且緩急人之所時有也
まさに緩急(かんきゅう)は人の、時(とき)に有するところなのである。
太史公曰昔者虞舜窘於井廩伊尹負於鼎俎
太史公曰く、「昔(むかし)、有虞(国号)の舜帝が、井戸、倉庫に於いて緊迫(きんぱく)し、
伊尹は鼎(かなえ)俎(まないた)を背負い、
傅說匿於傅險呂尚困於棘津夷吾桎梏
傅說は傅の険阻(けんそ)に隠(かく)れ、呂尚は棘津で困窮し、夷吾は足かせ手かせをはめられ、
百里飯牛仲尼畏匡菜色陳蔡
百里奚は牛を飼(か)い、仲尼(孔子)は匡で畏(おそ)れ、陳、蔡で青ざめた。
此皆學士所謂有道仁人也猶然遭此菑
これらは皆(みな)学、士の道仁を有する人を謂(い)ったところであり、猶(なお)然(しか)るにこれらのわざわいに遭(あ)ったのであるから、
況以中材而涉亂世之末流乎
況(いわん)や、中位の才能を以ってして乱世の末流を渉(わた)るのはなおのことではないだろうか。
其遇害何可勝道哉
その災害に遇(あ)うはどうしてすべて語ることができようかな」と。
鄙人有言曰何知仁義已饗其利者為有
田舎の人の言(げん)が有りて曰く、「どうして仁義を知ろうか、その利(り)をはなはだふるまった者が有徳と為るのだ」と。
故伯夷丑周餓死首陽山而文武不以其故貶王
故(ゆえ)に伯夷は周をにくみ首陽山に餓死したが、しこうして、周文王、周武王はその故(ゆえ)を以って王になることを貶(おとし)められず、
跖蹻暴戾其徒誦義無窮
盗跖、荘蹻(有名な二人の盗賊)は暴逆であったが、その仲間は義(ぎ)をとなえて窮(きわ)まることが無かった。
由此觀之竊鉤者誅竊國者侯
此れに由(よ)りこれをかんがみるに、「鉤(かぎ)を盗む者は誅され、国を盗む者は侯になり、
侯之門仁義存非虛言也
侯の門(もん)には仁義が存在する」と。虚言(きょげん)では非(あら)ざるなり。
今拘學或抱咫尺之義久孤於世
今、学に拘(かか)わり、或るものはわずかな義(ぎ)を抱(いだ)いて、久しく世に孤高で、
豈若卑論儕俗與世沈浮而取榮名哉
どうして論(ろん)を低くして俗(ぞく)にあわせるがごとくして、世とともに浮き沈みして栄(さか)えある名声を取るだろうかな。
而布衣之徒設取予然諾千里誦義
しこうして、官位のない人の仲間は、取ることと与(あた)えること、然諾(ぜんだく 承知する)を設(もう)け、千里に義(ぎ)をとなえ、
為死不顧世此亦有所長非茍而已也
世を顧(かえり)みずに死に、これもまた長ずるところが有り、かりそめにしてそれのみでは非(あら)ざるなり。
故士窮窘而得委命此豈非人之所謂賢豪者邪
故(ゆえ)に士が困窮して運命を委(ゆだ)ねるを得るは、これ、どうして人の賢、豪の間(あいだ)を謂(い)うところの者では非(あら)ざるか?
誠使鄉曲之俠予季次原憲比權量力
誠(まこと)に片田舎(かたいなか)の俠(きょう)をして、季次、原憲と、力量、
效功於當世不同日而論矣
当世に於いての手柄(てがら)を比(くら)べはかることは、同じように考えて論ずることではないのである。
要以功見言信俠客之義又曷可少哉
要(よう)は功を以って言(げん)の信(まこと)を見れば、俠客の義(ぎ)もまたどうしてかろんずるべきだろうかな。
まさに緩急(かんきゅう)は人の、時(とき)に有するところなのである。
太史公曰昔者虞舜窘於井廩伊尹負於鼎俎
太史公曰く、「昔(むかし)、有虞(国号)の舜帝が、井戸、倉庫に於いて緊迫(きんぱく)し、
伊尹は鼎(かなえ)俎(まないた)を背負い、
傅說匿於傅險呂尚困於棘津夷吾桎梏
傅說は傅の険阻(けんそ)に隠(かく)れ、呂尚は棘津で困窮し、夷吾は足かせ手かせをはめられ、
百里飯牛仲尼畏匡菜色陳蔡
百里奚は牛を飼(か)い、仲尼(孔子)は匡で畏(おそ)れ、陳、蔡で青ざめた。
此皆學士所謂有道仁人也猶然遭此菑
これらは皆(みな)学、士の道仁を有する人を謂(い)ったところであり、猶(なお)然(しか)るにこれらのわざわいに遭(あ)ったのであるから、
況以中材而涉亂世之末流乎
況(いわん)や、中位の才能を以ってして乱世の末流を渉(わた)るのはなおのことではないだろうか。
其遇害何可勝道哉
その災害に遇(あ)うはどうしてすべて語ることができようかな」と。
鄙人有言曰何知仁義已饗其利者為有
田舎の人の言(げん)が有りて曰く、「どうして仁義を知ろうか、その利(り)をはなはだふるまった者が有徳と為るのだ」と。
故伯夷丑周餓死首陽山而文武不以其故貶王
故(ゆえ)に伯夷は周をにくみ首陽山に餓死したが、しこうして、周文王、周武王はその故(ゆえ)を以って王になることを貶(おとし)められず、
跖蹻暴戾其徒誦義無窮
盗跖、荘蹻(有名な二人の盗賊)は暴逆であったが、その仲間は義(ぎ)をとなえて窮(きわ)まることが無かった。
由此觀之竊鉤者誅竊國者侯
此れに由(よ)りこれをかんがみるに、「鉤(かぎ)を盗む者は誅され、国を盗む者は侯になり、
侯之門仁義存非虛言也
侯の門(もん)には仁義が存在する」と。虚言(きょげん)では非(あら)ざるなり。
今拘學或抱咫尺之義久孤於世
今、学に拘(かか)わり、或るものはわずかな義(ぎ)を抱(いだ)いて、久しく世に孤高で、
豈若卑論儕俗與世沈浮而取榮名哉
どうして論(ろん)を低くして俗(ぞく)にあわせるがごとくして、世とともに浮き沈みして栄(さか)えある名声を取るだろうかな。
而布衣之徒設取予然諾千里誦義
しこうして、官位のない人の仲間は、取ることと与(あた)えること、然諾(ぜんだく 承知する)を設(もう)け、千里に義(ぎ)をとなえ、
為死不顧世此亦有所長非茍而已也
世を顧(かえり)みずに死に、これもまた長ずるところが有り、かりそめにしてそれのみでは非(あら)ざるなり。
故士窮窘而得委命此豈非人之所謂賢豪者邪
故(ゆえ)に士が困窮して運命を委(ゆだ)ねるを得るは、これ、どうして人の賢、豪の間(あいだ)を謂(い)うところの者では非(あら)ざるか?
誠使鄉曲之俠予季次原憲比權量力
誠(まこと)に片田舎(かたいなか)の俠(きょう)をして、季次、原憲と、力量、
效功於當世不同日而論矣
当世に於いての手柄(てがら)を比(くら)べはかることは、同じように考えて論ずることではないのである。
要以功見言信俠客之義又曷可少哉
要(よう)は功を以って言(げん)の信(まこと)を見れば、俠客の義(ぎ)もまたどうしてかろんずるべきだろうかな。