其治米鹽事大小皆關其手自部署縣名曹實物
その米塩(めんどうなことのたとえ 細かなこと)を治(おさ)め、大小に事(こと)し皆(みな)その手に関(かか)わり、自ら役目をふりわけて仲間、実物を明らか(名(めい)=明(めい)?)にして示し、
官吏令丞不得擅搖痛以重法繩之
官吏、令丞は、思うままに揺(ゆ)り動かすことができず、法を重んずるを以ってはげしくこれに縄(なわ)をかけた。
居官數年一切郡中為小治辨然獨宣以小致大
官に居ること数年、一切(いっさい)の郡中は、小さな治弁(とりさばくこと)を為したが、然(しか)るにただひとり減宣だけが小を以って大に致(いた)し、
能因力行之難以為經中廢
これを力行(りきこう)することに因(よ)りてでき、常道を為すを以ってすることを難(なん)じた。途中で廃され、
為右扶風坐怨成信信亡藏上林中
右扶風と為り、なんとはなしに成信を怨(うら)んで、成信は上林の中にかくれ、
宣使郿令格殺信吏卒格信時射中上林苑門
漢右扶風減宣は郿令をつかわし成信を格殺(かくさつ 手でうちころす)させた。吏卒は成信を格殺した時、弓を射(い)て上林苑の門に中(あ)てた。
宣下吏詆罪以為大逆當族自殺而杜周任用
減宣は役人に下(くだ)され、罪にふれて、大逆と為されるを以って、族刑に当てられ、自殺した。
しこうして杜周が任用(にんよう)された。
杜周者南陽杜衍人
杜周という者は、南陽の杜衍の人である。
義縱為南陽守以為爪牙舉為廷尉史
義縦が南陽守に為り、爪牙と為るを以って、推挙されて廷尉史と為った。
事張湯湯數言其無害至御史
張湯に仕(つか)え、張湯はたびたびその無害であることを言上し、御史に至った。
使案邊失亡所論殺甚眾
辺境の失亡を取り調べさせ、死刑と論告するところは甚だ多かった。
奏事中上意任用
(漢御史杜周の)事(こと)を奏上するは、上(漢孝武帝劉徹)の意に中(あ)て、用を任(まか)せられた。
與減宣相編更為中丞十餘歲
減宣とともに相(あい)編成(へんせい)し、改めて中丞と為って十余年。
其治與宣相放
その治(ち)は減宣と相(あい)模倣(もほう)しあった。
その米塩(めんどうなことのたとえ 細かなこと)を治(おさ)め、大小に事(こと)し皆(みな)その手に関(かか)わり、自ら役目をふりわけて仲間、実物を明らか(名(めい)=明(めい)?)にして示し、
官吏令丞不得擅搖痛以重法繩之
官吏、令丞は、思うままに揺(ゆ)り動かすことができず、法を重んずるを以ってはげしくこれに縄(なわ)をかけた。
居官數年一切郡中為小治辨然獨宣以小致大
官に居ること数年、一切(いっさい)の郡中は、小さな治弁(とりさばくこと)を為したが、然(しか)るにただひとり減宣だけが小を以って大に致(いた)し、
能因力行之難以為經中廢
これを力行(りきこう)することに因(よ)りてでき、常道を為すを以ってすることを難(なん)じた。途中で廃され、
為右扶風坐怨成信信亡藏上林中
右扶風と為り、なんとはなしに成信を怨(うら)んで、成信は上林の中にかくれ、
宣使郿令格殺信吏卒格信時射中上林苑門
漢右扶風減宣は郿令をつかわし成信を格殺(かくさつ 手でうちころす)させた。吏卒は成信を格殺した時、弓を射(い)て上林苑の門に中(あ)てた。
宣下吏詆罪以為大逆當族自殺而杜周任用
減宣は役人に下(くだ)され、罪にふれて、大逆と為されるを以って、族刑に当てられ、自殺した。
しこうして杜周が任用(にんよう)された。
杜周者南陽杜衍人
杜周という者は、南陽の杜衍の人である。
義縱為南陽守以為爪牙舉為廷尉史
義縦が南陽守に為り、爪牙と為るを以って、推挙されて廷尉史と為った。
事張湯湯數言其無害至御史
張湯に仕(つか)え、張湯はたびたびその無害であることを言上し、御史に至った。
使案邊失亡所論殺甚眾
辺境の失亡を取り調べさせ、死刑と論告するところは甚だ多かった。
奏事中上意任用
(漢御史杜周の)事(こと)を奏上するは、上(漢孝武帝劉徹)の意に中(あ)て、用を任(まか)せられた。
與減宣相編更為中丞十餘歲
減宣とともに相(あい)編成(へんせい)し、改めて中丞と為って十余年。
其治與宣相放
その治(ち)は減宣と相(あい)模倣(もほう)しあった。