王驚而問其故優孟曰馬者王之所愛也以楚國堂堂之大
楚荘王熊侶は驚いてその故(ゆえ)を問うた。優孟曰く、「馬は王の愛するところであり、楚国の堂々(どうどう)たる大を以ってして、
何求不得而以大夫禮葬之薄請以人君禮葬之
何を求めて得られないでしょうか。しこうして、大夫礼葬を以ってするは薄葬で、人君の礼葬を以ってすることを請(こ)う」と。
王曰何如對曰臣請以彫玉為棺
楚荘王熊侶曰く、「どのように?}と。応(こた)えて曰く、「わたしは玉を彫(ほ)るを以って棺(ひつぎ)をつくり、
文梓為槨楩楓豫章為題湊發甲卒為穿壙
梓(あずさの木)の模様を以って槨(かく)をつくり、楩(南方にはえる楠(くす)に似た高木)楓(かえで)豫章(大きな楠(くすのき))を以って題湊をつくり、甲兵を発して墓穴をつくり、
老弱負土齊趙陪位於前韓魏翼衛其后
老弱が土を背負って、斉、趙が前に於いて陪位(ばいい つきそう)い、韓、魏がその後ろを翼衛(補佐し守る)し、
廟食太牢奉以萬戶之邑
廟は太牢(牛、羊、豕の三種がそろったごちそう)で祭(まつ)られ、一万戸の邑を以って奉(たてまつ)らせることを請(こ)う。
諸侯聞之皆知大王賤人而貴馬也
諸侯はこれを聞いて、皆(みな)大王は人を賤(いや)しめて馬を貴(とうと)ぶことを知るでしょう」と。
王曰寡人之過一至此乎為之柰何
楚荘王熊侶曰く、「わたしの過ちは一(いつ)にこれに至るか。この為にはどうしたらよいか?」と。
優孟曰請為大王六畜葬之
優孟曰く、「大王の為(ため)にこれを六畜(牛、馬、羊、豚、鶏、狗)で葬(ほうむ)ることを請(こ)う。
以壟灶為槨銅歷為棺齎以薑棗
壟灶(ろうそう 地を掘ってつくったかまど)を以って槨(かく)と為し、銅歷(銅製の三足の釜(かま))を以って棺(ひつぎ)と為し、薑(しょうが)棗(なつめ)を以って副葬品とし、
薦以木蘭祭以糧稻衣以火光葬之於人腹腸
木蘭(もくれん)を以って薦(すす)め、供え物は粱(大粒のあわ 糧(りょう)=粱(りょう)?)の稻(もみがらをとったもの)を以ってし、衣(ころも)は火(ひ)の光(ひかり)を以ってし、これを人(ひと)の腹(はら)の腸(ちょう)に葬(ほうむ)ります」と。
於是王乃使以馬屬太官無令天下久聞也
ここに於いて楚荘王熊侶はそこで、つかわすに馬属太官を以ってし、天下に久しく噂(うわさ)さしめることの無いようにしたのである。
楚相孫叔敖知其賢人也善待之
楚相の孫叔敖はその賢人であることを知って、これを善くもてなした。
病且死屬其子曰我死汝必貧困
病でまさに死なんとしたとき、その子にたのんで曰く、「我(われ)が死んだら、汝(なんじ)はきっと貧(まず)しくなって困(こま)ることだろう。
若往見優孟言我孫叔敖之子也
なんじは優孟に見(まみ)えに往(ゆ)き、我(われ)は孫叔敖の子であると言いなさい」と。
居數年其子窮困負薪逢優孟與言曰
数年がたち、その子は困窮して薪(まき)を背負っていた。優孟に逢(あ)って、ともに話して曰く、
我孫叔敖子也
「我(われ)は孫叔敖の子であります」と。
父且死時屬我貧困往見優孟
父がまさに死なんとした時、我(われ)が貧困したら優孟に見(まみ)えに往(ゆ)くようにとたのみました」と。
