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臨江王徵詣中尉府對簿

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臨江王徵詣中尉府對簿臨江王欲得刀筆為書謝上

臨江王劉栄が召されて中尉府に詣(もう)で、帳簿に応(こた)えた。臨江王劉栄は刀(書き誤りを削るための小刀)、筆(ふで)を得て、上に謝(あやま)る書状をかきたいと欲した。

而都禁吏不予魏其侯使人以與臨江王

しこうして、漢中尉郅都は役人に与(あた)えないよう禁じた。魏其侯竇嬰が人をつかわし、ひそかに臨江王劉栄に与(あた)えるを以ってした。

臨江王既為書謝上因自殺

臨江王劉栄はすでに上(漢孝景帝劉啓)に謝(あやま)る書状を書くと、因(よ)りて自殺した。

竇太后聞之怒以危法中都都免歸家

竇太后(劉栄の祖母)はこれを聞き、怒り、法をはげしくするを以って漢中尉郅都に中(あ)て、漢中尉郅都は免ぜられて家に帰った。

孝景帝乃使使持節拜都為鴈門太守

漢孝景帝劉啓はそこで使者をつかわし、旗を持たせて郅都に官をさずけ鴈門太守と為さしめた。

而便道之官得以便宜從事

しこうして、道に習熟(しゅうじゅく)している官が、便宜(べんぎ)を以って従事(じゅうじ)するを得た。

匈奴素聞郅都節居邊為引兵去竟郅都死不近鴈門

匈奴は素(もと)より、辺境に居(い)て鴈門太守郅都の旗を聞き、兵を引いて去り、とうとう郅都が死ぬまで鴈門に近づかなかった。

匈奴至為偶人象郅都令騎馳射莫能中見憚如此

匈奴はきわまり、鴈門太守郅都を象(かたど)った木の人形を作って、騎兵に令して馳(は)せて射(い)させたが中(あ)てることのできる者はなく、見ると憚(はばか)るはこの如(ごと)くであった。

匈奴患之竇太后乃竟中都以漢法

匈奴はこれを患(うれ)えた。竇太后はすなわちとうとう鴈門太守郅都を漢法を以って中(あ)てた。

景帝曰都忠臣欲釋之

漢孝景帝劉啓曰く、「郅都は忠臣です」と。これをゆるすことを欲した。

竇太后曰臨江王獨非忠臣邪於是遂斬郅都

竇太后曰く、「臨江王はどうして忠臣では非(あら)ざるか」と。ここに於いて遂(つい)に鴈門太守郅都を斬った。

寧成者穰人也以郎謁者事景帝

寧成という者は穰人である。郎謁者を以って漢孝景帝劉啓に仕(つか)えた。

好氣為人小吏必陵其長吏

気を好(この)み、人と為りがとるに足らない役人であれば、必ずその長吏をあなどり、

為人上操下如束溼薪

人と為りが立派であれば、湿(しめ)った薪(まき)を束(たば)ねるが如(ごと)く下(した)に手繰(たぐ)った。

滑賊任威稍遷至濟南都尉而郅都為守

すらすらと威(い)に任(まか)せておびやかした。次第に遷(うつ)されて済南都尉に至り、しこうして郅都は済南太守に為った。

始前數都尉皆步入府因吏謁守如縣令其畏郅都如此

以前は前(さき)の幾人かの都尉は皆(みな)歩いて府に入り、因(よ)りて役人は太守に県令の如(ごと)くとりつぎ、その済南太守郅都を畏(おそ)れるはこの如(ごと)くであった。

及成往直陵都出其上

済南都尉寧成が往(ゆ)くに及んで、直(じか)に済南太守郅都にのぼってその上に出た。

都素聞其聲於是善遇與結驩

済南太守郅都は素(もと)よりその評判を聞いており、ここに於いて善遇(ぜんぐう)し、ともに歓(よろこ)びを結(むす)んだ。

久之郅都死后長安左右宗室多暴犯法

しばらくして、郅都が死ぬと、後に長安の左右、宗室の多くがたちまち法を犯(おか)した。

於是上召寧成為中尉其治效郅都

ここに於いて上(漢孝景帝劉啓)は寧成を召し寄せて中尉に為さしめた。その治(ち)は郅都をまねたが、

其廉弗如然宗室豪桀皆人人惴恐

その廉潔(れんけつ)さが及ばず、然(しか)るに、宗室、豪傑は皆(みな)人々はびくびくと恐れた。

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