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武帝少時東武侯母常養帝

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武帝少時東武侯母常養帝帝壯時號之曰大乳母

漢孝武帝劉徹の少年時、東武侯の母が常(つね)に帝(劉徹)を養(やしな)い、帝(劉徹)の壮年時、
これを号して曰く、大乳母と。

率一月再朝朝奏入有詔使幸臣馬游卿以帛五十匹賜乳母

おおむね一ヶ月に二度朝した。朝し奏上して入ると、詔(みことのり)が有り、幸臣の馬游卿をつかわし、絹織物五十匹を以って乳母に賜(たま)わらせ、

又奉飲糒飱養乳乳母上書曰

また、飲み物、糒(ほしいい)飱(煮たり焼いたり火を通した食べ物)を奉(たてまつ)らせ乳母を養(やしな)った。乳母は上書して曰く、

某所有公田願得假倩之

「某(なにがし)の所に公田が有り、願わくは、これを借(か)りることを得たいのです」と。

帝曰乳母欲得之乎以賜乳母

帝(劉徹)曰く、「乳母はこれを得ることを欲するのか?」と、乳母に賜(たま)わるを以ってした。

乳母所言未嘗不聽有詔得令乳母乘車行馳道中

乳母が言ったところは未(いま)だ嘗(かつ)て聞き入れられなかったことはなかった。
詔(みことのり)が有り、乳母の乗る車に馳道(天子や貴人の通る道筋)の中を行かせしめることを得させた。

當此之時公卿大臣皆敬重乳母

ちょうどこの時、公卿、大臣は皆(みな)乳母を敬(うやま)い重んじていた。

乳母家子孫奴從者暴長安中當道掣頓人車馬奪人衣服

乳母の家の子、孫、使用人の従者は長安中で横暴(おうぼう)になり、まさに道々で、人の車馬をおさえつけてこわし、人の衣服を奪(うば)った。

聞於中不忍致之法有司請徙乳母家室處之於邊

中に於いて評判になったが、これを法にかけることが忍ばれなかった。 役人が乳母の家族を移して、辺境にこれを住まわせることを請(こ)うた。

奏可乳母當入至前面見辭

奏上されて許可された。乳母はまさに入って前にいたり、面とむかって見(まみ)え辞(じ)した。

乳母先見郭舍人為下泣

乳母は先んじて郭舎人に見(まみ)え、涙をたらした。

舍人曰即入見辭去疾步數還顧

郭舎人曰く、「すなわち入見して辞(じ)して去るとき、速く歩いてたびたびふりかえりみなさい」と。

乳母如其言謝去疾步數還顧

乳母はその言の如(ごと)く、謝して去り、速く歩いてたびたびふりかえりみた。

郭舍人疾言罵之曰咄老女子何不疾行

郭舎人は早口でこれを罵(のの)しり曰く、「ちっ、老女よ。どうして速く行かないのか。

陛下已壯矣寧尚須汝乳而活邪尚何還顧

陛下はすでに一人前になり、どうして尚(なお)汝(なんじ)の乳(ちち)を求めるだろうか。尚(なお)どうしてふりかえりみるのか」と。

於是人主憐焉悲之乃下詔止無徙乳母罰謫譖之者

ここに於いて人主(武帝)は憐(あわ)れみこれを悲しみ、そこで詔(みことのり)を下(くだ)して乳母をうつすこと無く止(とど)めさせ、責めそしった者を罰した。

武帝時齊人有東方生名朔

漢孝武帝劉徹の時、斉人に東方生が有り名は朔といい、

以好古傳書愛經術多所博觀外家之語

古(いにしえ)の伝書を好み、経術を愛(め)でるを以って、博観(たくさん読む)するところは外家の話しが多かった。

朔初入長安至公車上書凡用三千奏牘

朔が長安に始めて入ったばかりのとき、公車(役所名)に至り上書し、凡(およ)そ三千枚の上奏の札(ふだ)を用いた。

公車令兩人共持舉其書僅然能勝之

公車は二人に令してともにその上書を持ち挙(あ)げさせたが、僅然(きんぜん)とかろうじてこれをもちあげることができた。

人主從上方讀之止輒乙其處讀之二月乃盡

人主は上からまさにこれを読み、止めると、ことごとくその箇所(かしょ)にしるしをつけて、これを読むこと二ヶ月にして尽(つ)きた。

詔拜以為郎常在側侍中

詔(みことのり)して官をさずけて郎と為すを以ってし、常(つね)に側(そば)に在(あ)って中に侍(はべ)った。

數召至前談語人主未嘗不說也

たびたび召されて前に至り話しをし、人主は未(いま)だ嘗(かつ)て悦(よろこ)ばなかったことはなかったのである。

時詔賜之食於前飯已盡懷其餘肉持去衣盡汙

時には詔(みことのり)してこれに前に於いて食事を賜(たま)わった。食べおえると、ことごとくその残った肉を懐(ふところ)にしまって持ち去り、衣(ころも)はことごとく汚(よご)れた。

數賜縑帛檐揭而去

たびたび、かとり絹を賜わり、肩にかついで去った。

徒用所賜錢帛取少婦於長安中好女

むだに、賜(たま)わるところの銭、絹織物を用いて、長安中の好い女より若い妻をめとった。

率取婦一歲所者即棄去更取婦

おおむね婦人をめとって一年たったところの者は、すなわち棄(す)て去り、改めて婦人をめとった。

所賜錢財盡索之於女子

賜(たま)わったところの銭、財物はことごとくこれを女子に於いて散財した。

人主左右諸郎半呼之「狂人」

人主の左右、諸(もろもろ)の郎は半(なか)ばこれを狂人呼ばわりした。

人主聞之曰令朔在事無為是行者若等安能及之哉

人主はこれを聞き、曰く、「朔をして事に在(あ)らせれば、このように行いを為す者は無く、なんじらはどうしてこれに及ぶことができるだろうかな」と。

朔任其子為郎又為侍謁者常持節出使

朔はその子を任子(にんし)して郎に為さしめた。また侍謁者と為って、常(つね)に旗を持って使いに出た。

朔行殿中郎謂之曰人皆以先生為狂

朔が殿中に行き、郎がこれに謂(い)った、曰く、「人は皆(みな)先生を以って狂人だと思っている」と。

朔曰如朔等所謂避世於朝廷者也

朔曰く、「わたしらの如(ごと)くは所謂(いわゆる)朝廷の間に於いて世(よ)を避(さ)ける者なのだ。

古之人乃避世於深山中

古(いにしえ)の人は、すなわち、深い山の中に於いて世(よ)を避(さ)けたが」と。

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