楚荘王熊侶は驚いてその故(ゆえ)を問うた。優孟曰く、「馬は王の愛するところであり、楚国の堂々(どうどう)たる大を以ってして、
何求不得而以大夫禮葬之薄請以人君禮葬之
何を求めて得られないでしょうか。しこうして、大夫礼葬を以ってするは薄葬で、人君の礼葬を以ってすることを請(こ)う」と。
王曰何如對曰臣請以彫玉為棺
楚荘王熊侶曰く、「どのように?}と。応(こた)えて曰く、「わたしは玉を彫(ほ)るを以って棺(ひつぎ)をつくり、
文梓為槨楩楓豫章為題湊發甲卒為穿壙
梓(あずさの木)の模様を以って槨(かく)をつくり、楩(南方にはえる楠(くす)に似た高木)楓(かえで)豫章(大きな楠(くすのき))を以って題湊をつくり、甲兵を発して墓穴をつくり、
老弱負土齊趙陪位於前韓魏翼衛其后
老弱が土を背負って、斉、趙が前に於いて陪位(ばいい つきそう)い、韓、魏がその後ろを翼衛(補佐し守る)し、
廟食太牢奉以萬戶之邑
廟は太牢(牛、羊、豕の三種がそろったごちそう)で祭(まつ)られ、一万戸の邑を以って奉(たてまつ)らせることを請(こ)う。
諸侯聞之皆知大王賤人而貴馬也
諸侯はこれを聞いて、皆(みな)大王は人を賤(いや)しめて馬を貴(とうと)ぶことを知るでしょう」と。
王曰寡人之過一至此乎為之柰何
楚荘王熊侶曰く、「わたしの過ちは一(いつ)にこれに至るか。この為にはどうしたらよいか?」と。
優孟曰請為大王六畜葬之
優孟曰く、「大王の為(ため)にこれを六畜(牛、馬、羊、豚、鶏、狗)で葬(ほうむ)ることを請(こ)う。
以壟灶為槨銅歷為棺齎以薑棗
壟灶(ろうそう 地を掘ってつくったかまど)を以って槨(かく)と為し、銅歷(銅製の三足の釜(かま))を以って棺(ひつぎ)と為し、薑(しょうが)棗(なつめ)を以って副葬品とし、
薦以木蘭祭以糧稻衣以火光葬之於人腹腸
木蘭(もくれん)を以って薦(すす)め、供え物は粱(大粒のあわ 糧(りょう)=粱(りょう)?)の稻(もみがらをとったもの)を以ってし、衣(ころも)は火(ひ)の光(ひかり)を以ってし、これを人(ひと)の腹(はら)の腸(ちょう)に葬(ほうむ)ります」と。
於是王乃使以馬屬太官無令天下久聞也
ここに於いて楚荘王熊侶はそこで、つかわすに馬属太官を以ってし、天下に久しく噂(うわさ)さしめることの無いようにしたのである。
楚相孫叔敖知其賢人也善待之
楚相の孫叔敖はその賢人であることを知って、これを善くもてなした。
病且死屬其子曰我死汝必貧困
病でまさに死なんとしたとき、その子にたのんで曰く、「我(われ)が死んだら、汝(なんじ)はきっと貧(まず)しくなって困(こま)ることだろう。
若往見優孟言我孫叔敖之子也
なんじは優孟に見(まみ)えに往(ゆ)き、我(われ)は孫叔敖の子であると言いなさい」と。
居數年其子窮困負薪逢優孟與言曰
数年がたち、その子は困窮して薪(まき)を背負っていた。優孟に逢(あ)って、ともに話して曰く、
我孫叔敖子也
「我(われ)は孫叔敖の子であります」と。
父且死時屬我貧困往見優孟
父がまさに死なんとした時、我(われ)が貧困したら優孟に見(まみ)えに往(ゆ)くようにとたのみました」と。