伏生教濟南張生及歐陽生歐陽生教千乘兒
伏先生は済南の張先生及び歐陽先生に教え、歐陽先生は千乗の兒に教えた。
兒既通尚書以文學應郡舉詣博士受業受業孔安國
兒がすでに尚書に通じ、文学を以って郡の推挙に応じ、博士の授業に詣(もう)で、孔安国に学業を授(さず)かった。
兒貧無資用常為弟子都養及時時行傭賃以給衣食
兒は貧(まず)しく、入用な金品が無く、常に弟子たちの都養に為り、及び、時々合間にやとわれ仕事を行い、衣食を給(きゅう)するを以ってした。
行常帶經止息則誦習之以試第次補廷尉史
行いは常(つね)に経(きょう)を帯(お)びて、休息すればこれをくりかえし読んでおぼえた。試験の第次(だいじ)を以って、廷尉史(刑罰をあつかった官吏)に任用した。
是時張湯方鄉學以為奏讞掾以古法議決疑大獄而愛幸
この時、漢廷尉張湯はまさに学問に向わんとし、罪の判定を奏(かな)でる属官と為すを以って、古(いにしえ)の法を以って大獄の疑いを議決し、漢廷尉史兒をかわいがり愛(め)でた。
為人溫良有廉智自持而善著書
漢廷尉史兒の人と為りは温良(おんりょう)で、廉智が有り、みずからをつかさどり、しこうして、
善く書を著(あらわ)し、
書奏敏於文口不能發明也
書が奏(かな)でられると、文に於いてすばやかったが、口でははっきりと言葉を発することができなかった。
湯以為長者數稱譽之
漢廷尉張湯は長者だと思い、たびたびこれを誉(ほ)め称(たた)えた。
及湯為御史大夫以兒為掾薦之天子
漢廷尉張湯が漢御史大夫に為るに及んで、漢廷尉史兒を以って属官と為し、天子(漢孝武帝劉徹)に推薦(すいせん)した。
天子見問說之張湯死后六年兒位至御史大夫
天子(漢孝武帝劉徹)は問いに見(まみ)え、これをよろこんだ。漢御史大夫張湯の死後六年で、兒の地位は漢御史大夫に至った。
九年而以官卒在三公位以和良承意從容得久然無有所匡諫
九年にして、官を以って亡くなった。兒は三公の地位に在(あ)って、和(わ)を以って意(い)を良く承(うけたまわ)り、従容(しょうよう)として久(ひさ)しくするを得たが、然(しか)るに諌(いさ)め匡(ただ)すところを有することは無かったので、
於官官屬易之不為盡力張生亦為博士
官、官属に於いてこれをあなどり、力を尽くすことを為さなかった。済南の張先生もまた博士と為った。
而伏生孫以治尚書徵不能明也
しこうして、伏先生の孫は尚書を治めるを以って徴召されたが、出世することはできなかった。
自此之後魯周霸孔安國雒陽賈嘉頗能言尚書事
これの後より、魯の周霸、孔安國、雒陽の賈嘉が頗(すこぶ)る尚書の事を言うことができた。
孔氏有古文尚書而安國以今文讀之因以起其家
孔氏は古(いにしえ)の文字の尚書を有(ゆう)し、しこうして孔安国は今(いま)の文字を以ってこれを読み、因(よ)りてその家門を起こすを以ってした。
逸書得十餘篇蓋尚書滋多於是矣
逸書(いつしょ)の十余篇を得て、思うに尚書はこれよりさらに多くなった。
伏先生は済南の張先生及び歐陽先生に教え、歐陽先生は千乗の兒に教えた。
兒既通尚書以文學應郡舉詣博士受業受業孔安國
兒がすでに尚書に通じ、文学を以って郡の推挙に応じ、博士の授業に詣(もう)で、孔安国に学業を授(さず)かった。
兒貧無資用常為弟子都養及時時行傭賃以給衣食
兒は貧(まず)しく、入用な金品が無く、常に弟子たちの都養に為り、及び、時々合間にやとわれ仕事を行い、衣食を給(きゅう)するを以ってした。
行常帶經止息則誦習之以試第次補廷尉史
行いは常(つね)に経(きょう)を帯(お)びて、休息すればこれをくりかえし読んでおぼえた。試験の第次(だいじ)を以って、廷尉史(刑罰をあつかった官吏)に任用した。
是時張湯方鄉學以為奏讞掾以古法議決疑大獄而愛幸
この時、漢廷尉張湯はまさに学問に向わんとし、罪の判定を奏(かな)でる属官と為すを以って、古(いにしえ)の法を以って大獄の疑いを議決し、漢廷尉史兒をかわいがり愛(め)でた。
為人溫良有廉智自持而善著書
漢廷尉史兒の人と為りは温良(おんりょう)で、廉智が有り、みずからをつかさどり、しこうして、
善く書を著(あらわ)し、
書奏敏於文口不能發明也
書が奏(かな)でられると、文に於いてすばやかったが、口でははっきりと言葉を発することができなかった。
湯以為長者數稱譽之
漢廷尉張湯は長者だと思い、たびたびこれを誉(ほ)め称(たた)えた。
及湯為御史大夫以兒為掾薦之天子
漢廷尉張湯が漢御史大夫に為るに及んで、漢廷尉史兒を以って属官と為し、天子(漢孝武帝劉徹)に推薦(すいせん)した。
天子見問說之張湯死后六年兒位至御史大夫
天子(漢孝武帝劉徹)は問いに見(まみ)え、これをよろこんだ。漢御史大夫張湯の死後六年で、兒の地位は漢御史大夫に至った。
九年而以官卒在三公位以和良承意從容得久然無有所匡諫
九年にして、官を以って亡くなった。兒は三公の地位に在(あ)って、和(わ)を以って意(い)を良く承(うけたまわ)り、従容(しょうよう)として久(ひさ)しくするを得たが、然(しか)るに諌(いさ)め匡(ただ)すところを有することは無かったので、
於官官屬易之不為盡力張生亦為博士
官、官属に於いてこれをあなどり、力を尽くすことを為さなかった。済南の張先生もまた博士と為った。
而伏生孫以治尚書徵不能明也
しこうして、伏先生の孫は尚書を治めるを以って徴召されたが、出世することはできなかった。
自此之後魯周霸孔安國雒陽賈嘉頗能言尚書事
これの後より、魯の周霸、孔安國、雒陽の賈嘉が頗(すこぶ)る尚書の事を言うことができた。
孔氏有古文尚書而安國以今文讀之因以起其家
孔氏は古(いにしえ)の文字の尚書を有(ゆう)し、しこうして孔安国は今(いま)の文字を以ってこれを読み、因(よ)りてその家門を起こすを以ってした。
逸書得十餘篇蓋尚書滋多於是矣
逸書(いつしょ)の十余篇を得て、思うに尚書はこれよりさらに多くなった。