太史公曰淳于髡仰天大笑齊威王行
太史公曰く、「淳于髡が天を仰(あお)いで大いに笑うと齊威王田因斉が横行(おうこう)した。
優孟搖頭而歌負薪者以封
優孟は頭を揺(ゆ)らして歌うと、薪(まき)を背負った者が封ぜられるを以ってした。
優旃臨檻疾呼陛楯得以半更豈不亦偉哉
優旃が欄干(らんかん)に臨(のぞ)んではげしくさけぶと、きざはしの護衛者は半分を以って交替するを得た。なんと偉(えら)いことではなかろうか」と。
褚先生曰臣幸得以經術為郎而好讀外家傳語
褚先生曰く、「わたしは幸いにも経術を以って郎に為り、しこうして、外家伝語を読むことを好んだ。
竊不遜讓復作故事滑稽之語六章編之於左
自分は遜讓(そんじょう へりくだりゆずること)せず、ふたたび故事の滑稽(こっけい)の話六章を作り、これを左(ひだり)に於いて書き付けていく。
可以覽觀揚意以示後世好事者讀之
観覧(かんらん)を以って意気を揚(あ)げることができ、後世に示(しめ)すを以って事を好む者がこれを読むことができ、
以游心駭耳以附益上方太史公之三章
遊び心を以って驚かせることができるだけで、上方の太史公の三章に附(つ)け加えるを以ってした」と。
武帝時有所幸倡郭舍人者
漢孝武帝劉徹の時、かわいがるところの芸人の郭という舎人とは、
發言陳辭雖不合大道
言を発して辞(じ)をならべ、大道に合わないと雖(いえど)も、
然令人主和說
然(しか)るに人主に和(なご)ませ悦(よろこ)ばせた。
太史公曰く、「淳于髡が天を仰(あお)いで大いに笑うと齊威王田因斉が横行(おうこう)した。
優孟搖頭而歌負薪者以封
優孟は頭を揺(ゆ)らして歌うと、薪(まき)を背負った者が封ぜられるを以ってした。
優旃臨檻疾呼陛楯得以半更豈不亦偉哉
優旃が欄干(らんかん)に臨(のぞ)んではげしくさけぶと、きざはしの護衛者は半分を以って交替するを得た。なんと偉(えら)いことではなかろうか」と。
褚先生曰臣幸得以經術為郎而好讀外家傳語
褚先生曰く、「わたしは幸いにも経術を以って郎に為り、しこうして、外家伝語を読むことを好んだ。
竊不遜讓復作故事滑稽之語六章編之於左
自分は遜讓(そんじょう へりくだりゆずること)せず、ふたたび故事の滑稽(こっけい)の話六章を作り、これを左(ひだり)に於いて書き付けていく。
可以覽觀揚意以示後世好事者讀之
観覧(かんらん)を以って意気を揚(あ)げることができ、後世に示(しめ)すを以って事を好む者がこれを読むことができ、
以游心駭耳以附益上方太史公之三章
遊び心を以って驚かせることができるだけで、上方の太史公の三章に附(つ)け加えるを以ってした」と。
武帝時有所幸倡郭舍人者
漢孝武帝劉徹の時、かわいがるところの芸人の郭という舎人とは、
發言陳辭雖不合大道
言を発して辞(じ)をならべ、大道に合わないと雖(いえど)も、
然令人主和說
然(しか)るに人主に和(なご)ませ悦(よろこ)ばせた。