故曰酒極則亂樂極則悲
故(ゆえ)に曰く、酒が極(きわ)まれば乱れ、楽しさが極(きわ)まればもの悲しくなる、
萬事盡然言不可極極之而衰
万事がことごとく然(しか)りで、言うに、極めるべきではない、極めれば衰(おとろ)える、と。」と、
以諷諫焉齊王曰善
遠まわしに諌(いさ)めるを以ってした。斉威王田因斉曰く、「よろしい」と。
乃罷長夜之飲以髡為諸侯主客
すなわち長夜の酒宴をやめて、淳于髠を以って諸侯主客と為した。
宗室置酒髡嘗在側
宗室が酒宴を設(もう)けるとき、淳于髠はいつも側(そば)にいた。
其後百餘年楚有優孟
その百余年後、楚に優孟がいた。
優孟故楚之樂人也
優孟は以前楚の楽人であった。
長八尺多辯常以談笑諷諫
身長は八尺で、多弁、常(つね)に談笑(だんしょう)を以って遠まわしに諌(いさ)めた。
楚莊王之時有所愛馬衣以文繡
楚荘王熊侶の時、愛(め)でるところの馬が有り、衣(ころも)は、美しい色や模様の縫い取りを以ってし、
置之華屋之下席以露床啗以棗脯
これを華屋の下に置いて、敷物は露床を以ってし、なつめ、干した果実を以ってたべさせた。
馬病肥死使群臣喪之欲以棺槨大夫禮葬之
馬は肥(こ)えて病にかかり死んだ。群臣をしてこれの葬式をさせ、棺槨(かんかく)を以って大夫の礼葬にすることを欲した。
左右爭之以為不可
左右はこれを争い、不可(ふか)と為すを以ってした。
王下令曰有敢以馬諫者罪至死
楚荘王熊侶は令を下して曰く、「敢(あ)えて馬を以って諌(いさ)める者が有れば、罪は死罪に至らせる」と。
優孟聞之入殿門仰天大哭
優孟はこれを聞いて、殿門に入り、天を仰(あお)いで大いに号泣した。
故(ゆえ)に曰く、酒が極(きわ)まれば乱れ、楽しさが極(きわ)まればもの悲しくなる、
萬事盡然言不可極極之而衰
万事がことごとく然(しか)りで、言うに、極めるべきではない、極めれば衰(おとろ)える、と。」と、
以諷諫焉齊王曰善
遠まわしに諌(いさ)めるを以ってした。斉威王田因斉曰く、「よろしい」と。
乃罷長夜之飲以髡為諸侯主客
すなわち長夜の酒宴をやめて、淳于髠を以って諸侯主客と為した。
宗室置酒髡嘗在側
宗室が酒宴を設(もう)けるとき、淳于髠はいつも側(そば)にいた。
其後百餘年楚有優孟
その百余年後、楚に優孟がいた。
優孟故楚之樂人也
優孟は以前楚の楽人であった。
長八尺多辯常以談笑諷諫
身長は八尺で、多弁、常(つね)に談笑(だんしょう)を以って遠まわしに諌(いさ)めた。
楚莊王之時有所愛馬衣以文繡
楚荘王熊侶の時、愛(め)でるところの馬が有り、衣(ころも)は、美しい色や模様の縫い取りを以ってし、
置之華屋之下席以露床啗以棗脯
これを華屋の下に置いて、敷物は露床を以ってし、なつめ、干した果実を以ってたべさせた。
馬病肥死使群臣喪之欲以棺槨大夫禮葬之
馬は肥(こ)えて病にかかり死んだ。群臣をしてこれの葬式をさせ、棺槨(かんかく)を以って大夫の礼葬にすることを欲した。
左右爭之以為不可
左右はこれを争い、不可(ふか)と為すを以ってした。
王下令曰有敢以馬諫者罪至死
楚荘王熊侶は令を下して曰く、「敢(あ)えて馬を以って諌(いさ)める者が有れば、罪は死罪に至らせる」と。
優孟聞之入殿門仰天大哭
優孟はこれを聞いて、殿門に入り、天を仰(あお)いで大いに号泣した。