きれば、
曾不能得掌故安敢望常侍侍郎乎
つまり掌故(官名)も得ることができず、どうして敢(あ)えて常侍(官名)、侍郎(官名)を望もうか。
傳曰天下無害菑雖有聖人無所施其才
いいつたえに曰く、『天下に災害が無ければ、聖人が有ると雖(いえど)も、その才能を施(ほどこ)すところは無い、
上下和同雖有賢者無所立功
上下が和同すれば、賢者が有ると雖(いえど)も、功を立てるところは無い』と。
故曰時異則事異雖然安可以不務修身乎
故(ゆえ)に曰く、時が異(こと)なれば、事も異(こと)なると。然(しか)りと雖(いえど)も、
どうして身(み)を修(おさ)めることに務(つと)めないことができようか。
詩曰鼓鐘于宮聲聞于外鶴鳴九皋聲聞于天
詩経曰く、『鐘(かね)を宮においてたたけば、音は外において聞こえる。
鶴(つる)が奥深い沼地で鳴けば、声は天において聞こえる』と。
茍能修身何患不榮太公躬行仁義七十二年
かりにも身(み)を修めることができれば、どうして栄えないことを患(うれ)えようか。太公望がみずから仁義を行って七十二年、
逢文王得行其說封於齊七百歲而不絕
周文王に逢(あ)い、その説(と)くを行うことを得て、斉に於いて封ぜられ、七百年にして絶えませんでした。
此士之所以日夜孜孜修學行道不敢止也
これは士の日夜(にちや)孜孜(しし)としてつとめはげんだ所以(ゆえん)であり、学を修(おさ)め、道を行い、敢(あ)えて止(とど)まらなかったからであります。
今世之處士時雖不用崛然獨立
今、世(よ)の処士(民間の人物)は、時に用いられずと雖(いえど)も、崛然(くつぜん)と高くそびえてひとり立ち
塊然獨處上觀許由下察接輿
塊然(かいぜん)と安らかにひとりおちつき、上は許由(人名)を観(み)て、下は接輿(人名)を察し、
策同范蠡忠合子胥天下和平
策は范蠡と同じくし、忠は子胥に合(あ)わせています。天下の和平は
與義相扶寡偶少徒固其常也
義(ぎ)とともにささえあっており、登用(偶(ぐう)=遇(ぐう)?)を減(へ)らしてむだを少なくするは、固(もと)よりその常(つね)なのです。
子何疑於余哉於是諸先生默然無以應也
なんじらはどうしてわたしを疑(うたが)うのかな」と。ここに於いて諸(もろもろ)の先生たちは黙然(もくぜん)とだまりこんで応(こた)えることは無かったのである。